2020年02月22日

「赤い灯、青い灯」おそるべし!










2つ前の記事(詩?)に書いた、

「おびただしい電飾の一粒一粒」

・・・こんな感じでした。☝ ☟


安里川の、雨の夜の景色ですね。

川の風景にこだわってますが・・・。











「おびただしい電飾の一粒一粒」という言葉が、

なぜか、心に残っていて・・・


2つ前の記事の写真では、

ちょっとよくわからなかったので。


(参照:安里川風景 2020.2.14)


大阪では、ある程度以上の年配ならば、

これを見て、おそらく10人中9人までは、

「赤い灯、青い灯♪」と歌うんでしょうね(笑)


で、念のため少しばかり調べてみたら・・・

「赤い灯 青い灯」という歌詞は、

有名な『道頓堀行進曲』だけじゃなかった。


「赤い灯 青い灯 道頓堀の」とはじまる『道頓堀行進曲』、

春日八郎や海原千里(上沼恵美子)も歌ってますが、

オリジナルは昭和3年(1928)のようですね。


それから6年後の昭和9年(1934)には、

「赤い灯、青い灯」という曲が発売されている。

ドンピシャや、ないかい!


しかし、まだまだありました。

「赤い灯、青い灯」という歌詞が入っている曲

10曲以上も、あるんかい!?


いやはや・・・

おそるべし大阪!!

おそるべし歌謡界!!!


それにしても・・・

世の中、まだまだ知らんことばかり。


  



2020年02月19日

饒波川風景

こんな記事を書いたから雨に降られるのだろうか?

(参照1:安里川風景 2020年2月14日)

それも、晴れていたのに急に雨に降られたり、

雨の確率0%の予報なのにしっかり雨に降られたり、

そんな日が、先週、金(14日)土(15日)と2日続いた。


日(16日)は天気予報通りに雨だったのだが(苦笑)、

今週に入って、急激に気温が下がりはじめ、、

月(17日)は何とか持ってくれたものの、

火(18日)などは、降るとしたら雪だと、

天気予報でうるさいくらい言っていたのに、

家を出て駅に向かう途中に、大粒の雨が降り出した。

(参照2:大阪(大阪府)の過去の天気


いやもうこれは、晴れた空を載せないといけないでしょう、

と思って、沖縄の快晴の空の写真を見つけにさかのぼったのだが、

さかのぼって行っても、スカッと晴れた快晴の写真が見つからない。





好天ではないが、3年前(2017年)6月の、

饒波川(のはがわ)の中流域の写真を。

けっこう、この川の風景、好きなので。


豊見城中央公民館に近いあたりの写真です。

覚えてますか?AKBのコンサートが中止になって、

無観客で「第9回シングル選抜総選挙」がおこなわれた会場。

(参照3:沖縄でのAKB48総選挙、無観客で開催 雷雨を警戒 コンサートは中止沖縄タイムス+プラス 2017年6月16日 10:18)





その後のことは、すっかり「予言」してしまいましたねぇ・・・。

(参照4:AKB王国崩壊の潮目を決定づけた 特異な「聖地」として、この場は語り継がれるのであろう・・・。


まあ、ちょっと気をつけて見ていれば、わかりますよね。

「坂道」が、ここまで内部崩壊しつつあったことまでは、

さすがに、ほとんどわかりませんでしたけれども・・・。


いやいや、わざわざ見に行ったんじゃありませんよ。

ただぼくは、つきあわされて行っただけなのです。

それも4日後です。コンサートの。べつにいいんだけど・・・。

(参照5:なつかしい6月へ、なつかしい場所へ・・・ (その1 豊崎)





「饒波川」、なかなか読めませんよね。

でも最近は、川を調べようと思うと、

こんな便利なサイトもあって・・・

(参照6:川の名前を調べる地図・饒波川


いやはや、参照記事ばかりになってしまいました。

今日あたりは、さすがに晴れてほしいなぁ・・・。

  



2020年02月14日

安里川風景




雨の降る夜は、雨の夜の沖縄を思い出す。


どんよりと雲の垂れこめた空から落ちてくる


細い雨に刺されて微かに揺れていた安里川の


黒い肌を照らすおびただしい電飾の一粒一粒を。





雨のやんだ朝は、雨のやんだ朝の沖縄を思い出す。


夏至というのに肌寒い風が吹き抜ける安里川の


緑がかった水面(みなも)に時折影を落としながら、


6月の空を駈けてゆくイソヒヨドリの澄んだ鳴き声を。





満ちる潮が水面を押し上げてくる


河口近くの安里川の


とある一日の


大事な記憶。


  



2019年12月04日

そして12月がやって来て・・・

「「6月の沖縄」再開予告編」を書いてから、

すでに、2か月余りの時間が過ぎてしまった。

「6月の沖縄」再開予告編 (沖縄報告1906-11)


その前に6月の沖縄について書いて、

そこからかぞえれば、もう3か月以上・・・。

入域観光客1000万人時代は、はたして来るのか? (沖縄報告1906-10)


最低気温が当り前のように10℃を切るようになり、

それどころか、5℃を割ることもめずらしくない。

今週には、最高気温が10℃に達しない日さえ。


2週間前には25℃にもなる日のあったことが、

とうてい信じられない。どっちかにしてくれ・・・。


もちろん、もっと寒い地域があることはわかっているが、

夜も長くなって、6月の沖縄のことを、つい思い出す。


決して、上天気ではなかったし、というより雨ばかりで、

ここ数年になく、どことなく肌寒い日々ではあったのだけれど、

それでも、12月の大阪よりずっとのんびりできる気候だった。



(2019.6.22 コザ)


土曜日(7日)から二十四節季は大雪(たいせつ)。

一番夜の長い冬至も、22日からに迫っている。

初冬の長い夜に、6月の沖縄のことを書いてみる。


6月21日、搭乗機は20分遅れて飛んだ。

そして、ちょうど2時間後に那覇に降りた。


空港前からレンタカー店までバスに乗り、

レンタカーで走り出すまで1時間を切った。


これは、2010年代では確実に新記録。

21世紀に入ってからの新記録かもしれない。


1995年にはじまった沖縄ブーム以前は、

もっと早く乗り込むこともあったと思うが、

それ以後、1時間以内で走り出せたことはない。


もちろん、1900年代のレンタカーの営業所は、

ほとんど那覇市内にあったし、観光客も少なかった。

(1997年まで観光客数は300万人台で推移した。)


その後、観光客が増えて支障をきたすようになり、

(98年に400万、03年に500万人を突破した。)

2時間以上待たされるなんてことも珍しくなくなった。


営業所の中は(少しも大げさな表現ではなく)殺気立ち、

さすがに、これではまずいと考えるようになったのだろう、

しだいに、空港周辺に営業所が移転するようになった。


市街地よりも広く、たくさんの待機者をさばくことができ、

そのため、しばらくは安定した営業が可能になった。


観光客も2012年まで10年間600万人を超えられず、

伝染病等の要因も重なって、足踏みを続けたていた。

そのため21世紀になって、楽に借りられることが続いた。

(それでも、1時間~1時間半ほどはかかったのだが。)


そして、2013年に600万人を超えてからの、

沖縄県への入域観光客数の増加はものすごく、

18年までの5年間で1000万人を目の前にしている。

(統計のミスで、すでに超えていたのだという説もある。)


ただ、増加の多くは外国人観光客であったので、

レンタカーの借り出し数は、さほど伸びなかった。


ただし、近年に至り、外国人も借りるようになり、

外国人向けのカウンターを設ける会社も少なくない。


そして、営業所は那覇市内から豊見城市内へと移り、

巨大な用地をもったメガ営業所がいくつもできている。


それでも、レンタカー使用が最も多くなる9月になると、

空港に着いてからレンタカーに乗り込んで走り出すまで、

2時間以上がふつう。時には2時間半なんてこともあった。


ともあれこの数年間、レンタカーを借りる困難さは00年代以上で、

なので、今年6月の「空港到着から1時間以内で出発」には、

とても嬉しかったし、それ以上に、「大丈夫なのか?」と思った。

(上記の「入域観光客1000万人時代は、はたして来るのか?」参照)



(2019.6.21 守礼門)


今年6月の話を書くと言って書き始めておきながら、

いったい、いつ今年の話になるかとお思いの方もいるだろう。


つまり、観光客にとって、空港に着き、すぐにレンタカーを借りて、

快適に走りだそうと思っていたのに、2時間以上も待たされる、

これは、かなりツライということを感じていただきたかった・・・。


というわけでは決してなく、つまり、レンタカーで走り出して、

最初に向かった先が首里城だったので、なんとなく・・・


  


2019年11月01日

言葉にならない・・・


(2019.6.21)


しょせんレプリカじゃないか、

という人がいるかもしれない。

(じっさいに多数いたようだ)

https://twitter.com/inabawataru

https://search.yahoo.co.jp/realtime/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%83%AC%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%AB+OR+%23%E3%83%AC%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%AB&styl=focus&btid=AxeUZRAkAPyDF1vx1kJReLw6TxVJ0Y4C


しかし、そのレプリカをつくるのに、

(より正確に復元するために)

どれだけの努力が傾注されたか。

どれだけの時間が費やされたか。

(私の知る限り1950年代の末から、

公開までに33年間、そして公開後も、

復元への時間は営々と費やされつつ、

そして、27年後の現在に至っている。

あわせて60年。その結晶が首里城だ。)

さらに「レプリカ」のあるなしにかかわらず、

そこが「心のよりどころ」であった時間は、

その何層倍をかぞえてきたことだろうか。


昨夜(10月31日)3時頃に一報を得た時には、

「出火」とのみあったので「ボヤ」程度と考えた。

そのまま眠ってしまい、起きた時の記事と映像!

それから一日中、しきりに腹が立って仕方がなく、

得体の知れぬ怒りはまだ、少しも収まっていない。


今はニュースも建物のことばかりを報じているが、

失ったもののひとつひとつはこれから明らかになる。

それは「再建」や「復元」などとさっそく言葉にできるほど、

なまやさしいものじゃない。中には復元できないものもある。


いまだ「事件」の詳細が明らかにならない中、

いまは、まず、以上のことを記して調査を待つ。


  


2019年09月26日

「6月の沖縄」再開予告編 (沖縄報告1906-11)

6月の沖縄旅行グルメ編を最後に書いてから、

早いもので、2か月以上がたってしまった。


超絶沖縄グルメ旅の続編を書こうと思ってはいたのだが・・・。の巻 (沖縄報告1906-6)


沖縄報告1906(2019年6月)自体も、

もう、ちょうど1か月ストップしたままだ。


入域観光客1000万人時代は、はたして来るのか? (沖縄報告1906-10)


いやもうそれもこれも、「無効なソース」と、

ラグビーワールドカップのせいである(笑)



・・・と書き始めては見たものの、

2週間ほど前までは、すぐに取り出せた、

今年6月の沖縄の初日の画像が見つからない。

(出発日の6月21日分がどこかに行ってしまった。)


これは「無効なソース」ではなく自分のせいである。

カメラを3台も持って行かなければよかった。

(いやいや、そういう問題ではなくて。)


世の中なかなかうまくいかない。

それとも自分がうまくいかないのか。

結局、どちらにしても結果は同じことだが。


しかし、このまま止まっていたら、

首里の猫にも、もうしわけが立たない。


初日(6月21日)の写真の中から抜粋しておいた、

夜の守礼門の写真があったので、これをUPしておき、

遅ればせながら、「6月の沖縄」の再開予告編ということで。



(2019.6.21 首里)


  


2019年09月24日

6月23日から、もう3か月・・・

ラグビーの記事を続けて書いたので、

ひさしぶりに、沖縄の記事を・・・。


今日(9月24日)は、今年沖縄から戻って、

ちょうど、3か月がたったことになる。

昨日(9月23日)が、慰霊の日から3か月目。


この3か月の間にも、日本各地で(世界各地で)

毎年の恒例行事であるかのように災害が続いた。

「災害慣れ」に警鐘が鳴らされるようになって、

それでもなお、とても慣れるようには思えない。

特に、かつて住んだことのある場所での災害は、

やはり、他とは異なる感情を突き付けてくる。


この週末は、そんなことを考えながら過ごした。





とはいえ、長い7月のあとに、

長い長い8月が続いたので、

3か月といってもピンとこない。


逆にそれら2か月の長さに比べて、

9月に入っての短さが信じられない。


すでに3週間以上が過ぎたはずなのだが、

先にも書いたように、1週間と言われれば、

簡単に信じてしまいそうな時の速さだった。





その9月も、あと1週間を残すのみ。

この1週間で、時間の過ぎる速さは、

多少は遅くなってくれるだろうけれど、

その分、時の重さに耐えていかなければ、

押しつぶされてしまうことになりかねない。


またわけのわからないことを書いてしまった。

沖縄のことは、ほとんど書いていないけれど、

せめて6月23日と24日の沖縄の写真を、

(いずれも、自分にとっては思い出深い)

載せられただけでも、いいことにしよう。

(いいことにしてください。)


  


2019年08月25日

入域観光客1000万人時代は、はたして来るのか? (沖縄報告1906-10)

今年6月の沖縄で驚いたことといえば、

なによりも、那覇空港内の人の少なさ。





金曜日の夕方という曜日と時刻は、

決して人の少ない日時とは思えない。

にもかかわらず、どこまで歩いても、

人の波は、一向に増える気配がない。


いつも人でごった返しているというイメージは、

今回に関しては、完全に裏切られた感じだった。





それは、関西空港でも感じていたことである。

ちょうど大阪でG20が開催される直前で、

ボディーチェックは、かなりきびしかった。

(ベルトまではずすように言われたのは、

日本の空港では、9.11以来ひさしぶりのこと。)

にもかかわらず、手荷物検査の行列は、

ほんの数名程度で、すんなり進んで、

あまりのあっけなさにおどろいたくらい。


ここ数年、毎年のように長くなる行列に、

(とりわけ昨年9月の2時間待ち以来)

空港への到着は2時間以上前と決めて、

今回あまりのスムーズさに、気が抜けた次第。





ここ数年は、伊丹空港を使うことが多かったので、

関西空港とは、事情が異なっていたのかもしれない。

とくに関西空港は、昨年の台風で大きな被害を受けてから、

関西人から、ちょっと敬遠されている嫌いがないわけではない。

(参照1:トラベルwatch 2018年9月6日22:59

そうでないにせよ、関空より伊丹の混雑がひどいことは、

ある意味、常識といっていいことだろう。

(参照2:KIX 2019 年夏季多客期間中における混雑状況

(参照3:ITAMI 夏季多客期間中は駐車場の混雑が予想されます。





しかしそうであれば、那覇空港の閑散さはどうしたことだろう?

ちなみに前年の入域観光客数は999万9000人という、一度目にしたら忘れられない数字だった。

間違いなく今年は、悲願の「1000万人」を超えるはず。

しかし、そのあとはどうだろう?と思わせられる。

昨年実績で、外国人の入域観光客数が約300万人。

台湾から90万人、中国から60万人、韓国から50万人というのが去年の実績。

もちろん今年も超大型のクルーズ船は引きも切らないが、

一方で、韓国人の観光客は引き続き明らかに減少する。

(参照4:平成 30 年度 沖縄県入域観光客統計概況
文化観光スポーツ部 観光政策課 平成 31 年 4 月発表


一昨年に比べて、台湾・中国はそれぞれ約10万人の増加だが(前者は空路、後者は航路の充実により)、韓国はさほど増えていない。

そして、それ以上の問題は、一昨年から昨年にかけての全体数の増加が、約30万人でとどまっていること。

なので、1000万人を超えるのが今年だけという可能性も、十分あり得ると思う。





そんなこともあって、今年9月にも沖縄に行きたかった。

過去3年間と比べて、どう変化しているかを見たかったのだ。

(参照5:9月の沖縄はキャンセルです、とても残念ですが・・・


もちろん「定点観測」というほど正確ではないのだが、

それでも、毎年9月初旬という時期は一定しているので、

観光客数の増減を、ある程度「実感」できると思っていたのだ。


せめて、同行者となる予定だった人たちに、写真をたくさん撮ってきてもらおうと思う。

あとは、去年に引き続き12月の沖縄に行くことができれば、6月とあわせて、ある程度の「実感」が得られるはず。

(と、何の成算もなく、ひとりで勝手にもくろんでいるのではあるが・・・)


  


2019年07月26日

沖縄から帰って、まだ1か月しかたっていないことが信じられない。(沖縄報告1906-8)

6月の沖縄について・・・

24日に帰って来てから、

ほとんど何も書いていない。

自分では、ずっと、そんな気がしている。

じっさいに、そうなのだろうと思う。


ちょうど1か月前に沖縄にいた、

今月の21日から24日にかけて、

そんなふうに思いながらすごした。



(2019.6.24 関西空港帰着)


べつに、書きたくないわけではない。

むしろ、たぶん、その逆である。


しかし、そのあと京都、静岡、また静岡と、

ほとんど毎週のように「沖縄以外の旅」を続け、

それら「目の前にあること」に対応しながら、

それらについて書いているうちに時間がたった。

今週末も、また静岡への帰省を予定している。

そんな日々の中で、時間が濃密に過ぎてゆく。


なので、7月24日には、沖縄から帰って、

ちょうど1か月だなんて信じられない気がした。

何回もそう思いながら、その1日を過ごした。

帰ってからもう3か月くらい過ぎた気分なのだ。


そんななかで、7月は、けっこう記事を更新してきた。

ただし、オフ(リアル)でつきあっているひとたちは、

記事の多いことが「元気」を意味しないことを知っている。

いわば、ただ「倒れていない」ことを示しているだけで、

ほんとうに元気なときは、あまり記事は進まない。

逆に、ほんとうに元気がない時も進まないのだが。


6月の沖縄の時点ですでにそうだったのだが、

こうやって何度も記事を書いているのは、

言葉はよくないのだが「気をまぎらわす」、

今月に関しては、そんな意味合いが大きい。

「いい加減」に書いているつもりはないのだが、

もっと書きたいことはあると思っていることも確か。


なので、たとえば選挙、そして政権運営、

あるいは京アニ、そして吉本のことなど、

気を入れて書きたい社会事象のことは、

きれいに、すっぽり、抜け落ちている。


それらについて考えていないわけではない。

リアルの仕事の場では、自分なりに語っている。

そのための準備には、それなりの時間をかけている。

(ただ、そんな仕事も、来週から2カ月弱の間は、

べつの仕事内容に切り替わるわけであるが・・・)



(2019.6.21 関西空港出発)


【追記】

「気をまぎらわす」という言い方は、

あまりよくないなぁと書きながら思い、

あとから読み返して、さらに思いました。

ただ、現状はその言葉が一番そぐわしい、

そのようにも、あらためて思うのです。

  


2019年07月20日

沖縄からの土産を静岡へ。(沖縄報告1906-7)

先週末に引き続いて静岡に帰省した。

先日は慌てて荷造りして持ち帰るのを忘れた、

北中城産のアーサと、もずくお茶漬けを土産に。

(軽くて持ち帰るのにいいんです。どちらも。

値段も手ごろだし。そのわりに喜ばれるし。)

これで、6月の沖縄から持ち帰った土産物は、

あらかた届けるべき先に届けたことになる。





1週間に2回帰るのは、ほんとうにひさしぶり。

1週間のうち4日以上実家にいるのも・・・。

いや、べつに沖縄フェアが目的なのではなく^^;





これだけ長く実家に滞在していると、いろいろ気づくことがある。

たとえば以前持ち帰った天才宮城光男サンのシーサーが、

吽形の1体だけだったことにあらためて気がついた。

これは、今度、阿形を持ち帰らなければいけないな。


この6月には、ひさしぶりにシーサー美術館に立ち寄って、

ご本人が出張中だったので、ちょいと伝言を残してきた。

(お弟子さんは、とても熱心に作業をしていましたよ。)

飲みすぎでテンション落としていた時期などもあったが、

近年また、精力的に製作に励んでいるのは、なにより。

実家に置いてあるシーサーはほぼ載せたと思っていたが、

(たとえば、実家の獅子の羽(シーサーその8)などなど。)

まだ紹介していないものも、いくつかあったようだ。

今はもうやっていない、かつてのハブボックス、

ムーンビーチ前で売っていたシーサーなど。





考えてみれば20年以上も前のものなので、

写真を撮ってみて、かなり年季が入ったなと、

今さらながら、つくづくと思うのであった。

(棚は、あと数年で作られてから50年になる。)





先日置いてきたのは、酉(鶏)と午(馬)の張り子。

6月の沖縄で同行者S氏の用務遂行のあいだに、

A氏とともにズージアムをうろうろして購入したもの。

両親の干支が酉と午なので、ちょうどいいと思って持ち帰った。





時の流れを止めることは誰にもできないが、

できることならば、よい流れであってほしい。

そんなことを思う、今日このごろ・・・。



  


2019年07月16日

超絶沖縄グルメ旅の続編を書こうと思ってはいたのだが・・・。の巻 (沖縄報告1906-6)

今月がはじまったころの記事(7月2日)に、

6月21日の首里での夕食を書こうとして、

消えたまま復元できなかったことを記した。

超絶沖縄グルメ旅、早くも行く手に暗雲ただよい始める!?の巻 (沖縄報告1906-2)


そのあと、なんとなく、また書いたので、

いったん「下書き」に入れようとしたのだが、

その作業の途中で、またもや消えてしまった。


で、あわてて「復元する」の作業をはじめると、

前回の二の舞だと思い、できるだけ落ち着いて、

「復元する」の作業を始めようとしたのであったが、

復元できたのは、書いていたのとは別の記事だった。

(このパターンは、ちょっと思い出せない経験だった。)


なんでだろう?さすがに2度続くと、ちょっと考えてしまう。


同行したA氏やS氏のことは書かないほうがいいのか、

首里大名町のあたりに何かの要因があるのだろうか、

はたまた、やはりグルメはぼくには似合わないのか。


職場から『首里の地名』(南島文化叢書)を持ち帰り、

いちおう大名町とその周辺には目を通したくせに、

それをまとめることはせずにグルメ記事に走った、

そのあたりの心根が、やはりまずかったのかも。


もちろん、それらが原因ではないはずだと思う。

とりわけ夕方以降になると急速に視力が落ちて、

ぼんやりとしか見えない状態で作業をしている、

そんな自分自身がいちばんの原因なのだろう。


というのも、サイドバーの「月間記事ランキング」を見て、

超絶沖縄グルメ旅の記事へのアクセスが多かったので、

ちょっと「グルメ旅」にこだわったという経緯があった。





とはいえ超絶どころか、実際は大東寿司だけで引っ張った。

それに、気がつけば、それらもじりじり下がってきている。


そのあとも、どこで「超絶」を出そうか、出せるのか、

ひじょうに迷っていたわけなのではあるけれど、

べつにそれはたいしたことではないので、

(どうでもいい、とは思わないが)

書きたい(書ける状態の)ときに、

書きたい内容を、書ける範囲で書く、

そういうことでいいのだと、改めて思う。



(2019.6.22 那覇市久米)


  


2019年07月14日

6月に、沖縄で出会った「鳥」たち。 (沖縄報告1906-5)

7月8日の記事、

「動物編」とは言いながら、

つまるところ、「鳥編」でしたね。

(それって「鳥」か?という意見も、

もちろん、おありでしょうけれど・・・。

いえいえ、「鳥」です、まちがいなく・笑)


京都の報告もさることながら、

沖縄報告がとだえて1週間たち、

セブン-イレブンの沖縄県内出店に、

思わず反応してしまったので、

つづけて投稿しようかな、と思います。

とりあえず「鳥編」つながり、ということで・・・。



(那覇市泊)


22日朝、駐車場に行く途中で、

リュウキュウヒヨドリ(スーサー)を見かけました。

早朝からホテルの周辺で鳴いていたので、

「いるんだな」とは思っていたのですが。

内地では、絶対に聞くことのできない、

独特な鳴き声なので、すぐわかります。


ただ、こんなに近くで見られるとは思わず、

あまりに近づきすぎて心配になったくらい。

ずいぶん人間慣れしている雰囲気でした。


朝まで仕事をしていた22日だけでなく、

この後、彼ら(の声)は、23日、24日と、

3日間、那覇の朝に彩りを与えてくれました。




(那覇市前島)


同じ日、見かけたのは、鳩。

リュウキュキジバトですね。

ズアカアオバト(緑鳩)だったら、

もっとよかったのかもしれませんが、

いえいえ、キジバトでも十分うれしい。


雨の中で、ちょっと寒そうでしたけれど。

ま、でも、彼らの羽は耐水性に優れているし、

寒ければ上の写真のように膨れるので、

ぼくらが思うほど寒くはないのかもしれません。


到着翌日の朝に出会った彼らのおかげか、

この日は、たくさんの「鳥」たちに出会いました。

では、とりまとめて・・・。



(沖縄市胡屋)



(那覇市久米)



(同前)


翌日(23日)は、30周年のひめゆり記念館に寄るなど、

午前中は、

式典が終わるころに平和祈念公園に到着しました。


その途中、ひめゆりの塔前で待っていてくれたのも、

この日もまた、リュウキュウヒヨドリでした。

さすがに泊のヒヨドリでは、なかったと思うのですが。



(糸満市米須)


この日も、ヒヨドリのおかげか、

たくさんの「鳥」たちが・・・。



(那覇市寄宮)



(糸満市摩文仁)



(南城市知念)



最終日(4日目)の24日は、

午前中を新しい県立図書館で過ごしました。

周辺は、まだ工事中のところも残っていて・・・。



(那覇市泉崎)


以上、とりどりの「鳥」を紹介してきました。

「沖縄の」というわけではないのですが、

初日(21日)の「鳥」も紹介しておきます。



(大阪府泉州空港)


じつは、関西空港(関空島)は、

対岸の自治体(泉佐野市・田尻町・泉南市)に、

対応するかたちで3つの自治体に分かれていて、

それぞれ泉州空港北・中・南という住所なのですが、

写真がそのうちのどこだと言われれば、

たぶん「泉州空港中」なんじゃないか、と・・・。





で、こちらは、住所まったくわかりません。


とりとめのない話に終始しましたが、

とりあえず付け加えておきます。

とり急ぎ・・・。


  


2019年07月11日

沖縄のコンビニ・バトル、いよいよ今日から新たな段階に突入ですね。(沖縄報告1906-4)


(201819.6.24)


いよいよ、セブン-イレブンの開店ですね。


もちろん大いに関心はあります。

沖縄最初のコンビニである1986年のホットスパー1号店や、

1987年のファミマ出店には間に合いませんでしたが、

1997年のローソン出店(47都道府県達成)以降は、

自分なりに推移を見守ってきましたので。


たしかに、地元で専用工場や配送センターを整備し、

地元の製造業とタイアップして活性化をはかるなど、

満を持しての出店ということなのだろうと思います。


ただ、ファミマのように地元企業との共同出資でもなく、

ローソンのように合弁会社の形をとるわけでもなくて、

現在でさえ過当競争気味の沖縄への大量出店は、

地元企業へのどれだけの打撃があるでしょうか・・・。


当初(最大値)の3年で350店舗からは後退しましたが、

今後5年間で250店舗進出時の勢力地図は、

(もちろん、従来からの小売業全体を見渡して)

どうなっているのだろうかと心が重くなります。


このまま、よけいなことまで書いてしまいそうで、

今はしばらくコメントを控えておきます。

あしからず。


【追記】

写真が2018年のはずはありません。

2019年6月24日です。ぼけています・汗

こっそり直しておこうとも思ったのですが、

直したことすら忘れそうなので追記します。


  


2019年07月05日

ぼくらが切り取ることのできるものの質量は、いったいどれくらいのものなのだろう?(沖縄報告1906-3)

6月22日、ぼくらはコザに向けて出発し、

その後、あらためて名護へと北上した。

そして、北谷から宜野湾・浦添をへて、

夜になってから那覇へともどってきた。


その日の写真を見返していた時に、

ふと、頭に浮かんだ言葉があった。

それが、今回の記事のタイトルである。


雨に塗りつぶされたような写真ばかりを見て、

思わず、そんな言葉が思い浮かんだわけだが、

それは、いくら天気がよくても一緒のことだろうし、

どれほどクリアな写真でも、結局は同じことだろう。


























クルマに乗ると、前を走るクルマすら見えない、

そんな激しい雨の中を移動してもらったのだが、

目的地に着いてクルマを降りるころになると、

雨が上がっていてくれるということが続いた。

なので、あまり雨に降られたという気がしない。


そして、再び激しくなった雨に促されるように、

クルマに戻って、その場を離れるのだった。


7月5日、「名護の日」なので、できるならば、

名護のことを書こうと思ったのであったが、

今回は、名護と言っても東海岸を北上し、

そのまますぐ自動車道に乗って南下した、

わずかにそれだけのことであったので、

ほとんど名護について書くことがない。

(同行者が行きたいと言っていた場所は、

なぜか、よくわからない理由で断られた。)

もちろん、それでも雨の中を往復してくれた、

サポートがあってこそ、行って来れたわけで。


カレンダーが7月になってしまったので、

ちょっと距離感がつかみにくくなっているが、

沖縄から帰って、今日でまだ10日。

それ以上に、(梅雨を連れて帰ったから?)

同じ(少なくとも地続きの、というか雲続きの)

空気の中にいる、そんな気持ちが続いている。


  


2019年07月02日

超絶沖縄グルメ旅、早くも行く手に暗雲ただよい始める!?の巻 (沖縄報告1906-2)

前回の記事の最後の写真を見て気づいたのですが、

寿司をつくっているのは那覇市内なのですね。

(今回泊まったホテルのすぐご近所でした。)





と、いうことは、つまり・・・

サワラのしょうゆ漬けを現地でつくり、

それを那覇まで空輸して寿司にしている、と。

おそらく、そういうことなのでしょう。


それでも大東寿司であることに変わりはなく、

とてもおいしかったということも事実なのです。


ただ、ほんとうの大東寿司は南大東島にあり、

それは行った人だけが食べられるということも、

また一面の真実である、ということなのでしょう。





さて、21日に沖縄に到着して向かったのは首里。

その行き先はまた後日(たぶん)書くこととして、

(というより、皆さんもう「お見通し」でしょうね・笑)

われわれが、まず向かったのは、首里大名町。


・・・と、このあと21日の夜に行った場所のことを、

書いたのですが、途中で一旦下書きに入れようとして、

・・・消えました😪

あわてて復元しようとして、手順を間違えたのでしょう。


たしかに、ちょっと迷った部分はあったのです。

目的は、同行者の調査の取材先だったので。

何をどこまで書けばいいのか控えるべきなのか、

そんなふうに迷いながら、なんとなく書き進めて、

どうしようかと思いつつ下書きに入れ・・・ようとして、

「時間切れ」の表示が出たので、あわてたわけです。


じっさい、迷うと消えます。よくあることです。

もし、消えたものが舞い戻ってくれば、また書きましょう。

そのまま消えてしまえば、それはそういう運命だったということで。


食べてしまった大東寿司も、もう消えてしまったわけですが、

もし縁があれば、また食べられるというわけで(ちがうか?)😇





首里の道、ほんとうに好きです。

静かですし、なんとなく落ち着きますし、ね。


クルマで走るのは、ちょっときつかったりしますが、

かといって、歩いて回るのも、かなり大変ですし。

(以前、炎天下を歩き回って、くらくらになってしまい、

助けてもらったことがあります。軽い熱中症だったと、

あとから考えて気づきましたが、そんな思い出もあり。)

時間に余裕があるときには、よく首里に向かいます。





今回は、レンタカーを借りてすぐ首里へと向かい、

まだ明るいうちから2時間ほど首里で過ごしました。


で、気がついたのですが、首里の食事の写真がない。

なぜなのかは、消えてしまった中に書いたのですが、

食事に行った先が取材先でもあったので、

写真を撮っているひまがなかった、というよりは、

写真を撮るのが、なんとなく、はばかられる雰囲気で。


「超絶沖縄グルメ旅」などと銘打って始めてしまったのに、

最初の食事から、写真がない、というのも、なんだかなぁ。





ま、なんとかします。


それまで、しばらく、

大東寿司の写真でも見て、

待っていてくださいな😅