2007年01月13日
潮間の前 (すーまぬめぇ補遺)
いちおう・・・お休み中なので、こっそり^^;
「すーまぬめぇ」について書いた。
すーまぬめぇの謎 http://bin.ti-da.net/e785526.html
つまり、「すーまぬめぇ」というのが、どういう意味なのか。
しばらくして、こんなふうに書いてあるサイトを見つけた。(今は、この文章は消えている)
後日、隣で食べているお客さんが店員さんに聞いてました。
「すーまぬめぇ」ってどういう意味ですか?
すると、
「屋号です。城間・・・とかなんとか・・・の・・・」
で、「すーまぬめぇ」は、「城間の前」だと考えた。
すーまぬめぇの謎、再び http://bin.ti-da.net/e928598.html
さてさて、すーまぬめぇにつれて行ってくれたハーリーさんの最近の記事。
今日も^^(ハーリーのなんとなく。。)
http://hurri.ti-da.net/e1253042.html
ちゃんと書いてあるし(笑)
画像借りるよっ。
これこのとおり(^-^)/

屋号の愛称
すーまぬめえ
潮間家の前という意味
なーんだ。
つまり、「城間」ではなく、「潮間」だったわけだ。
「潮間の前」なので、「すーまぬめぇ」。うーむ・・・^^
波打ちぎわのことをウチナーグチで「潮口(スークチ)」という。
スーチカも、「塩漬け」のことだよね。字は違うけど、「潮」と「塩」の発音は同じ。
だから、「潮間」は「スーマ」になるんだね。
潮間さんという苗字は知らないが、潮間という言葉はある。
http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv1-tospc&p=%c4%ac%b4%d6
こんな本もあった。
http://www.pref.okinawa.jp/akatsuchi/data/324.htm
言葉自体は、ずいぶん昔からある。
『とりかへばや物語』の頃、つまり平安時代には「しおがい」と言ったようだ。
伊勢の海の きよき渚に 潮間(しほがひ)に なのりそや
摘まむ 貝や拾はむや 玉や拾はむや
渚(なぎさ)のことを意味するのだろう。ここは同義反復であるから。
「潮間」さん、おそらく、かつては海べりにあったので「潮間」が屋号になったのだろう。
そして、「すーまぬめぇ」(潮間の前)さんは、潮間さんの前に建っていたことになる。
「前」というのは「手前」のことだろう。屋号は、つまり「目印」なので。
「すーまぬめぇ」、いまは住宅地の真中にあるけれど、かつてはきっと海べりだった。
そんな情景が、いっぺんに目の前に広がるようであったのだ。
・・・思わず、出てきてしまったねぇ。
ハーリーさんのせいだねぇ(笑)
でも、これは出てこないとだねぇ。
ま、10日以上休んだからいいか(苦笑)
というわけで、またお休みに戻ります。
やっぱ、行ってみないといけないよな。
頭で考えてるより、自分の足で行ってみないと。
ていうか・・・本場の沖縄そば食べたい・・・
2006年07月29日
沖縄報告109 砂糖車
メールをいただいたのだ。
「沖縄報告は、もう削除してしまったのですか?」といった趣旨の。
返事を書いた。
「いえ、削除していません。「沖縄報告」でブログ内検索していただければ出てきます」と。
そんな昔の記事を読んでいただいているなんて、とてもありがたい。
「沖縄報告」で、じっさいに検索してみた。
「沖縄報告」以外のものも入ってくる。
そして、肝心の「沖縄報告」は・・・
今年の1月30日、「沖縄報告108 チャーギ探偵団」で止まったままだ。
じつは、ずっと前に109を書き、
タイミングがつかめずに下書きにしたままだった。
109は、「砂糖車」。
「サーターグルマ」と振り仮名を振るが、
実際には「サーターグーマ」に近い発音だろう。
そして、その機械(からくり)全体が「砂糖車」と呼ばれ、
サトウキビを圧縮する「車」の部分もまた「砂糖車」と呼ばれる。
ちょうど、自動車もタイヤも「クルマ」と呼ばれるようなものだ。

(中村家住宅の砂糖車)
たまたま、1週間前(6月23日)の朝日新聞朝刊(大阪版、13版)の、
投書欄「声」に載った写真(コンクールの入選作が毎日1枚が載るのだ)が、
琉球村の砂糖車だった。
モノクロームの写真が、延々とまわり続ける砂糖車のけだるさを切り取っていた。
「サーターグルマ的オキナワンチルダイ」
そして、ここしばらく遊び道具にしていた「沖縄フェア」で
買いこんだ商品の多くが沖縄産黒糖を含んでいた。
まだ手元にあるものだけで、
ロッテの「黒糖パインガム」(^-^д
明治製菓の「チェルシー黒糖」
リボンの「沖縄ミックスキャンディー」。
もう食べてしまったものが、
黒糖チョコレート
黒糖モナカアイス
黒糖メロンパン
黒糖ドーナツ(サータアンダギー)
黒糖クレープロールケーキ(!)
残念ながら食べられなかったものが、
黒糖わらび餅
黒糖水まんじゅう
商品数は合計46アイテムとなり、
食品から雑貨までカテゴリーも多岐にわたります。
(内、29アイテムは沖縄産の
①シークァーサー
②パイナップル
③タンカン
④黒糖
を主原料としたデザートや飲料、菓子類をオリジナル商品として発売。 )
(「ebiです。何か書きましょね~沖縄」参照。改行は引用者)
46品目のうち29品目を占める「デザートや飲料、菓子類」に用いられた
4種類(シークヮーサー・パイナップル・タンカン・黒糖)の原材料中でも、
(ただし、ここには「塩」が抜けている)
用いられている品目数の圧倒的に多いのは、黒糖であった。
かつて沖縄から内地への「輸入」総量の約9割を黒糖が占めた時代があったことを
ふと思い出したのである。
その黒糖を作り出すために用いられた砂糖車。
いまは琉球村のほかでは玉泉洞(新しい名前がおぼえられない・涙)で見ることができるくらいだが、
その存在を知らない人は、ほとんどいないだろう。
ぼく自身は、開園前の琉球村でロケをした『ウンタマギルー』の砂糖車が、とても印象に残っている。
「沖縄報告は、もう削除してしまったのですか?」といった趣旨の。
返事を書いた。
「いえ、削除していません。「沖縄報告」でブログ内検索していただければ出てきます」と。
そんな昔の記事を読んでいただいているなんて、とてもありがたい。
「沖縄報告」で、じっさいに検索してみた。
「沖縄報告」以外のものも入ってくる。
そして、肝心の「沖縄報告」は・・・
今年の1月30日、「沖縄報告108 チャーギ探偵団」で止まったままだ。
じつは、ずっと前に109を書き、
タイミングがつかめずに下書きにしたままだった。
109は、「砂糖車」。
「サーターグルマ」と振り仮名を振るが、
実際には「サーターグーマ」に近い発音だろう。
そして、その機械(からくり)全体が「砂糖車」と呼ばれ、
サトウキビを圧縮する「車」の部分もまた「砂糖車」と呼ばれる。
ちょうど、自動車もタイヤも「クルマ」と呼ばれるようなものだ。
(中村家住宅の砂糖車)
たまたま、1週間前(6月23日)の朝日新聞朝刊(大阪版、13版)の、
投書欄「声」に載った写真(コンクールの入選作が毎日1枚が載るのだ)が、
琉球村の砂糖車だった。
モノクロームの写真が、延々とまわり続ける砂糖車のけだるさを切り取っていた。
「サーターグルマ的オキナワンチルダイ」
そして、ここしばらく遊び道具にしていた「沖縄フェア」で
買いこんだ商品の多くが沖縄産黒糖を含んでいた。
まだ手元にあるものだけで、
ロッテの「黒糖パインガム」(^-^д
明治製菓の「チェルシー黒糖」
リボンの「沖縄ミックスキャンディー」。
もう食べてしまったものが、
黒糖チョコレート
黒糖モナカアイス
黒糖メロンパン
黒糖ドーナツ(サータアンダギー)
黒糖クレープロールケーキ(!)
残念ながら食べられなかったものが、
黒糖わらび餅
黒糖水まんじゅう
商品数は合計46アイテムとなり、
食品から雑貨までカテゴリーも多岐にわたります。
(内、29アイテムは沖縄産の
①シークァーサー
②パイナップル
③タンカン
④黒糖
を主原料としたデザートや飲料、菓子類をオリジナル商品として発売。 )
(「ebiです。何か書きましょね~沖縄」参照。改行は引用者)
46品目のうち29品目を占める「デザートや飲料、菓子類」に用いられた
4種類(シークヮーサー・パイナップル・タンカン・黒糖)の原材料中でも、
(ただし、ここには「塩」が抜けている)
用いられている品目数の圧倒的に多いのは、黒糖であった。
かつて沖縄から内地への「輸入」総量の約9割を黒糖が占めた時代があったことを
ふと思い出したのである。
その黒糖を作り出すために用いられた砂糖車。
いまは琉球村のほかでは玉泉洞(新しい名前がおぼえられない・涙)で見ることができるくらいだが、
その存在を知らない人は、ほとんどいないだろう。
ぼく自身は、開園前の琉球村でロケをした『ウンタマギルー』の砂糖車が、とても印象に残っている。
2006年05月04日
破壊って何? (聖地報告3)
前の記事に、つい「破壊」と書いた。
でも、「破壊」って、一体なんだろう?
たとえば、グスクの遺構である石段に、
パイプの手すりをつけるのは、破壊?

じつは、この階段をのぼったところには私有地がひろがっている。
かつてはグスクの域内であったはずの場所なのだが、
かつてのグスク内に民家を建てて住むことは、破壊?
たまたまそこに住む住人の方と出会って話をしたのだ。
大阪から来たと言うと、「そんなに遠くから」とおどろかれた。
とても気前のよい方で、「ここは本来グスク内では?」とは到底聞けなかった。
少し前に、世界遺産に落書きをしてつかまった修学旅行生のニュースがあった。
落書きは、もちろん文化財の破壊であるけれど、
では、大里グスク内の東屋に書かれた「城」の大文字は?(前の記事参照)
この東屋が、いつ、誰によって、どんな目的で建てられたのか、
調べた限りの情報からは、わからなかった・・・
現状に手を加えることが、すべて破壊ではないだろう。
では、どの範囲までが、許されるものだろうか?
もちろんそれは、ケースバイケース。
文化財に限ってみても、千差万別であるにちがいない。
思い出すのは、高松塚古墳にキトラ古墳。
破壊を目的にしない、結果的な破壊というものもある。
そして、もの皆、自然状態におけば劣化してゆく。
つまり、ゆっくりと破壊し、破壊され続ける。
それを防ごうとする手立てが、どこまで「保存」であり、
そして、どこからが「破壊」なのだろうか・・・
人間が踏み込んで歩けば、
劣化の速度は必ず早まる。
では、「観光地化」というのは、
「破壊の手助け」とも言い換えうる。
しかし、観光地化することで(収入が確保されることで)
保存が可能になるというケースも、多々存在するのだ。
たくさんの人がくることで劣化(破壊)の速度が早くなり、
しかし、入場料その他の収入で現状保存がなされるのと、
観光地化には距離を置き、そのために自然劣化にまかせたまま
静かに、誰にも知られることなく朽ちてゆくのと、どちらが「破壊」なのだろう?
「人」がいて、「物」がある。
「物」は、「人」によってつくられる。
つくられた「物」は、しばしば「人」を縛る。
ただし、物には「物の記憶」がある。
土地には「土地の記憶」というものがある。
たとえば、米軍基地に摂取されたウタキは聖地か?
もちろん、その場所・土地が存在する限り、聖地であろう。
そのような「土地の記憶」「土地の来歴」をフェンスが阻害するのであれば、
それはいくら現状保存されていても、「破壊」なのではないかと思う。
聖なるものが破壊される。
破壊した者は、聖なるがゆえに破壊したのか。
それとも、そんなことは考えもせず破壊したのか。
破壊とは、「物」自体に付随するのか。
それとも、それを破壊と考える「人」に付随するのか。
ひとつ間違いのないことは、
破壊は、「物」だけを損なうのではなく、
しばしば、「人」をも損なうということ。
破壊されたと感じた「人」がいれば、
やはりそれは「破壊」なのだと思う。
社会性の網の目の中で、
「破壊」と感じる最低限の線引きは
やはり保たれるべきなのだろう。
とりとめもなく、そんなことを考える。
考えがまとまったわけではない。
でも、「破壊」って、一体なんだろう?
たとえば、グスクの遺構である石段に、
パイプの手すりをつけるのは、破壊?
じつは、この階段をのぼったところには私有地がひろがっている。
かつてはグスクの域内であったはずの場所なのだが、
かつてのグスク内に民家を建てて住むことは、破壊?
たまたまそこに住む住人の方と出会って話をしたのだ。
大阪から来たと言うと、「そんなに遠くから」とおどろかれた。
とても気前のよい方で、「ここは本来グスク内では?」とは到底聞けなかった。
少し前に、世界遺産に落書きをしてつかまった修学旅行生のニュースがあった。
落書きは、もちろん文化財の破壊であるけれど、
では、大里グスク内の東屋に書かれた「城」の大文字は?(前の記事参照)
この東屋が、いつ、誰によって、どんな目的で建てられたのか、
調べた限りの情報からは、わからなかった・・・
現状に手を加えることが、すべて破壊ではないだろう。
では、どの範囲までが、許されるものだろうか?
もちろんそれは、ケースバイケース。
文化財に限ってみても、千差万別であるにちがいない。
思い出すのは、高松塚古墳にキトラ古墳。
破壊を目的にしない、結果的な破壊というものもある。
そして、もの皆、自然状態におけば劣化してゆく。
つまり、ゆっくりと破壊し、破壊され続ける。
それを防ごうとする手立てが、どこまで「保存」であり、
そして、どこからが「破壊」なのだろうか・・・
人間が踏み込んで歩けば、
劣化の速度は必ず早まる。
では、「観光地化」というのは、
「破壊の手助け」とも言い換えうる。
しかし、観光地化することで(収入が確保されることで)
保存が可能になるというケースも、多々存在するのだ。
たくさんの人がくることで劣化(破壊)の速度が早くなり、
しかし、入場料その他の収入で現状保存がなされるのと、
観光地化には距離を置き、そのために自然劣化にまかせたまま
静かに、誰にも知られることなく朽ちてゆくのと、どちらが「破壊」なのだろう?
「人」がいて、「物」がある。
「物」は、「人」によってつくられる。
つくられた「物」は、しばしば「人」を縛る。
ただし、物には「物の記憶」がある。
土地には「土地の記憶」というものがある。
たとえば、米軍基地に摂取されたウタキは聖地か?
もちろん、その場所・土地が存在する限り、聖地であろう。
そのような「土地の記憶」「土地の来歴」をフェンスが阻害するのであれば、
それはいくら現状保存されていても、「破壊」なのではないかと思う。
聖なるものが破壊される。
破壊した者は、聖なるがゆえに破壊したのか。
それとも、そんなことは考えもせず破壊したのか。
破壊とは、「物」自体に付随するのか。
それとも、それを破壊と考える「人」に付随するのか。
ひとつ間違いのないことは、
破壊は、「物」だけを損なうのではなく、
しばしば、「人」をも損なうということ。
破壊されたと感じた「人」がいれば、
やはりそれは「破壊」なのだと思う。
社会性の網の目の中で、
「破壊」と感じる最低限の線引きは
やはり保たれるべきなのだろう。
とりとめもなく、そんなことを考える。
考えがまとまったわけではない。
2006年05月03日
破壊されたグスク (聖地報告2)
現在の中城城址から、往時の中グスクを想起することはさほど困難ではない。
主な遺構は、かなりの度合い復元が進んでいるからだ。
それも、学術的調査にもとづいた、きわめて周到な復元である。
そのような意味で、むしろ現在の中城城跡に、かつて遊園地があったことを想像するほうがむずかしい。
ただしかし、われわれは、いくらでも「破壊されたグスク」を目にすることができる。
それも、中グスクと同程度以上の大きさを持ち、同時代に存在したグスクを。
そして、そのようなグスク跡にたたずんでみると、
たとえば現在世界遺産指定されたグスク跡のいずれもが、
多かれ少なかれ「破壊されたグスク」であった事実に改めて気づかされる。

その一番手としてあげておきたいのが、大里グスクである。
こんもりと盛り上がった地形の上にひろがる様子といい、
第2次世界大戦の前後に破壊された経緯といい、その後の推移といい、
現在の大里グスク跡は、往時の中グスク跡を思わせる要素に満ちている。

破壊されたとはいえ、遺構をうかがわせる石垣はわずかに現存しており、
そして、いくつかある拝所(ウガンジョ)は、その機能を維持している。
この3月の沖縄訪問で、この大里グスクは予想以上に大きな収穫だった。
近隣に住んで、戦前からの大里グスクの推移を目の当たりにしてこられた方に、
かなり長い時間、詳しくお話をうかがえるという幸運も重なった。
そのお話から、かつての大里グスクの様子をかなりの程度想像することができた。
現在、15ヵ年計画で大里グスクの復元計画が進んでいるという。
しかし、むしろぼくなどは、ほとんど「何もない」大里グスクの遺構にたたずんで、
かつての姿を幻視してみることのほうが、ずっと意味があるような気がしている。
(たとえば中グスクとは異なり、すでに持ち去られた石垣の大部分は現状復帰不可能。
すなわち首里グスクのように、わずかに残った遺構を、
新しくつくったレプリカが覆うという形にならざるをえない。
首里グスクであれば、それはそれで十分に意味のある「復元」であったが)
別の言い方をすれば、「ここ」もまた他と区別のつかぬ復元(化粧)を施され、
そしてお決まりの観光地化されることに対して、いささかの疑問を禁じえない。
もちろん、地元の方にとって観光収入が大事であることは理解したうえで。
ところで、この大里城址にも、中城城址のような遊園地があったのだという。
むしろ、今回見た大里城址からは、「かつてあった遊園地」を容易に想像できた。
グスク機能を破壊されたまま放置されているというだけではなく、
かつて遊園地であったことを示す「遺跡」が、わずかに残っていたからだ。

グスクの廃墟であり、遊園地の廃墟でもある大里城址、
その眺望は勝連グスク跡に勝るとも劣らない。
主な遺構は、かなりの度合い復元が進んでいるからだ。
それも、学術的調査にもとづいた、きわめて周到な復元である。
そのような意味で、むしろ現在の中城城跡に、かつて遊園地があったことを想像するほうがむずかしい。
ただしかし、われわれは、いくらでも「破壊されたグスク」を目にすることができる。
それも、中グスクと同程度以上の大きさを持ち、同時代に存在したグスクを。
そして、そのようなグスク跡にたたずんでみると、
たとえば現在世界遺産指定されたグスク跡のいずれもが、
多かれ少なかれ「破壊されたグスク」であった事実に改めて気づかされる。
その一番手としてあげておきたいのが、大里グスクである。
こんもりと盛り上がった地形の上にひろがる様子といい、
第2次世界大戦の前後に破壊された経緯といい、その後の推移といい、
現在の大里グスク跡は、往時の中グスク跡を思わせる要素に満ちている。
破壊されたとはいえ、遺構をうかがわせる石垣はわずかに現存しており、
そして、いくつかある拝所(ウガンジョ)は、その機能を維持している。
この3月の沖縄訪問で、この大里グスクは予想以上に大きな収穫だった。
近隣に住んで、戦前からの大里グスクの推移を目の当たりにしてこられた方に、
かなり長い時間、詳しくお話をうかがえるという幸運も重なった。
そのお話から、かつての大里グスクの様子をかなりの程度想像することができた。
現在、15ヵ年計画で大里グスクの復元計画が進んでいるという。
しかし、むしろぼくなどは、ほとんど「何もない」大里グスクの遺構にたたずんで、
かつての姿を幻視してみることのほうが、ずっと意味があるような気がしている。
(たとえば中グスクとは異なり、すでに持ち去られた石垣の大部分は現状復帰不可能。
すなわち首里グスクのように、わずかに残った遺構を、
新しくつくったレプリカが覆うという形にならざるをえない。
首里グスクであれば、それはそれで十分に意味のある「復元」であったが)
別の言い方をすれば、「ここ」もまた他と区別のつかぬ復元(化粧)を施され、
そしてお決まりの観光地化されることに対して、いささかの疑問を禁じえない。
もちろん、地元の方にとって観光収入が大事であることは理解したうえで。
ところで、この大里城址にも、中城城址のような遊園地があったのだという。
むしろ、今回見た大里城址からは、「かつてあった遊園地」を容易に想像できた。
グスク機能を破壊されたまま放置されているというだけではなく、
かつて遊園地であったことを示す「遺跡」が、わずかに残っていたからだ。
グスクの廃墟であり、遊園地の廃墟でもある大里城址、
その眺望は勝連グスク跡に勝るとも劣らない。
2006年05月03日
遊園地だった (聖地報告1)
中城城址が遊園地だったこと、知っていますか?
中城公園遊園地。
http://candy.fishbowl.rm.st/hl/i.cgi?l=11
ネットを散歩すれば、断片的な情報が載っている。
http://www.kanshin.jp/rojiura/index.php3?mode=keyword&id=421271
今年1月13日のNHK沖縄「写真が語る沖縄」のコーナーで、
1963年当時の写真が紹介されたようだ。
沖縄初の遊園地
多いときには入場者1日30000人
40歳代以上の人には懐かしい、と。

ぼくは、3月12日に、はじめて写真を見せていただいた。

これは、その時の写真の一部分。
遺(のこ)った石垣はそのままに、
1960年代としては、かなり大掛かりな遊具が設置してあるようだ。
さて・・・遊園地と聖地。
どうつながるだろうか。
遊園地は、一種の聖地と言えなくはない。
ただし、そこは決して「祈りの場」ではない。
おそらく、御嶽は遊園地の間にも機能を保持し続けたとは思うのだが。
しかし、1日3万人もの入園者があって、どの程度保存できたかは未詳。
「中城公園遊園地の研究」、だれかが書いていてくれないだろうか。
沖縄に、そういうことにめっぽう詳しい橋爪伸也がいてくれたらいいのに。
ただしかし、いまぼくらが遊園地だと思って遊んでいる場所も、
100%かつての聖地ではなかったと、誰が保証できるだろうか。
沖縄であっても内地であっても。いや、世界中のどこでも。
中城城址の遊園地化、城跡の保護であったと記すものもある。
http://www.dab.hi-ho.ne.jp/maggie/panauru5.html
ただし、アメリカ側の後押しによって遊園地化されたと記すものもある。
http://happyland.kt.fc2.com/voice.html
聖地のイメージに遊園地を重ね、いささか落ち着かない気分になる。
ただ、それは殺伐としただけの落ち着かなさなのではない。妙な気分だ。
中グスクの聖林が、あまり問題にされることなく伐採されてしまった理由。
そのひとつに、かつてここが遊園地(遊戯施設)だったことがあるのではないか。
世界遺産に指定されたとしても、かつて存在したもののイメージは、たやすく消えることはない。
もちろん理由はそれだけではないと思うのだが・・・
中城公園遊園地。
http://candy.fishbowl.rm.st/hl/i.cgi?l=11
ネットを散歩すれば、断片的な情報が載っている。
http://www.kanshin.jp/rojiura/index.php3?mode=keyword&id=421271
今年1月13日のNHK沖縄「写真が語る沖縄」のコーナーで、
1963年当時の写真が紹介されたようだ。
沖縄初の遊園地
多いときには入場者1日30000人
40歳代以上の人には懐かしい、と。
ぼくは、3月12日に、はじめて写真を見せていただいた。
これは、その時の写真の一部分。
遺(のこ)った石垣はそのままに、
1960年代としては、かなり大掛かりな遊具が設置してあるようだ。
さて・・・遊園地と聖地。
どうつながるだろうか。
遊園地は、一種の聖地と言えなくはない。
ただし、そこは決して「祈りの場」ではない。
おそらく、御嶽は遊園地の間にも機能を保持し続けたとは思うのだが。
しかし、1日3万人もの入園者があって、どの程度保存できたかは未詳。
「中城公園遊園地の研究」、だれかが書いていてくれないだろうか。
沖縄に、そういうことにめっぽう詳しい橋爪伸也がいてくれたらいいのに。
ただしかし、いまぼくらが遊園地だと思って遊んでいる場所も、
100%かつての聖地ではなかったと、誰が保証できるだろうか。
沖縄であっても内地であっても。いや、世界中のどこでも。
中城城址の遊園地化、城跡の保護であったと記すものもある。
http://www.dab.hi-ho.ne.jp/maggie/panauru5.html
ただし、アメリカ側の後押しによって遊園地化されたと記すものもある。
http://happyland.kt.fc2.com/voice.html
聖地のイメージに遊園地を重ね、いささか落ち着かない気分になる。
ただ、それは殺伐としただけの落ち着かなさなのではない。妙な気分だ。
中グスクの聖林が、あまり問題にされることなく伐採されてしまった理由。
そのひとつに、かつてここが遊園地(遊戯施設)だったことがあるのではないか。
世界遺産に指定されたとしても、かつて存在したもののイメージは、たやすく消えることはない。
もちろん理由はそれだけではないと思うのだが・・・
2006年04月26日
報告(縄)
しばらく着ていなかったジャケットのポケットから
こんなものが出てきた。
(大阪は昼になっても底冷えがして寒いくらいなのだ)

おお!これは。
3月11日のオフ会で、pyoさんのだんなさんTROさんからもらったもの。
ボーイスカウトのローピング(縄結び)仕込みの見事なロープワーク。

ライターでロープを焼き切っているので「なんだろう?」とは思ったのだが、
ちょっと目を離した隙にTROさんはこれをつくって、
机の上に置き、「どうぞ」とおっしゃったのだ。
たぶんきっと3月の沖縄を思い出したので、
ふらりと出てきてくれたのだろう。
いいでしょ?(^-^b
「結ぶこと」にかかわる呪力。
「結んだもの」のもつ美しさ。
「結ぶ」という言葉の重さ。
まとまったことをなかなか考えられない時間の中で
思いつくままに、そんなことを頭に思い浮かべている。
こんなものが出てきた。
(大阪は昼になっても底冷えがして寒いくらいなのだ)
おお!これは。
3月11日のオフ会で、pyoさんのだんなさんTROさんからもらったもの。
ボーイスカウトのローピング(縄結び)仕込みの見事なロープワーク。
ライターでロープを焼き切っているので「なんだろう?」とは思ったのだが、
ちょっと目を離した隙にTROさんはこれをつくって、
机の上に置き、「どうぞ」とおっしゃったのだ。
たぶんきっと3月の沖縄を思い出したので、
ふらりと出てきてくれたのだろう。
いいでしょ?(^-^b
「結ぶこと」にかかわる呪力。
「結んだもの」のもつ美しさ。
「結ぶ」という言葉の重さ。
まとまったことをなかなか考えられない時間の中で
思いつくままに、そんなことを頭に思い浮かべている。
2006年04月26日
報告(ホテルの窓から)
p-souのP(って何?)を見たホテルの窓から
那覇の街をながめたのだ。
なかなか起きない奴がいたりしたので時間はたっぷりあった。

ばあちゃんは、「はしたないよ」と言うのだろうけれど、
ぼくはホテルの窓から街並みをながめるのが大好き。
知らない街でも、知っている街でも。

時々、街並みをながめるために大阪のホテルに泊まったりする。
自分でも「なんでやろ?」と思うのだけれど、好きなものは仕方ない。

沖縄の屋上は中国の福建省に似ている。
この写真を見ながら、そう思った。
ぼくはビルの屋上景観にはまったくの素人なので、
ただ単純にそう思っただけなのだ。
那覇の街をながめたのだ。
なかなか起きない奴がいたりしたので時間はたっぷりあった。
ばあちゃんは、「はしたないよ」と言うのだろうけれど、
ぼくはホテルの窓から街並みをながめるのが大好き。
知らない街でも、知っている街でも。
時々、街並みをながめるために大阪のホテルに泊まったりする。
自分でも「なんでやろ?」と思うのだけれど、好きなものは仕方ない。
沖縄の屋上は中国の福建省に似ている。
この写真を見ながら、そう思った。
ぼくはビルの屋上景観にはまったくの素人なので、
ただ単純にそう思っただけなのだ。
2006年04月25日
報告(P)
3月12日、那覇のホテルで2時間ほど眠って、起きた。
窓を開ければ港が見える
もとい。窓を開ければ、目の前にパーキングビル。

パーキングビル・・・
!

思わずこの人を思い出した。
最近どうもイメチェンをはかっているようではあるが・・・
中学生に論破されてもいるらしい・・・
いやはや、何かと忙しいトイレ博士である。
・・・(笑)抜きでお送りいたしました。
窓を開ければ
もとい。窓を開ければ、目の前にパーキングビル。
パーキングビル・・・
!
思わずこの人を思い出した。
最近どうもイメチェンをはかっているようではあるが・・・
中学生に論破されてもいるらしい・・・
いやはや、何かと忙しいトイレ博士である。
・・・(笑)抜きでお送りいたしました。
2006年04月07日
報告(ダシカグサン)
サン(サングワー)について考えている。
「沖縄・八重山探偵団」2006年1月30日サン(サングワー)のこと
「沖縄・八重山探偵団」2006年2月2日さらに「サン」のこと
先月の12日に、沖縄県立博物館へ行った。
閉館記念特別展「柳宗悦の民藝と巨匠たち」の最終日だった。
3月いっぱいで首里の県立博物館が閉館してしまったことを思うと、じつに残念な思いを押さえ切れないが、そのことはあらためて話題にしよう。
博物館の展示品に、こんなものがあった。
「ダシカグサン」
「シマミサオの木で作った魔よけの杖」という簡潔な説明がついていた。
そして、その後ろに「収集地 与那国島」。
「ダシカグサン」、日本語の主要検索エンジンには、ひとつも引っかかってこない。
「シマミサオ」は、2件。西表の植物一覧と、同じく西表でイノシシを捕らえる罠に用いる木材として。
だから明確なことは言えないのだが、「サン」という名称を考えるうえで、何らかのヒントにはならないだろうか。
これに関わって気になったのが「シルンナ」。
同じく、与那国の民俗資料。
「出産のあった家で門にかかげた 魔よけのしめ縄」と記されている(「いた」と言うべきだろうか)。
これは、与那国民俗資料館にもあるという。
まずは,入口付近の窓にかかっている“シルンナ”という黒いロープ。家に赤ん坊が産まれたことを知らせるために玄関などにかけるロープだが,戦後は使われなくなったようだ。逆に言うと,喪中の人間や慣わしによって出産の場に立ち入れない人たちに,注意を促すためでもあったそうだ。(参照)
もう一度、「魔よけ」を探ってみる必要がありそうだ。
それも、沖縄島の民俗・風習だけではなく。
「沖縄・八重山探偵団」2006年1月30日サン(サングワー)のこと
「沖縄・八重山探偵団」2006年2月2日さらに「サン」のこと
先月の12日に、沖縄県立博物館へ行った。
閉館記念特別展「柳宗悦の民藝と巨匠たち」の最終日だった。
3月いっぱいで首里の県立博物館が閉館してしまったことを思うと、じつに残念な思いを押さえ切れないが、そのことはあらためて話題にしよう。
博物館の展示品に、こんなものがあった。
「ダシカグサン」
「シマミサオの木で作った魔よけの杖」という簡潔な説明がついていた。
そして、その後ろに「収集地 与那国島」。
「ダシカグサン」、日本語の主要検索エンジンには、ひとつも引っかかってこない。
「シマミサオ」は、2件。西表の植物一覧と、同じく西表でイノシシを捕らえる罠に用いる木材として。
だから明確なことは言えないのだが、「サン」という名称を考えるうえで、何らかのヒントにはならないだろうか。
これに関わって気になったのが「シルンナ」。
同じく、与那国の民俗資料。
「出産のあった家で門にかかげた 魔よけのしめ縄」と記されている(「いた」と言うべきだろうか)。
これは、与那国民俗資料館にもあるという。
まずは,入口付近の窓にかかっている“シルンナ”という黒いロープ。家に赤ん坊が産まれたことを知らせるために玄関などにかけるロープだが,戦後は使われなくなったようだ。逆に言うと,喪中の人間や慣わしによって出産の場に立ち入れない人たちに,注意を促すためでもあったそうだ。(参照)
もう一度、「魔よけ」を探ってみる必要がありそうだ。
それも、沖縄島の民俗・風習だけではなく。
2006年04月07日
報告(再開!もしくは納豆!)
先の記事に、あいまいに書いてしまったのだけれど、先月(3月11~13日)の沖縄旅行の「報告」の筆が進まないのは、生半可な気持ちでは書けないエピソードが、この旅行の中に含まれているからでもあった。
いや、今まで行った沖縄旅行のどれもこれも、生半可では書けない大事な出来事は含まれていたのであるけれども。
しかし、帰阪後3週間あまりが過ぎ、少しずつ整理出来てきたことも事実なのだ。
というより、見てきた事実たち、撮ってきた写真たちが、もっと広い場所に出たがっている。
そこで、ぼちぼちと「報告」を再開することにした。
では、さっそく、納豆おやじに敬意を表して・・・
(しかし、「納豆おやじ」の命名者であるトイレ博士の、あいかわらずのネーミング感覚!笑)
コンビニで買った納豆巻き!(からし入り)

「沖縄のコンビニに行ったときには、塩にぎりとアンダンスーにぎり!」というのは定番であるけれど
(最近、沖縄以外でもアンダンスーにぎりやスパムにぎりを売り出している話は時々目にするが、塩にぎりはまだ聞いたことがない)
とりあえず今回は、沖縄そばの大盛りにジューシーつけておごってくれたハーリー野郎を思い出しつつ、しみじみと納豆巻きを食べたのであった。

・・・って、納豆巻きがなにか「生半可な気持ちでは書けないエピソード」に関係するのだろーか?(-д-;
ま、ここはとりあえず、「血液サラサラで、人生楽しく」ってことでね(-л-;;;
いや、今まで行った沖縄旅行のどれもこれも、生半可では書けない大事な出来事は含まれていたのであるけれども。
しかし、帰阪後3週間あまりが過ぎ、少しずつ整理出来てきたことも事実なのだ。
というより、見てきた事実たち、撮ってきた写真たちが、もっと広い場所に出たがっている。
そこで、ぼちぼちと「報告」を再開することにした。
では、さっそく、納豆おやじに敬意を表して・・・
(しかし、「納豆おやじ」の命名者であるトイレ博士の、あいかわらずのネーミング感覚!笑)
コンビニで買った納豆巻き!(からし入り)
「沖縄のコンビニに行ったときには、塩にぎりとアンダンスーにぎり!」というのは定番であるけれど
(最近、沖縄以外でもアンダンスーにぎりやスパムにぎりを売り出している話は時々目にするが、塩にぎりはまだ聞いたことがない)
とりあえず今回は、沖縄そばの大盛りにジューシーつけておごってくれたハーリー野郎を思い出しつつ、しみじみと納豆巻きを食べたのであった。
・・・って、納豆巻きがなにか「生半可な気持ちでは書けないエピソード」に関係するのだろーか?(-д-;
ま、ここはとりあえず、「血液サラサラで、人生楽しく」ってことでね(-л-;;;


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