2007年12月27日

屋根のある風景

自分で撮った写真を見ていて気がついた。

屋根の写真がかなりある。

ちょっとまとめてみた。





(近鉄沿線の商店街の屋根。関西空港に向かっています)






(飛行機の上の部分は、何て呼ぶんだろう?背中?それとも、上側も「胴」?)






(屋根たち・笑。さあ、出発! ↑フィルムカメラの複写ね)






(アジア食堂。できたときはびっくりしたけど、慣れてしまったかも)






(ホテルナハ港は1997年、25年目の5.15に泊まったのだった)






(車の屋根は、やっぱ「屋根」であるね)






(トタン屋根、好きなんだけどな。保存してほしいくらい)






(沖縄に来たなー、と思う。シーサーがいなくても)






(波上宮本殿を遠望。光とクレーンをアクセントに)






(千差万別屋根づくし。波の上から東方面を望む)






(孔子廟です。オンリー屋根)






(ヤマト風&ウチナー風)






(三世代屋根同居)






(デザインですね、破損ではなく。松山公園西口前トイレ)






(同上。デザインですね、屋根に穴)






(福州園。雲も福州から?)






(県庁の屋根、デザイン過剰。嫌いじゃないけど)






(県立図書館。この上で叫んでみたい・・・何を?)







(市立図書館視聴覚ライブラリー。開いているのを見たことがないけれど、この屋根は好き)






(市民会館。意外と屋根はバラエティに富んでます)






(ペントハウス!)






(考えてみたら、これって屋根の上に乗ってますよね)






(屋根というより、ひさし、ですな・苦笑)






(屋根というより、壁と窓、ですな・苦笑)



と、那覇の夜はふけてゆくのでありました・・・


2005年6月22日の写真でまとめてみました^^


沖縄に行った気分に少しなれたかな・・・(^-^>
  

2006年01月30日

沖縄報告108 チャーギ探偵団

沖縄報告、中村家住宅に来たというのに、庭木の中にチャーギ(イヌマキ)を探して、うろうろしている。

↓右の奥の木、あやしくない?




もっと大きくなると、こうなる

あ。玉グスクにあったような気が・・・





うーん・・・これだけじゃわかんないな。


ところで、これが日本一のイヌマキなのだそうだ。

樹齢500年で13メートル、か。

500年前(1506年)といえば・・・

1504年:立河原の戦い
1506年:九頭竜川の戦い
1506年:般若野の戦い
1508年:撰銭の法
1510年:三浦の乱
1510年:沖縄全域が琉球王朝の領土となる
1510年:権現山の戦い
1512年:壬申約条締結

こんな時代(ムラウチ社長日記による)

もう少しで琉球全土(とはいえ島々はまだだが)が王朝の版図となる時代。



イヌマキ、こうなるとすごいね

巨樹のもつ、荒々しい生命力、神々しい存在感が際立っている。

がじゅまるのように髭根はないけれど、キジムナーが住んでいそうだ。


暴れん坊のデイゴについて書いたけれど、それでも人々がデイゴを愛してきたのは、ただ花の美しさだけによるのではないのではないか?

樹木のもつ、時に荒々しいほどの生命力を身近な場所で感ずることによって、その「力」を吸収したいという想いがあったように感ずる。

そしてそれはまた、もっとわかりやすく言えば、「信仰の対象」ということであった。

チャーギが神に捧げられる(「なんくる主婦の年中わーばぐち」参照)のも、そういう精神的背景からではないかと、現時点でぼくは理解している。


もうひとつ、これはヤマト的解釈なのだけれど、葉が針や剣のような樹木は、魔除けとして用いられる。

じっさい、手裏剣の玩具にしたそうだ。

イヌマキの場合も、魔除けという目的が考えられるのだ。

それらが寺社に多く植えられているのも、このこととかかわりあうのかもしれない。


「イヌマキ 魔除け」で検索していたら・・・

薩摩(知覧)に屏風石(つまり、ヒンプン)を見つけてしまった。


中国では「土松(トゥーソン)」と呼ぶらしい。

それから、「羅漢松」というのも、もともとは中国語なのだった。

「袈裟」の形が、日本のお坊さんには似ていないと思ったぞ。

中国語の発音で「ルオ ハン ソン」。


・・・チャーギ探偵団、まだまだ奥は深そうだ。  

2006年01月28日

沖縄報告訂正版 イヌタデの巻

きのう(1月7日)の記事「チャーギふたたび」で、イヌマキのことを書いていて、なにを思ったか、いきなりイヌタデのことを書いた( ̄о ̄;㍑


イヌタデ。蓼(たで)というのは、「蓼喰う虫も好き好き」ということわざで知られる。

つまり、よっぽど虫が好まない木ということになる。

だから、建材や家具に使われたわけだ。



(自分の文章の引用をするのは、はじめてかもしれない)

いまは消してあるけれど・・・やっぱり、ちょっと疲れてる?


それを開き直って、記事、書いちまおうというわけだ(苦笑)


思わず書いてしまったけれど、ぼくが一番よく知っている「イヌ」のつく植物の名は、イヌタデ。

1年生草本。念のため、「1年で枯れてしまう草」。

こんなちいさな草

アカマンマ(赤まんま)だなんて呼ばれるのは、花が赤飯に似ているからだろう。

もっと詳しい(学術的な)説明は、こんな感じ

だから、建材になんか、使われるわけない!(ナイアガラ滝汗)


このちいさな花と、建材に用いられる大木とが、同じように「イヌ」をつけて呼ばれているのは、ちょっと不思議。・・・と、言ってみたかった。


「イヌマキ」と「イヌタデ」、今度からまちがわないようにしないと・・・


ではみなさん、アジア的に、かつ、旧暦的に、どうぞよいお年を!(^-^>


あ、そうそう。北京で13年ぶりに爆竹禁止が解けたと書きましたけど、こんな人たちもいたようです。

だよな。



これは、イヌだで。




・・・汗

  

2006年01月28日

沖縄報告107 イヌマキの巻

大晦日なので、とりあえず沖縄報告108までいっとこか、と思ったのだが・・・

あわてたのか、調子わるいのか、記事2つ消した(涙)

無理しても仕方ない。・・・のんびりいきましょう。





チャーギはイヌマキの別名(沖縄地域での呼び名)と知った。

名称につく「イヌ」というのは、役に立たないとか、似て非なるものとか、マイナスイメージで用いられる。

犬死だとか、犬侍だとか、犬桜(桜より見劣りするから)とかね。

ひどいけど。それが長い間のイメージだったのだからしかたない。


イヌマキ。ほんとうは、与論島が分布の最南端だったようだ。

それが、いまでは沖縄のあちこちで見かけられる。ことえに、その有用性のゆえだろう。

ちなみに、分布の最北が関東南部らしい。だから、暖かい地方の樹木ではあったのだ。

実は食用になるという。で、建材・器具・箱桶などに用いられ、庭園や生垣にされる、と。

古くは「羅漢松」(ラカンショウ)と呼んだという(『日本国語大辞典』)

江戸時代の薬学書『大和本草(やまとほんぞう)』から引用する(多少文字を改変した)。


杉をまきというに対して、羅漢松は犬まきという。

今は、ただ「まき」と称す。(略)

犬まきの木、その実、大にして小指のごとく、長くして人の形に似て、僧の袈裟かけたるがごとし。

ゆえに羅漢松の名あり。

実の色、赤・黄なり。



つまり、その実が、お坊さんが袈裟(けさ)をかけているように見えるから、羅漢松と呼んだのだそうだ。


これ・・・どうだろう?似てるかな。

あ。こうなると(右の)、似てるかもしれない(^〇^)

おー。たしかに、「実の色、赤・黄なり」であるな。


そうそう。画像の木、イヌマキだと思うんだけど、どうでしょう?(中村家住宅にて)  

2006年01月27日

沖縄報告106 チャーギふたたび

槙の木といえば、やまとうた(和歌)の世界でも有名じゃないか。

たとえば百人一首の87番歌。

村雨の 露もまだひぬ 槙の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ

「三夕(さんせき)」の歌のひとつである。

作者は寂蓮法師



イヌタデ。蓼(たで)というのは、「蓼喰う虫も好き好き」ということわざで知られる。

つまり、よっぽど虫が好まない木ということになる。

だから、建材や家具に使われたわけだ。




チャーギを調べていて、目についた記事。

チャーギは、知念村の村花であった、ということ。

年末からこだわっているのだが、知念村は合併して南城市になったのだから、「村花」もまた消滅してしまったのだろうか。

と思って、南城市のHPを開いてみた。HPは存在したが、さすがにまだ市花は決まってないようだ。

市役所は玉城にある。

主要事業の中に、「東御廻り (アガリウマーイ)関連事業」のあるのが目についた。


こちらによれば、現在沖縄で、建材として使われているチャーギは、福岡県田主丸町のものらしい。

田主丸町は、去年(2005年)2月15日に、久留米市に編入している。

また、奄美大島産のものを使っていると書いたものもあった。

いずれにせよ、沖縄県内に需要があるのにもかかわらず、県内のチャーギが減少していることは間違いないのだろう。

そして、需要と供給の関係により、価格が高騰しているということも。


調べていたら、エアロさんのところが出てきた。

「チャーギ屋」かぁ。・・・行ってみたくなった(^-^>




古い建築物の写真を見ると、条件反射的に「チャーギかな?」と思う。

しばらく、建材のことばかり考えて過ごすような気がする。

沖縄最古の木造建築物である桃林寺の仁王も、そして仁王門も、チャーギで出来ているのだろうか?  

2006年01月26日

沖縄報告105 チャーギ

1月25日の記事「沖縄報告104 植物的再生」に、北中城村の中村家住宅の生木の柱について書いた。

「何の木が知らないけれど」と書いたら、さっそくチルルさんponさんが「チャーギ(イヌタデ)」だと教えてくださった。

「おー、ブログやってってヨカッタ」と思う一瞬ですな。


イヌマキ・・・どこかで聞いたな・・・と思っていたが、首里城正殿の建材がイヌマキだった。

そして、守礼の門・・・(いま、デザインスキンが山田画伯の守礼の門ではないか!)

であれば、最高級建材であることに間違いはない。


石垣島フィールド日記から引用させていただく。


イヌマキ:常緑高木 雌雄異株 実は食べれる。
キオビエダシャクが大発生し、樹を枯らすこともある。シロアリにも強く、樹表を磨くととても美しい艶がでて床柱などに用いられます。とても高価な建材です。



ということは、石垣島の宮良殿内の外柱も、チャーギではないか?きっとそうだ。




こんなブログ記事もあった。

庭木としても、植えられるんだ。というより、庭木として有名な木なわけだ。


イヌマキを漢字で書けば「犬槙」。

こちらでは、チャー(常)にある木だから「チャーギ(常木)」か?と、語源を推測している。

シロアリがつかないから建材として重宝される、か。

チャーギでつくった、このテーブルセットは、いいなぁ。

おー!この雰囲気もいい。

で、サンシンの胴にも使われるわけだ。

たしかに。常に、身近にある木!


そして、ヒヌカン(火の神)の供え木

ヒヌカン(ヒノカン)はpyoさんのところに、くりかえし出てくる。pyoさんのところでは、ガジュマルを供えるようだ。


わかるとたのしい。

わからないことがでてくるのも、またたのしい。  

2006年01月25日

沖縄報告104 植物的再生

沖縄報告103(松の風景)に、松の枯死と珊瑚の白化のことを書いた。

しかし、松にも珊瑚にも、臓器提供CM風に言えば「死んでからの生き方」がある。

「ちゅらさん」でブレイクした、あの平良とみおばぁの、AC広告機構のCMである。


つまり、松であれば材木にもなるし、部材にもなる。燃料にもなるし、置物にもなる。

珊瑚であれば、アクセサリーにもなるし、食物にもなるし、最後には砂浜にもなる。


それに対して人間は・・・なんてことを考えた。

むしろ、形のないものを残すと考えたほうがよいのだろう。



さてさて、中グスクから向かった先は、北中城村の中村家住宅であった。

家構えも、逆立ちシーサーも、間取りも、庭の木々も、怒りの形相で知られる屋根獅子も印象に残っているけれど、その中でも庇(ひさし)を支える生木の柱が、強く印象に残っている。

堂々としていて、ひとつのモニュメントのようであった。

無言で何かを主張しているようにも思えた。


何の木が知らないけれど、これもまた樹木としての「死んでからの生き方」。
  

2006年01月25日

沖縄報告103 松の風景

前回の沖縄報告102に、モクマオウ(木麻黄)のことを書いた。

防風林・防潮林としての役割。樹高20メートル。・・・

内地では、海岸線に植えられる防風林・防潮林といえば、松だった。

沖縄でも、琉球時代から、防風林は松のはずだった。蔡温松のエピソードが有名だ。

それが、しだいに松が用いられなくなったのは、虫害に弱いからだろう。

そして、琉球松は、必ずしも樹高が高くない。たとえば木麻黄のほうが、その意味でも重用されたのだろう。



しかし、松は、独特の風景。独特の情緒をかもし出す。

とりわけ琉球松の場合、うねるその姿は、直立した松以上に龍の姿を思わせる。



沖縄でも、松で有名な島といえば伊是名だ。

その伊是名の松がひどく痛んでいるという。

ここしばらく伊是名島報告を続けておられる、ぱふさんの沖縄が好きプラスで知ってショックだった。

常盤(常に緑)という別名のついた松も、枯れてしまえば生き返らない。当たり前だ。

この時代、林業への従事者も、経済的な背景も、政治的な努力も、そして人々の関心も衰退を続けている。再生への道筋は、絶望的に閉ざされている。

長い時間を生きてきたものが決定的に死に絶える、その不可逆的な瞬間を、この時代に生きるぼくたちは、いったいいくつまのあたりにすればよいのだろう。

伊是名島といえば、伊是名出身の名嘉睦稔さんが、珊瑚の壊滅的な白化現象を嘆いておられたのが1998年。もう8年前になる。

その8年間。さまざまな努力が続けられてきたが、残念ながら珊瑚は壊滅的に滅んだままだ。

松も、その道をたどるのだろうか・・・

  

2006年01月22日

沖縄報告102 モクマオウ 

中グスク(中城城跡)へと入ってゆく道の入口にあるのは、大きなモクマオウ。

漢字で書くと、木麻黄。

なぜ「黄」の字が入っているのか、よくわからない。

おそらく、「麻黄」という名前が先にあって、それに似た木本植物だから「木麻黄」という名前がついたのだと思うのだけれど。

雄花と雌花で殖えるという(参照


文献を調べたら、モクマオウが沖縄に入ってきたのは今から約100年も前のこと。しかも、
アメリカからでは無く台湾から。さらにしかも、導入したのはアメリカ人では無く日本人、黒岩
恒(ひさし)という沖縄の自然界の学問に大きな功績を残した高知の人。

 黒岩恒という名前も今回初めて私は知ったのだが、黒岩という名の学者がいたことは知ってい
る。クロイワという名はカタツムリにクロイワオオケマイマイ、植物にクロイワザサ、蝉にクロ
イワゼミ、クロイワツクツク等があり、特にクロイワツクツクは馴染みの深い蝉で、方言名でジ
ーワといえば、ウチナーンチュなら多くの人が知っている蝉である。

http://www16.ocn.ne.jp/~gajimaru/page240.htmlより)

・・・と、つい自分の趣味で昆虫の話まで引用してしまった。

つまり、台湾から、100年ほど前に、高知出身の黒岩さんという人が移入した。

100年間に及んだ、日本による台湾統治(1895~1945年)の初期の頃だ。


塩害に強く、成長が早いので、防風林として植えられたのだという。

モクモーとかメリケン松だなんていう別名はおもしろいが、常盤御柳(トキワギョリュウ)という別名にはおどろいた。たしかに常緑だし、柳のような趣もあり、これだけあちこちに普及しなければ、貴婦人のように見えたかもしれない。

貴婦人には見えないかもしれないが、それでもぼくはモクマオウは好き。それはたぶん、海が好きだからだろう。

モクマオウの記憶は、海の気配を連れてくる。





こう見えて、モクマオウは広葉樹。

「人は見かけによらない」という教訓か?(・・・だから人じゃないって!)  

2006年01月21日

沖縄報告101 気分を変えて

中グスクでは、まだ考えなければならないことがたくさんあるのですけれど、いったん先に進みます。


ベトナムでは(・・・いきなり、ですが)夏の夜のバイクの2人乗りや家族乗り(4人とか5人乗りも)が大流行。

みんな、目的地もなく、ただバイクを走らせているらしい。

涼しくて、デートや夕食後のだんらんに最高なんだそうだ。


ぼくも、家にクルマがある頃は、夜中とか明け方、目的もなく走ることが多かった。

考えてみれば、どれだけガソリンを消費したかわからないのだが、とりあえずストレスの発散にはなった。

寺社や名所なども、そんな時間に回ったところが多い。

クルマの運転は、けっこう大好き。こないだハーリーさんのところにセリカGTが出ていたけれど、免許取りたてのころ、どうしても乗りたくて買ってしまったのだった。

年式が古かったから貧乏学生にも買えたのだろうけれど(23万円だった。バイト、とことんやりました)、学生でクルマを持っている者などまだ少なく(理系にはいたけど、文系だったし)ずいぶん「研究室の運転手」を長くつとめたことをおぼえている。

先生や先輩を乗せて走っているとき、いろんな話を聞く機会や、自分ひとりでは到底行けないところに行けたことなども、今の職業を選ぶ(とはいえ、実情は大学から逃げ遅れたらなっていた)遠因になっているのかな、と思ったりもする。


沖縄で、あてもなくクルマに乗ってうろうろするのは、超大好き。

こんなにたのしい時間のすごし方って、ちょっとほかにない(変かなぁ?)

で、勝手にいろんなもの「発見」して、勝手によろこぶのだ(苦笑)

・・・何もかも、もともとそこにあったものなんだけどね。

でも、コロンブスが新大陸を「発見」したと言えるのであれば、それも「発見」でいのだろう。


で、もちろん写真もとる。

その大半は、自分しか楽しめない写真なのだけれども。




うーん・・・ちっとも「報告」になってないなぁ。

ま、いっか。気分が変われば(^о^ゞ

では、「沖縄報告」100番台、出発です。