2007年12月27日
屋根のある風景
自分で撮った写真を見ていて気がついた。
屋根の写真がかなりある。
ちょっとまとめてみた。

(近鉄沿線の商店街の屋根。関西空港に向かっています)

(飛行機の上の部分は、何て呼ぶんだろう?背中?それとも、上側も「胴」?)

(屋根たち・笑。さあ、出発! ↑フィルムカメラの複写ね)

(アジア食堂。できたときはびっくりしたけど、慣れてしまったかも)

(ホテルナハ港は1997年、25年目の5.15に泊まったのだった)

(車の屋根は、やっぱ「屋根」であるね)

(トタン屋根、好きなんだけどな。保存してほしいくらい)

(沖縄に来たなー、と思う。シーサーがいなくても)

(波上宮本殿を遠望。光とクレーンをアクセントに)

(千差万別屋根づくし。波の上から東方面を望む)

(孔子廟です。オンリー屋根)

(ヤマト風&ウチナー風)

(三世代屋根同居)

(デザインですね、破損ではなく。松山公園西口前トイレ)

(同上。デザインですね、屋根に穴)

(福州園。雲も福州から?)

(県庁の屋根、デザイン過剰。嫌いじゃないけど)

(県立図書館。この上で叫んでみたい・・・何を?)

(市立図書館視聴覚ライブラリー。開いているのを見たことがないけれど、この屋根は好き)

(市民会館。意外と屋根はバラエティに富んでます)

(ペントハウス!)

(考えてみたら、これって屋根の上に乗ってますよね)

(屋根というより、ひさし、ですな・苦笑)

(屋根というより、壁と窓、ですな・苦笑)
と、那覇の夜はふけてゆくのでありました・・・
2005年6月22日の写真でまとめてみました^^
沖縄に行った気分に少しなれたかな・・・(^-^>
屋根の写真がかなりある。
ちょっとまとめてみた。
(近鉄沿線の商店街の屋根。関西空港に向かっています)
(飛行機の上の部分は、何て呼ぶんだろう?背中?それとも、上側も「胴」?)
(屋根たち・笑。さあ、出発! ↑フィルムカメラの複写ね)
(アジア食堂。できたときはびっくりしたけど、慣れてしまったかも)
(ホテルナハ港は1997年、25年目の5.15に泊まったのだった)
(車の屋根は、やっぱ「屋根」であるね)
(トタン屋根、好きなんだけどな。保存してほしいくらい)
(沖縄に来たなー、と思う。シーサーがいなくても)
(波上宮本殿を遠望。光とクレーンをアクセントに)
(千差万別屋根づくし。波の上から東方面を望む)
(孔子廟です。オンリー屋根)
(ヤマト風&ウチナー風)
(三世代屋根同居)
(デザインですね、破損ではなく。松山公園西口前トイレ)
(同上。デザインですね、屋根に穴)
(福州園。雲も福州から?)
(県庁の屋根、デザイン過剰。嫌いじゃないけど)
(県立図書館。この上で叫んでみたい・・・何を?)
(市立図書館視聴覚ライブラリー。開いているのを見たことがないけれど、この屋根は好き)
(市民会館。意外と屋根はバラエティに富んでます)
(ペントハウス!)
(考えてみたら、これって屋根の上に乗ってますよね)
(屋根というより、ひさし、ですな・苦笑)
(屋根というより、壁と窓、ですな・苦笑)
と、那覇の夜はふけてゆくのでありました・・・
2005年6月22日の写真でまとめてみました^^
沖縄に行った気分に少しなれたかな・・・(^-^>
2006年01月30日
沖縄報告108 チャーギ探偵団
沖縄報告、中村家住宅に来たというのに、庭木の中にチャーギ(イヌマキ)を探して、うろうろしている。
↓右の奥の木、あやしくない?

もっと大きくなると、こうなる。
あ。玉グスクにあったような気が・・・

うーん・・・これだけじゃわかんないな。
ところで、これが日本一のイヌマキなのだそうだ。
樹齢500年で13メートル、か。
500年前(1506年)といえば・・・
1504年:立河原の戦い
1506年:九頭竜川の戦い
1506年:般若野の戦い
1508年:撰銭の法
1510年:三浦の乱
1510年:沖縄全域が琉球王朝の領土となる
1510年:権現山の戦い
1512年:壬申約条締結
こんな時代(ムラウチ社長日記による)
もう少しで琉球全土(とはいえ島々はまだだが)が王朝の版図となる時代。
イヌマキ、こうなるとすごいね。
巨樹のもつ、荒々しい生命力、神々しい存在感が際立っている。
がじゅまるのように髭根はないけれど、キジムナーが住んでいそうだ。
暴れん坊のデイゴについて書いたけれど、それでも人々がデイゴを愛してきたのは、ただ花の美しさだけによるのではないのではないか?
樹木のもつ、時に荒々しいほどの生命力を身近な場所で感ずることによって、その「力」を吸収したいという想いがあったように感ずる。
そしてそれはまた、もっとわかりやすく言えば、「信仰の対象」ということであった。
チャーギが神に捧げられる(「なんくる主婦の年中わーばぐち」参照)のも、そういう精神的背景からではないかと、現時点でぼくは理解している。
もうひとつ、これはヤマト的解釈なのだけれど、葉が針や剣のような樹木は、魔除けとして用いられる。
じっさい、手裏剣の玩具にしたそうだ。
イヌマキの場合も、魔除けという目的が考えられるのだ。
それらが寺社に多く植えられているのも、このこととかかわりあうのかもしれない。
「イヌマキ 魔除け」で検索していたら・・・
薩摩(知覧)に屏風石(つまり、ヒンプン)を見つけてしまった。
中国では「土松(トゥーソン)」と呼ぶらしい。
それから、「羅漢松」というのも、もともとは中国語なのだった。
「袈裟」の形が、日本のお坊さんには似ていないと思ったぞ。
中国語の発音で「ルオ ハン ソン」。
・・・チャーギ探偵団、まだまだ奥は深そうだ。
↓右の奥の木、あやしくない?

もっと大きくなると、こうなる。
あ。玉グスクにあったような気が・・・

うーん・・・これだけじゃわかんないな。
ところで、これが日本一のイヌマキなのだそうだ。
樹齢500年で13メートル、か。
500年前(1506年)といえば・・・
1504年:立河原の戦い
1506年:九頭竜川の戦い
1506年:般若野の戦い
1508年:撰銭の法
1510年:三浦の乱
1510年:沖縄全域が琉球王朝の領土となる
1510年:権現山の戦い
1512年:壬申約条締結
こんな時代(ムラウチ社長日記による)
もう少しで琉球全土(とはいえ島々はまだだが)が王朝の版図となる時代。
イヌマキ、こうなるとすごいね。
巨樹のもつ、荒々しい生命力、神々しい存在感が際立っている。
がじゅまるのように髭根はないけれど、キジムナーが住んでいそうだ。
暴れん坊のデイゴについて書いたけれど、それでも人々がデイゴを愛してきたのは、ただ花の美しさだけによるのではないのではないか?
樹木のもつ、時に荒々しいほどの生命力を身近な場所で感ずることによって、その「力」を吸収したいという想いがあったように感ずる。
そしてそれはまた、もっとわかりやすく言えば、「信仰の対象」ということであった。
チャーギが神に捧げられる(「なんくる主婦の年中わーばぐち」参照)のも、そういう精神的背景からではないかと、現時点でぼくは理解している。
もうひとつ、これはヤマト的解釈なのだけれど、葉が針や剣のような樹木は、魔除けとして用いられる。
じっさい、手裏剣の玩具にしたそうだ。
イヌマキの場合も、魔除けという目的が考えられるのだ。
それらが寺社に多く植えられているのも、このこととかかわりあうのかもしれない。
「イヌマキ 魔除け」で検索していたら・・・
薩摩(知覧)に屏風石(つまり、ヒンプン)を見つけてしまった。
中国では「土松(トゥーソン)」と呼ぶらしい。
それから、「羅漢松」というのも、もともとは中国語なのだった。
「袈裟」の形が、日本のお坊さんには似ていないと思ったぞ。
中国語の発音で「ルオ ハン ソン」。
・・・チャーギ探偵団、まだまだ奥は深そうだ。
2006年01月28日
沖縄報告訂正版 イヌタデの巻
きのう(1月7日)の記事「チャーギふたたび」で、イヌマキのことを書いていて、なにを思ったか、いきなりイヌタデのことを書いた( ̄о ̄;㍑
イヌタデ。蓼(たで)というのは、「蓼喰う虫も好き好き」ということわざで知られる。
つまり、よっぽど虫が好まない木ということになる。
だから、建材や家具に使われたわけだ。
(自分の文章の引用をするのは、はじめてかもしれない)
いまは消してあるけれど・・・やっぱり、ちょっと疲れてる?
それを開き直って、記事、書いちまおうというわけだ(苦笑)
思わず書いてしまったけれど、ぼくが一番よく知っている「イヌ」のつく植物の名は、イヌタデ。
1年生草本。念のため、「1年で枯れてしまう草」。
こんなちいさな草。
アカマンマ(赤まんま)だなんて呼ばれるのは、花が赤飯に似ているからだろう。
もっと詳しい(学術的な)説明は、こんな感じ。
だから、建材になんか、使われるわけない!(ナイアガラ滝汗)
このちいさな花と、建材に用いられる大木とが、同じように「イヌ」をつけて呼ばれているのは、ちょっと不思議。・・・と、言ってみたかった。
「イヌマキ」と「イヌタデ」、今度からまちがわないようにしないと・・・
ではみなさん、アジア的に、かつ、旧暦的に、どうぞよいお年を!(^-^>
あ、そうそう。北京で13年ぶりに爆竹禁止が解けたと書きましたけど、こんな人たちもいたようです。
だよな。
これは、イヌだで。

・・・汗
イヌタデ。蓼(たで)というのは、「蓼喰う虫も好き好き」ということわざで知られる。
つまり、よっぽど虫が好まない木ということになる。
だから、建材や家具に使われたわけだ。
(自分の文章の引用をするのは、はじめてかもしれない)
いまは消してあるけれど・・・やっぱり、ちょっと疲れてる?
それを開き直って、記事、書いちまおうというわけだ(苦笑)
思わず書いてしまったけれど、ぼくが一番よく知っている「イヌ」のつく植物の名は、イヌタデ。
1年生草本。念のため、「1年で枯れてしまう草」。
こんなちいさな草。
アカマンマ(赤まんま)だなんて呼ばれるのは、花が赤飯に似ているからだろう。
もっと詳しい(学術的な)説明は、こんな感じ。
だから、建材になんか、使われるわけない!(ナイアガラ滝汗)
このちいさな花と、建材に用いられる大木とが、同じように「イヌ」をつけて呼ばれているのは、ちょっと不思議。・・・と、言ってみたかった。
「イヌマキ」と「イヌタデ」、今度からまちがわないようにしないと・・・
ではみなさん、アジア的に、かつ、旧暦的に、どうぞよいお年を!(^-^>
あ、そうそう。北京で13年ぶりに爆竹禁止が解けたと書きましたけど、こんな人たちもいたようです。
だよな。
これは、イヌだで。

・・・汗
2006年01月28日
沖縄報告107 イヌマキの巻
大晦日なので、とりあえず沖縄報告108までいっとこか、と思ったのだが・・・
あわてたのか、調子わるいのか、記事2つ消した(涙)
無理しても仕方ない。・・・のんびりいきましょう。

チャーギはイヌマキの別名(沖縄地域での呼び名)と知った。
名称につく「イヌ」というのは、役に立たないとか、似て非なるものとか、マイナスイメージで用いられる。
犬死だとか、犬侍だとか、犬桜(桜より見劣りするから)とかね。
ひどいけど。それが長い間のイメージだったのだからしかたない。
イヌマキ。ほんとうは、与論島が分布の最南端だったようだ。
それが、いまでは沖縄のあちこちで見かけられる。ことえに、その有用性のゆえだろう。
ちなみに、分布の最北が関東南部らしい。だから、暖かい地方の樹木ではあったのだ。
実は食用になるという。で、建材・器具・箱桶などに用いられ、庭園や生垣にされる、と。
古くは「羅漢松」(ラカンショウ)と呼んだという(『日本国語大辞典』)
江戸時代の薬学書『大和本草(やまとほんぞう)』から引用する(多少文字を改変した)。
杉をまきというに対して、羅漢松は犬まきという。
今は、ただ「まき」と称す。(略)
犬まきの木、その実、大にして小指のごとく、長くして人の形に似て、僧の袈裟かけたるがごとし。
ゆえに羅漢松の名あり。
実の色、赤・黄なり。
つまり、その実が、お坊さんが袈裟(けさ)をかけているように見えるから、羅漢松と呼んだのだそうだ。
これ・・・どうだろう?似てるかな。
あ。こうなると(右の)、似てるかもしれない(^〇^)
おー。たしかに、「実の色、赤・黄なり」であるな。
そうそう。画像の木、イヌマキだと思うんだけど、どうでしょう?(中村家住宅にて)
あわてたのか、調子わるいのか、記事2つ消した(涙)
無理しても仕方ない。・・・のんびりいきましょう。

チャーギはイヌマキの別名(沖縄地域での呼び名)と知った。
名称につく「イヌ」というのは、役に立たないとか、似て非なるものとか、マイナスイメージで用いられる。
犬死だとか、犬侍だとか、犬桜(桜より見劣りするから)とかね。
ひどいけど。それが長い間のイメージだったのだからしかたない。
イヌマキ。ほんとうは、与論島が分布の最南端だったようだ。
それが、いまでは沖縄のあちこちで見かけられる。ことえに、その有用性のゆえだろう。
ちなみに、分布の最北が関東南部らしい。だから、暖かい地方の樹木ではあったのだ。
実は食用になるという。で、建材・器具・箱桶などに用いられ、庭園や生垣にされる、と。
古くは「羅漢松」(ラカンショウ)と呼んだという(『日本国語大辞典』)
江戸時代の薬学書『大和本草(やまとほんぞう)』から引用する(多少文字を改変した)。
杉をまきというに対して、羅漢松は犬まきという。
今は、ただ「まき」と称す。(略)
犬まきの木、その実、大にして小指のごとく、長くして人の形に似て、僧の袈裟かけたるがごとし。
ゆえに羅漢松の名あり。
実の色、赤・黄なり。
つまり、その実が、お坊さんが袈裟(けさ)をかけているように見えるから、羅漢松と呼んだのだそうだ。
これ・・・どうだろう?似てるかな。
あ。こうなると(右の)、似てるかもしれない(^〇^)
おー。たしかに、「実の色、赤・黄なり」であるな。
そうそう。画像の木、イヌマキだと思うんだけど、どうでしょう?(中村家住宅にて)
2006年01月27日
沖縄報告106 チャーギふたたび
槙の木といえば、やまとうた(和歌)の世界でも有名じゃないか。
たとえば百人一首の87番歌。
村雨の 露もまだひぬ 槙の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
「三夕(さんせき)」の歌のひとつである。
作者は寂蓮法師。
イヌタデ。蓼(たで)というのは、「蓼喰う虫も好き好き」ということわざで知られる。
つまり、よっぽど虫が好まない木ということになる。
だから、建材や家具に使われたわけだ。
チャーギを調べていて、目についた記事。
チャーギは、知念村の村花であった、ということ。
年末からこだわっているのだが、知念村は合併して南城市になったのだから、「村花」もまた消滅してしまったのだろうか。
と思って、南城市のHPを開いてみた。HPは存在したが、さすがにまだ市花は決まってないようだ。
市役所は玉城にある。
主要事業の中に、「東御廻り (アガリウマーイ)関連事業」のあるのが目についた。
こちらによれば、現在沖縄で、建材として使われているチャーギは、福岡県田主丸町のものらしい。
田主丸町は、去年(2005年)2月15日に、久留米市に編入している。
また、奄美大島産のものを使っていると書いたものもあった。
いずれにせよ、沖縄県内に需要があるのにもかかわらず、県内のチャーギが減少していることは間違いないのだろう。
そして、需要と供給の関係により、価格が高騰しているということも。
調べていたら、エアロさんのところが出てきた。
「チャーギ屋」かぁ。・・・行ってみたくなった(^-^>

古い建築物の写真を見ると、条件反射的に「チャーギかな?」と思う。
しばらく、建材のことばかり考えて過ごすような気がする。
沖縄最古の木造建築物である桃林寺の仁王も、そして仁王門も、チャーギで出来ているのだろうか?
たとえば百人一首の87番歌。
村雨の 露もまだひぬ 槙の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
「三夕(さんせき)」の歌のひとつである。
作者は寂蓮法師。
つまり、よっぽど虫が好まない木ということになる。
だから、建材や家具に使われたわけだ。
チャーギを調べていて、目についた記事。
チャーギは、知念村の村花であった、ということ。
年末からこだわっているのだが、知念村は合併して南城市になったのだから、「村花」もまた消滅してしまったのだろうか。
と思って、南城市のHPを開いてみた。HPは存在したが、さすがにまだ市花は決まってないようだ。
市役所は玉城にある。
主要事業の中に、「東御廻り (アガリウマーイ)関連事業」のあるのが目についた。
こちらによれば、現在沖縄で、建材として使われているチャーギは、福岡県田主丸町のものらしい。
田主丸町は、去年(2005年)2月15日に、久留米市に編入している。
また、奄美大島産のものを使っていると書いたものもあった。
いずれにせよ、沖縄県内に需要があるのにもかかわらず、県内のチャーギが減少していることは間違いないのだろう。
そして、需要と供給の関係により、価格が高騰しているということも。
調べていたら、エアロさんのところが出てきた。
「チャーギ屋」かぁ。・・・行ってみたくなった(^-^>

古い建築物の写真を見ると、条件反射的に「チャーギかな?」と思う。
しばらく、建材のことばかり考えて過ごすような気がする。
沖縄最古の木造建築物である桃林寺の仁王も、そして仁王門も、チャーギで出来ているのだろうか?
2006年01月26日
沖縄報告105 チャーギ
1月25日の記事「沖縄報告104 植物的再生」に、北中城村の中村家住宅の生木の柱について書いた。
「何の木が知らないけれど」と書いたら、さっそくチルルさんとponさんが「チャーギ(イヌタデ)」だと教えてくださった。
「おー、ブログやってってヨカッタ」と思う一瞬ですな。
イヌマキ・・・どこかで聞いたな・・・と思っていたが、首里城正殿の建材がイヌマキだった。
そして、守礼の門・・・(いま、デザインスキンが山田画伯の守礼の門ではないか!)
であれば、最高級建材であることに間違いはない。
石垣島フィールド日記から引用させていただく。
イヌマキ:常緑高木 雌雄異株 実は食べれる。
キオビエダシャクが大発生し、樹を枯らすこともある。シロアリにも強く、樹表を磨くととても美しい艶がでて床柱などに用いられます。とても高価な建材です。
ということは、石垣島の宮良殿内の外柱も、チャーギではないか?きっとそうだ。

こんなブログ記事もあった。
庭木としても、植えられるんだ。というより、庭木として有名な木なわけだ。
イヌマキを漢字で書けば「犬槙」。
こちらでは、チャー(常)にある木だから「チャーギ(常木)」か?と、語源を推測している。
シロアリがつかないから建材として重宝される、か。
チャーギでつくった、このテーブルセットは、いいなぁ。
おー!この雰囲気もいい。
で、サンシンの胴にも使われるわけだ。
たしかに。常に、身近にある木!
そして、ヒヌカン(火の神)の供え木。
ヒヌカン(ヒノカン)はpyoさんのところに、くりかえし出てくる。pyoさんのところでは、ガジュマルを供えるようだ。
わかるとたのしい。
わからないことがでてくるのも、またたのしい。
「何の木が知らないけれど」と書いたら、さっそくチルルさんとponさんが「チャーギ(イヌタデ)」だと教えてくださった。
「おー、ブログやってってヨカッタ」と思う一瞬ですな。
イヌマキ・・・どこかで聞いたな・・・と思っていたが、首里城正殿の建材がイヌマキだった。
そして、守礼の門・・・(いま、デザインスキンが山田画伯の守礼の門ではないか!)
であれば、最高級建材であることに間違いはない。
石垣島フィールド日記から引用させていただく。
イヌマキ:常緑高木 雌雄異株 実は食べれる。
キオビエダシャクが大発生し、樹を枯らすこともある。シロアリにも強く、樹表を磨くととても美しい艶がでて床柱などに用いられます。とても高価な建材です。
ということは、石垣島の宮良殿内の外柱も、チャーギではないか?きっとそうだ。

こんなブログ記事もあった。
庭木としても、植えられるんだ。というより、庭木として有名な木なわけだ。
イヌマキを漢字で書けば「犬槙」。
こちらでは、チャー(常)にある木だから「チャーギ(常木)」か?と、語源を推測している。
シロアリがつかないから建材として重宝される、か。
チャーギでつくった、このテーブルセットは、いいなぁ。
おー!この雰囲気もいい。
で、サンシンの胴にも使われるわけだ。
たしかに。常に、身近にある木!
そして、ヒヌカン(火の神)の供え木。
ヒヌカン(ヒノカン)はpyoさんのところに、くりかえし出てくる。pyoさんのところでは、ガジュマルを供えるようだ。
わかるとたのしい。
わからないことがでてくるのも、またたのしい。
2006年01月25日
沖縄報告104 植物的再生
沖縄報告103(松の風景)に、松の枯死と珊瑚の白化のことを書いた。
しかし、松にも珊瑚にも、臓器提供CM風に言えば「死んでからの生き方」がある。
「ちゅらさん」でブレイクした、あの平良とみおばぁの、AC広告機構のCMである。
つまり、松であれば材木にもなるし、部材にもなる。燃料にもなるし、置物にもなる。
珊瑚であれば、アクセサリーにもなるし、食物にもなるし、最後には砂浜にもなる。
それに対して人間は・・・なんてことを考えた。
むしろ、形のないものを残すと考えたほうがよいのだろう。

さてさて、中グスクから向かった先は、北中城村の中村家住宅であった。
家構えも、逆立ちシーサーも、間取りも、庭の木々も、怒りの形相で知られる屋根獅子も印象に残っているけれど、その中でも庇(ひさし)を支える生木の柱が、強く印象に残っている。
堂々としていて、ひとつのモニュメントのようであった。
無言で何かを主張しているようにも思えた。
何の木が知らないけれど、これもまた樹木としての「死んでからの生き方」。
しかし、松にも珊瑚にも、臓器提供CM風に言えば「死んでからの生き方」がある。
「ちゅらさん」でブレイクした、あの平良とみおばぁの、AC広告機構のCMである。
つまり、松であれば材木にもなるし、部材にもなる。燃料にもなるし、置物にもなる。
珊瑚であれば、アクセサリーにもなるし、食物にもなるし、最後には砂浜にもなる。
それに対して人間は・・・なんてことを考えた。
むしろ、形のないものを残すと考えたほうがよいのだろう。

さてさて、中グスクから向かった先は、北中城村の中村家住宅であった。
家構えも、逆立ちシーサーも、間取りも、庭の木々も、怒りの形相で知られる屋根獅子も印象に残っているけれど、その中でも庇(ひさし)を支える生木の柱が、強く印象に残っている。
堂々としていて、ひとつのモニュメントのようであった。
無言で何かを主張しているようにも思えた。
何の木が知らないけれど、これもまた樹木としての「死んでからの生き方」。
2006年01月25日
沖縄報告103 松の風景
前回の沖縄報告102に、モクマオウ(木麻黄)のことを書いた。
防風林・防潮林としての役割。樹高20メートル。・・・
内地では、海岸線に植えられる防風林・防潮林といえば、松だった。
沖縄でも、琉球時代から、防風林は松のはずだった。蔡温松のエピソードが有名だ。
それが、しだいに松が用いられなくなったのは、虫害に弱いからだろう。
そして、琉球松は、必ずしも樹高が高くない。たとえば木麻黄のほうが、その意味でも重用されたのだろう。

しかし、松は、独特の風景。独特の情緒をかもし出す。
とりわけ琉球松の場合、うねるその姿は、直立した松以上に龍の姿を思わせる。

沖縄でも、松で有名な島といえば伊是名だ。
その伊是名の松がひどく痛んでいるという。
ここしばらく伊是名島報告を続けておられる、ぱふさんの沖縄が好きプラスで知ってショックだった。
常盤(常に緑)という別名のついた松も、枯れてしまえば生き返らない。当たり前だ。
この時代、林業への従事者も、経済的な背景も、政治的な努力も、そして人々の関心も衰退を続けている。再生への道筋は、絶望的に閉ざされている。
長い時間を生きてきたものが決定的に死に絶える、その不可逆的な瞬間を、この時代に生きるぼくたちは、いったいいくつまのあたりにすればよいのだろう。
伊是名島といえば、伊是名出身の名嘉睦稔さんが、珊瑚の壊滅的な白化現象を嘆いておられたのが1998年。もう8年前になる。
その8年間。さまざまな努力が続けられてきたが、残念ながら珊瑚は壊滅的に滅んだままだ。
松も、その道をたどるのだろうか・・・
防風林・防潮林としての役割。樹高20メートル。・・・
内地では、海岸線に植えられる防風林・防潮林といえば、松だった。
沖縄でも、琉球時代から、防風林は松のはずだった。蔡温松のエピソードが有名だ。
それが、しだいに松が用いられなくなったのは、虫害に弱いからだろう。
そして、琉球松は、必ずしも樹高が高くない。たとえば木麻黄のほうが、その意味でも重用されたのだろう。

しかし、松は、独特の風景。独特の情緒をかもし出す。
とりわけ琉球松の場合、うねるその姿は、直立した松以上に龍の姿を思わせる。

沖縄でも、松で有名な島といえば伊是名だ。
その伊是名の松がひどく痛んでいるという。
ここしばらく伊是名島報告を続けておられる、ぱふさんの沖縄が好きプラスで知ってショックだった。
常盤(常に緑)という別名のついた松も、枯れてしまえば生き返らない。当たり前だ。
この時代、林業への従事者も、経済的な背景も、政治的な努力も、そして人々の関心も衰退を続けている。再生への道筋は、絶望的に閉ざされている。
長い時間を生きてきたものが決定的に死に絶える、その不可逆的な瞬間を、この時代に生きるぼくたちは、いったいいくつまのあたりにすればよいのだろう。
伊是名島といえば、伊是名出身の名嘉睦稔さんが、珊瑚の壊滅的な白化現象を嘆いておられたのが1998年。もう8年前になる。
その8年間。さまざまな努力が続けられてきたが、残念ながら珊瑚は壊滅的に滅んだままだ。
松も、その道をたどるのだろうか・・・
2006年01月22日
沖縄報告102 モクマオウ
中グスク(中城城跡)へと入ってゆく道の入口にあるのは、大きなモクマオウ。
漢字で書くと、木麻黄。
なぜ「黄」の字が入っているのか、よくわからない。
おそらく、「麻黄」という名前が先にあって、それに似た木本植物だから「木麻黄」という名前がついたのだと思うのだけれど。
雄花と雌花で殖えるという(参照)
文献を調べたら、モクマオウが沖縄に入ってきたのは今から約100年も前のこと。しかも、
アメリカからでは無く台湾から。さらにしかも、導入したのはアメリカ人では無く日本人、黒岩
恒(ひさし)という沖縄の自然界の学問に大きな功績を残した高知の人。
黒岩恒という名前も今回初めて私は知ったのだが、黒岩という名の学者がいたことは知ってい
る。クロイワという名はカタツムリにクロイワオオケマイマイ、植物にクロイワザサ、蝉にクロ
イワゼミ、クロイワツクツク等があり、特にクロイワツクツクは馴染みの深い蝉で、方言名でジ
ーワといえば、ウチナーンチュなら多くの人が知っている蝉である。
(http://www16.ocn.ne.jp/~gajimaru/page240.htmlより)
・・・と、つい自分の趣味で昆虫の話まで引用してしまった。
つまり、台湾から、100年ほど前に、高知出身の黒岩さんという人が移入した。
100年間に及んだ、日本による台湾統治(1895~1945年)の初期の頃だ。
塩害に強く、成長が早いので、防風林として植えられたのだという。
モクモーとかメリケン松だなんていう別名はおもしろいが、常盤御柳(トキワギョリュウ)という別名にはおどろいた。たしかに常緑だし、柳のような趣もあり、これだけあちこちに普及しなければ、貴婦人のように見えたかもしれない。
貴婦人には見えないかもしれないが、それでもぼくはモクマオウは好き。それはたぶん、海が好きだからだろう。
モクマオウの記憶は、海の気配を連れてくる。

こう見えて、モクマオウは広葉樹。
「人は見かけによらない」という教訓か?(・・・だから人じゃないって!)
漢字で書くと、木麻黄。
なぜ「黄」の字が入っているのか、よくわからない。
おそらく、「麻黄」という名前が先にあって、それに似た木本植物だから「木麻黄」という名前がついたのだと思うのだけれど。
雄花と雌花で殖えるという(参照)
文献を調べたら、モクマオウが沖縄に入ってきたのは今から約100年も前のこと。しかも、
アメリカからでは無く台湾から。さらにしかも、導入したのはアメリカ人では無く日本人、黒岩
恒(ひさし)という沖縄の自然界の学問に大きな功績を残した高知の人。
黒岩恒という名前も今回初めて私は知ったのだが、黒岩という名の学者がいたことは知ってい
る。クロイワという名はカタツムリにクロイワオオケマイマイ、植物にクロイワザサ、蝉にクロ
イワゼミ、クロイワツクツク等があり、特にクロイワツクツクは馴染みの深い蝉で、方言名でジ
ーワといえば、ウチナーンチュなら多くの人が知っている蝉である。
(http://www16.ocn.ne.jp/~gajimaru/page240.htmlより)
・・・と、つい自分の趣味で昆虫の話まで引用してしまった。
つまり、台湾から、100年ほど前に、高知出身の黒岩さんという人が移入した。
100年間に及んだ、日本による台湾統治(1895~1945年)の初期の頃だ。
塩害に強く、成長が早いので、防風林として植えられたのだという。
モクモーとかメリケン松だなんていう別名はおもしろいが、常盤御柳(トキワギョリュウ)という別名にはおどろいた。たしかに常緑だし、柳のような趣もあり、これだけあちこちに普及しなければ、貴婦人のように見えたかもしれない。
貴婦人には見えないかもしれないが、それでもぼくはモクマオウは好き。それはたぶん、海が好きだからだろう。
モクマオウの記憶は、海の気配を連れてくる。

こう見えて、モクマオウは広葉樹。
「人は見かけによらない」という教訓か?(・・・だから人じゃないって!)
2006年01月21日
沖縄報告101 気分を変えて
中グスクでは、まだ考えなければならないことがたくさんあるのですけれど、いったん先に進みます。
ベトナムでは(・・・いきなり、ですが)夏の夜のバイクの2人乗りや家族乗り(4人とか5人乗りも)が大流行。
みんな、目的地もなく、ただバイクを走らせているらしい。
涼しくて、デートや夕食後のだんらんに最高なんだそうだ。
ぼくも、家にクルマがある頃は、夜中とか明け方、目的もなく走ることが多かった。
考えてみれば、どれだけガソリンを消費したかわからないのだが、とりあえずストレスの発散にはなった。
寺社や名所なども、そんな時間に回ったところが多い。
クルマの運転は、けっこう大好き。こないだハーリーさんのところにセリカGTが出ていたけれど、免許取りたてのころ、どうしても乗りたくて買ってしまったのだった。
年式が古かったから貧乏学生にも買えたのだろうけれど(23万円だった。バイト、とことんやりました)、学生でクルマを持っている者などまだ少なく(理系にはいたけど、文系だったし)ずいぶん「研究室の運転手」を長くつとめたことをおぼえている。
先生や先輩を乗せて走っているとき、いろんな話を聞く機会や、自分ひとりでは到底行けないところに行けたことなども、今の職業を選ぶ(とはいえ、実情は大学から逃げ遅れたらなっていた)遠因になっているのかな、と思ったりもする。
沖縄で、あてもなくクルマに乗ってうろうろするのは、超大好き。
こんなにたのしい時間のすごし方って、ちょっとほかにない(変かなぁ?)
で、勝手にいろんなもの「発見」して、勝手によろこぶのだ(苦笑)
・・・何もかも、もともとそこにあったものなんだけどね。
でも、コロンブスが新大陸を「発見」したと言えるのであれば、それも「発見」でいのだろう。
で、もちろん写真もとる。
その大半は、自分しか楽しめない写真なのだけれども。

うーん・・・ちっとも「報告」になってないなぁ。
ま、いっか。気分が変われば(^о^ゞ
では、「沖縄報告」100番台、出発です。
ベトナムでは(・・・いきなり、ですが)夏の夜のバイクの2人乗りや家族乗り(4人とか5人乗りも)が大流行。
みんな、目的地もなく、ただバイクを走らせているらしい。
涼しくて、デートや夕食後のだんらんに最高なんだそうだ。
ぼくも、家にクルマがある頃は、夜中とか明け方、目的もなく走ることが多かった。
考えてみれば、どれだけガソリンを消費したかわからないのだが、とりあえずストレスの発散にはなった。
寺社や名所なども、そんな時間に回ったところが多い。
クルマの運転は、けっこう大好き。こないだハーリーさんのところにセリカGTが出ていたけれど、免許取りたてのころ、どうしても乗りたくて買ってしまったのだった。
年式が古かったから貧乏学生にも買えたのだろうけれど(23万円だった。バイト、とことんやりました)、学生でクルマを持っている者などまだ少なく(理系にはいたけど、文系だったし)ずいぶん「研究室の運転手」を長くつとめたことをおぼえている。
先生や先輩を乗せて走っているとき、いろんな話を聞く機会や、自分ひとりでは到底行けないところに行けたことなども、今の職業を選ぶ(とはいえ、実情は大学から逃げ遅れたらなっていた)遠因になっているのかな、と思ったりもする。
沖縄で、あてもなくクルマに乗ってうろうろするのは、超大好き。
こんなにたのしい時間のすごし方って、ちょっとほかにない(変かなぁ?)
で、勝手にいろんなもの「発見」して、勝手によろこぶのだ(苦笑)
・・・何もかも、もともとそこにあったものなんだけどね。
でも、コロンブスが新大陸を「発見」したと言えるのであれば、それも「発見」でいのだろう。
で、もちろん写真もとる。
その大半は、自分しか楽しめない写真なのだけれども。

うーん・・・ちっとも「報告」になってないなぁ。
ま、いっか。気分が変われば(^о^ゞ
では、「沖縄報告」100番台、出発です。


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