2022年12月31日

「復帰50年」2022年の終わりに

振り返ろうと思うと、今年前半の印象は、とても薄いのです。

もちろん手帳を見れば、日々のこと、毎週のこと、月々のこと、

ごちゃごちゃと書き込んでいるので、記憶はたどれるのですが。


「オンライン」に追われる日々は、もう3年目になりつつも、

「対面」が復活して、手ごたえが戻って来た感触はあるのです。

ただし、コロナの感染も、身近に迫ったという現実があり、

検査キットを手放せないまま過ごしてきたわけですが、

今年前半に何があったか、どうもうまく思い出せなのです。

後半が、あまりに印象深い日々であったからかもしれません。


そんな中で、5月の沖縄の記憶は、とても鮮明です。

中でも、2年あまり行きたくて行けなかった首里城の印象。


ゆいレールの首里駅で降りて、歩いて向かった視界の先に、

最初に見えてきた光景を、これからも忘れることはないでしょう。


「復帰50年」2022年の終わりに


かなりショッキングで、一瞬固まった感覚を覚えています。

2019年10月31日の記憶がいっぺんに蘇りましたし、

「近づきたくないな」とわずかに躊躇した感情も・・・。

2年半もの間、ずっと来たいと思っていたのに。


【追記】

首里城火災については、いくつか記事を書きました。

ひとつリンクをします。

2019年11月4日「あれだけの業火の中で・・・


「復帰50年」2022年の終わりに



夜遅くの時刻や、早朝に行った時をのぞいて、

これほど人のいない首里城周辺も初めてでした。


「復帰50年」2022年の終わりに


警備員の数は、以前の3倍ほどいたのですが、

復興の工事が始まっているからだと思いました。

ホテルに入って、コンビニで買った新聞を読むまでは。


つまり、直前まで岸田首相がいたのですね。

まだ「気のいいおじさん」と勘違いをしていた頃。


「復帰50年」2022年の終わりに


「復帰50年」と書きましたが、そのことに関しては、

この記事では、ほとんど触れることができませんでした。

焼失した首里城が「本土復帰20年」の記念行事として、

建設されたこと、くらいでしょうか、関連付けるならば。


焼失という現実を隠さない形での復興は、

内実を知ればやはり尊いものだと思います。


復帰50年というのは、琉球藩設置150年でもあり、

中山王の遣明使節派遣650年でもあったわけで。

また、1660年に焼失した第2次首里城が、

再建されてから350年でもあったわけです。


「復帰50年」2022年の終わりに


はからずも、ほとんど貸し切り状態で見学を続け、

これまで気づくことのなかった大きな収穫がありました。

前回の「復元」以来、10回ほど、通算何十時間もかけて、

隅から隅まで見て回ったつもりで気づかなかったこと。

そのことは活字にしておかなければと思いながら、

もう7か月以上も過ぎてしまいました。


来年もどうなるかわかりませんが、

せめて大晦日くらい振り返ってみようと、

こんな記事を書き始めてみたのですけれど・・・。

そろそろ今年もほんとうに押し詰まってきました。

たくさんの宿題をかかえて年を越しますけれど、

無事に過ごせて来れたことはありがたく、

まだまだがんばらなければと思います。

皆さんも、どうぞ良いお年を。




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