2008年04月06日

世界で最も重い『鴨川ホルモー』のこと、「鹿男の木」のこと

書き忘れたことをひとつ思い出すと、次々に出てくるもので・・・(汗)


それでも沖縄については、これまでに2000記事ほど書いた(らしい)ので、


(それに、ブログではないけれど、これから沖縄について書いてゆく予定もあり)


なんとか、「あ~、書いたなぁ」という気分なのですが(それでももちろんまだ書き足りない)、


「鹿男」については書き始めたばかりであり、まだ頭の中で跳ね回っている状態であって、


逆にそのボルテージを下げるために、それこそ「鎮めの儀式」が必要な感じなのです(苦笑)


というわけで、あと少しだけおつきあいいただければ幸いです。




3月30日に、「鹿の句、追補 - 芭蕉、蕪村、そして枯木と鹿の角」という記事を書きました。


「追補」というのは、「「鹿男あをによし」第3回探訪報告(5)朱雀門に鹿の声を聞く」という、


やはり3月30日付の記事への補足記事であったことを意味します。


そこでは、松尾芭蕉の鹿の句を起点に、芭蕉の信奉者であった与謝蕪村の句に話が及びました。


その後、4月に入って少しばかり時間ができたので、ドラマ「鹿男あをによし」の原作でもある、


万城目さんの小説『鹿男あをによし』(幻冬社、2007年)を読み始めたのでした。


4月3日に読み始めて、その日のうちに読み終わり、こんな記事まで書いてしまったわけで。


『ホルモー六景』『鴨川ホルモー』がいずれも1週間以上かかったのとは好対照でした。


「ホルモー」の2冊、とりわけ「その作者のすべてが含まれる」と言われるデビュー作


(なんだか、「すべては”目”に含まれる」みたいですね)、つまり『鴨川ホルモー』は、


「鹿男」を解くヒントになる部分はないかと鵜の目鷹の目で何度も読み返し、


書き込みやら付箋やら何やらで、いま、ぼくの手元にある本が、


世界最重の『鴨川ホルモー』であるという自信があります。


作者を差し置いて言うのは気が引けるのですが・・・たぶん。


つまり、それだけ本気にさせてくれる作品でした。ぼくにとっては。



↓ 証拠写真^^;





これに比べたら、小説の『鹿男あをによし』はまだ新品同様で、


あるいは、これからじっくり分析していけば、もっと壮大な仕掛けや、


一読しただけでは気づかなかった、さまざまな良さがわかるのかもしれない。


(と、ここまでかなり貶(けな)してしまったので、ちょっくら気にしているワタシ^^)


ただ、まだ「ホルモー」のようには、本気にさせてもらえないのです。


そして、ドラマ「鹿男あをによし」のようには。



いま、いろんな意味であまり余裕がないので、あと一言だけ。


ドラマ「鹿男」が小説を凌駕しえた最大の要因は何か?


しばらく、そのことばかりを考えていました。


さまざまな意見が出るでしょうが、現在のぼくの解は、


「鹿男の木」です。



1800年という長大なスパンの時間的奥行き。


小説『鹿男』では、もうひとつうまく機能していなかったその構造を、


見事なまでに表現したのが、ドラマ「鹿男あをによし」でした。


そして、そのような時間構造に、さらに宇宙大の空間構造を付与した、


それこそが、ドラマ「鹿男」が「大きな物語」となりえた最大の要因でした。


つまり、その空間構造のまぎれもない視覚的象徴が「鹿男の木」だったのです。



このことは、吉田神社の話とは別に、どうしても書いておきたかったことです。


その詳細を書きついでゆく(ゆける)かどうか、それは少し考えさせてください。


勝手とは思いますが、「終了」は、ぼくの中では決定済みのことですので。


本来ならば、すでにカウントダウンは終了しているところなのですが、


最後までブレーキをかけるのに必要な体力と気力は、予想以上でした。


こんなふうにじたばたしながら、「よい時」を待とうと思います。



【補】

コメントやトラックバックの管理画面が開かない、

もしくは、開くのに相当な時間がかかるという状態が続いています。

この状態では、スパムコメント等への対応がとれないため、

各記事へのコメント・トラバを承認制とさせていただいています。

コメント、またトラックバックが反映するまで、

ある程度の時間をいただくと、あらかじめご承知おきください。

それどころか、しばしば投稿記事もハネられることがあり、

落ち着いて「よい時」を待つ心境に、ちょっとなりにくい状態です。

4月11日のメンテナンスを待てばよいのでしょうか・・・。

承認制の選択には、以上の他に意はないことを付記しておきます。
  

Posted by び ん at 01:17Comments(2)TrackBack(0)鹿男あをによし

2008年04月03日

CHIEF写真館 (奈良散策4・いろんなもの)

奈良のまちを歩いていると、いろんなものに出会う。





土蔵に立てかけてあるのは、ほうき?


いえいえ、お水取りの「お松明(たいまつ)」なのです。


だから、先のほうが焼けて、焦(こ)げている。


毎年、11本×14日分、つまり154本のお松明が用いられる。


その中には、8メートルに達する大松明が毎晩1本ずつ含まれるから、


正確には、毎年14本の大松明と、140本のお松明が用いられることになる。


それらは、相応のお布施を収めると、このように配られるのだという。


しかし、道を歩いていて、これを見つけたときには、ちょっとぎょっとした。





と思えば、こんなポスター。


どう見ても、もう20年はたっている。


80年代のスタイルだ(と思う)。懐かしい^^・・・





いっぽう、こちらは20年どころではない。


明治時代まで大蔵流狂言宗家の屋敷があった跡。


現在は、奥に細長い児童公園になっている。





たまたま、屋敷跡を駐車場にした場所があったのだが、


奈良町の古い屋敷は、こんなに奥行きがあることがわかる。


「鹿男」のドラマに出てきた「福はら」の奥行きも相当なものだった。





と思うと、「くくり猿」。縁起物。


(以上、撮影:chief )



せっかくなので、ぼくもいくつか追加。





奈良ならではの標語。


それから・・・





レトロ風な看板。





オブジェにされた、普通の柿。





魔よけの柊(ひいらぎ)。





そして、「あをによし」と刻まれた歌碑。
  

Posted by び ん at 12:24Comments(6)TrackBack(0)鹿男あをによし

2008年04月03日

CHIEF写真館 (奈良散策3・格子の家)




「格子(こうし)の家」に到着し、撮影フリーと聞いたとたん・・・


いきなりchief(チーフ)による大撮影大会が始まった。


青木めそとぼくは、しばらく他人のふりをするのに必死だった(苦笑)






















(撮影:chief モデル:鹿くん 指モデル:青木めそ 本:ホルモー六景)


最後の2枚は、こちら(びん撮影)と競作。


いくらイチデジとコンデジでも、まだまだ負けんと思っていたけど、どうだろう?・・・^^



ちなみに、chief の撮影風景は・・・





こんな感じ。


もっと過激なのは、自粛します^^;
  

Posted by び ん at 00:05Comments(4)TrackBack(1)鹿男あをによし

2008年04月02日

CHIEF写真館 (奈良散策2・ならまちを行く)

元興寺(がんごうじ)を堪能したぼくたちは、


奈良町(ならまち)をぶらぶらと歩き出したのですが、


ほんとうに、落ち着いてしっとりとした、いい街並みでした。


いつもは、写真を撮って遅れ勝ちになることはあっても、


写真を撮るだれかを待つことなど絶えてなかったのに、


この日は、街角で何度もchief (チーフ)を待ちました。


ぼくも、5週間ほどついていたがとれたばかりだったので、


少し歩いては立ち止まるペースが、ありがたかったのですが。


その間に、彼が撮っていた写真が、こちら。


まだまだありますけれど、今日は「家」を。


修理や保存にかかる手数は大変でしょうけれど、


こんな「まち」に住んでみたいと、つくづく思います。





















そして、ふと思ったのです。


長いあいだ忘れてしまっていたけれど、


たしかに自分は、こんな街並みに生まれ育ったのではないか、と。



(撮影:chief 2008年3月18日)
  

Posted by び ん at 00:07Comments(2)TrackBack(0)鹿男あをによし

2008年04月01日

CHIEF写真館 (奈良散策1・元興寺)

いよいよ新しい年度が始まりました。


ここのところ文章を読んでいただくことが多かったので、


しばらく、「鹿男」プラス沖縄・八重山探偵団のカメラマン、


chief(チーフ)の撮った写真の中から、


何枚か、じっくり見ていただこうと思います。



まずは、奈良町(ならまち)発展の中心となった、


真言律宗の古刹(こさつ)・元興寺(がんごうじ)の風景から、どうぞ。





























(撮影:chief ・2008年3月18日)
  

Posted by び ん at 12:51Comments(3)TrackBack(1)鹿男あをによし

2008年03月31日

「鹿男あをによし」第3回探訪報告(付)平城遷都1300年祭




さてさて、すでに日はとっぷりと暮れてしまいました。


わたしたちも、そろそろ朱雀門からおいとましなければなりません。





遠ざかる朱雀門が名残惜しくもありますが、


また来る機会もあるでしょう。遠からず・・・





それでは、また。


2日間、「鹿男あをによし」第3回探訪報告におつきあいいただき、


ありがとうございました。



現在、この平城宮跡を主会場とする平城遷都1300年祭の準備が、


2010年の開催をめざして着々と進められています。


中でも物議をかもしているのが、薮内佐斗司さん作のマスコットキャラクター(名前はまだない)。


ぼくもまた、このキャラクターには問題が多いと思っている側の人間です。


昨日UPした記事へのコメントへのお返事として、こんなことを書きました。



平城遷都1300年祭が2年後に予定されていますが、


イメージキャラクター問題で、はからずも露呈した運営のずさんさ、


それらを見ていると、すでに「有効」からほど遠いところに来ている


そのことは(残念ながら)どうも間違いないようです。


まずはキャラクターの差し替えから始めていただくのが筋か、と。」
(一部抜粋)



実際、イメージキャラクターをめぐる問題は、日々各種のメディアをにぎわせています。


たとえば、現在ここにリンクできるものを拾っただけでも、以下のようなぐあい。


毎日新聞 3月2日 (毎日jp による)


産経新聞 3月10日 (iza β版による)


産経新聞 3月14日


ツカサネット新聞 3月15日


いっぽう、平城遷都1300年委員会の「考え方」(3月14日)と、


南都二六会(奈良市、会長・橋本純信十輪院住職)有志からの「再考に関する要望書」(3月28日)は、


いずれも平城遷都1300年記念事業協会HPで読めます。


また、こちらがキャラクターデザインをした東京芸術大学教授・薮内佐斗司氏のHP、とりわけ「総括的なご回答」。


そして、こちらが、平城遷都1300年祭を救う会による「白紙撤回をもとめる要請書」です。



これらを読み進めて思うこと、以前から思っていたことを簡単に記します。


第一に、作者である薮内氏の認識が、あまりに浅薄で情けない。


薮内氏が、どのような職についているかということとは関係なく。



芸術と宗教は限りなく近く、大きく重なるものではありますが、


しかし、そこには一定の垣根・区別もまた、当然あるはずです。


芸術の側が、宗教に常に畏怖の心を持ち続けていたからこそ、


そこには、むしろ逆説的に宗教を超えるほどの力も宿り得た。


逆に、宗教心の真摯な高揚が、芸術を生み出す力となることがあった。


しかし、薮内さんのやり方は、ただその垣根を踏み壊しているとしか見えない。



ここ数年、注目というほどではないにしても彼の仕事(作品)は見ていますが、


あまりにも傲慢、というのが言いすぎならば、勘違いが多く含まれています。


そのような浅薄な認識の中で、生まれてきてしまったのが今回のキャラクター。


(あまりに手塚治虫チックであることには、ここではいったん目をつぶりましょう。


また、キャラクターデザイン料等として支払われた500万円が妥当であるか否かにも。)


「仏」か「童子」かという以前の問題として、薮内氏の姿勢自体に問題が大きいのです。


だから、今回のキャラクターのみを喋々する論調には、成否いずれにも与するつもりはない。


キャラクターを含む総体が、やはりどう見てもネジレている、これを是正してほしいと願うのです。



以上のような根拠から、ぼくは、ぼく自身の根拠に基づいてキャラクターの差し替えを願っています。


そして、それをかたくなに拒んでいる側にこそ、このイベントにまつわる問題が含まれると見る。


言い換えれば、キャラクター問題の喧騒の影でほくそ笑んでいる人々、また直視すべき問題を、


あらためて衆目のもとにさらけ出し、しかるべき議論の俎上に載せるべきであると強く考えます。



薮内氏は、唾棄する「ネット社会」の片隅のこの一節を読みはしないでしょうが、


もはや終わったことだと、すでに、そ知らぬ顔を決め込んでいる薮内氏に対して、


「冗談じゃない!まだこれからだ」と、まずは一言書き付けておきたいと思うのです。


ぼくにも一言申す権利はあるでしょう。童子に鹿の角が生えているからではなく。


使われるのは奈良県民の税金だけではなくて、国民全体の税金なのですから。



【追記】

毎日jpの「「注目キーワードで考える今日の論点!」に掲載していただきました。

たくさんのご支持、ありがとうございます。
  

Posted by び ん at 02:17Comments(5)TrackBack(4)鹿男あをによし

2008年03月30日

鹿の句、追補 - 芭蕉、蕪村、そして枯木と鹿の角 

前の記事に、松尾芭蕉の句、

ぴいと啼(なく)尻声悲し夜の鹿

を掲げました。


元禄7年(1694年)9月10日(旧暦)、

弟子の杉風(さんぷう)に宛てて送った書簡に、

記された発句(ほっく。現在の俳句)です。

前日に奈良を発(た)って生駒山を越え、

現在の東大阪市を通って大阪市内に到着し、

宿屋で書いた書簡ということになります。


この書簡には、

いかにも秋冬間恙(つつが)なく暮し申すべき様に覚え候間

つまり、「この秋と冬の間は、体調よく暮らしているように思えますよ」と、

記しているのにもかかわらず、芭蕉はすでに病魔におかされており、

ちょうどこの晩から、頭痛と発熱に襲われること10日間、

その後も体調は回復せず、ちょうど1ヶ月後の10月10日には、

自分の命の長くないことを悟って遺書を認(したため)ています。


旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る

の句(病中吟)を得たのは、その2日前に当たる10月8日。

そして、10月12日には多くの門人(弟子)たちに囲まれ、

申の刻(午後4時頃)に亡くなりました。享年51(数え年)。


「ぴいと啼(な)く」の句は、すなわち芭蕉最晩年の句、

ということになりますね。

奈良の猿沢の池を通りかかったときに聴いた鹿の声を、

句に吟じたものだといわれています。


杉風宛の書簡には、この句と並んで、

菊の香や奈良には古き仏達

菊の香やならは幾世の男ぶり


などといった句が記されています。

そして、

いまだ句体定め難く候。他見被成まじく候

つまり、「まだ句の体裁が定まっていないので、他の者には見せないでほしい」

と、わざわざ付記されています。

体調不良のせいでしょうか、あるいは時間不足だったのかもしれません、

芭蕉にとってみれば、まだ不満足な句のひとつだったのですね。



ところで、芭蕉から約半世紀後に生まれながら、

生涯芭蕉を信奉し続けた俳諧師のひとりに、与謝蕪村(よさぶそん)がいます。

「3日間芭蕉の句を口にしないと、口の中にイバラが生える」とまで言い、

「BACK TO BASHO(芭蕉に帰れ)」というリバイバルブームをつくる、

中心人物となっています。


その蕪村(1716~1783)に、

鹿寒し角も身に添ふ枯木哉

という句があっておどろきました。

「角も、鹿の身に添えられた枯木なんだなぁ」というんですね。


まさに、鹿の角を枯木に見立てた句です。

(参照:「「鹿男の木」のアナロジー(その1・鹿の角)」)

単純な見立て(比喩)と言ってしまえばそうなのですが、

200年以上前に、このアナロジーがひとつの句に刻まれていた、

そのことに、少しおどろいたのです。




(撮影:chief 「枯木と鹿」)


【追記】

「ぴいと啼」の芭蕉句、「ぴいと啼く 尻聲悲し 夜乃鹿」として、

むらきかずはさんの「読書とジャンプ」3月20日の記事に掲げてあります。

ぼくもコメントとTBを送っていたのですが、その所在を思い出せませんでした。

あらためて、そのことを、ここに記しておきたいと思います。


【再追記】

やはり、小説『鹿男あをによし』には芭蕉が出てくる(書かれる)のですね。

「ぴい×芭蕉」の検索でたどりついたこちら(「腰痛日記」1月6日)に書いてありました。

はやく、小説を読まねば・・・
  

Posted by び ん at 21:43Comments(0)TrackBack(0)鹿男あをによし

2008年03月30日

「鹿男あをによし」第3回探訪報告(5)朱雀門に鹿の声を聴く




とっぷりと暮れてゆく夜の底で、


朱雀門の前にたたずんでいると、


鹿の鳴き声が聞こえてくるようでした。


もちろん、ここは鹿のいる場所から何キロも離れており、


ほんらい、鹿の鳴き声が聞こえる場所ではありません。



そう。「鹿男あをによし」の最終回、


「お前、寂しいか?」と小川先生に問われ、


ただひと声、「びい」と鳴いた、あの鳴き声です。




(撮影:chief )



『ホルモー六景』『鴨川ホルモー』の順に読み進めて思うことは、


(まだ、『鹿男』には到達していないのです。やれやれ・・・)


この作者の日本古典に対する、ある程度の知識。


『鹿男あをによし』にも、それが反映していないはずはありません。



ただしかし、神無月(冬)は、季語である鹿(秋)とは、そぐわない。


その点、小説でどのような処理をしてくるのか、たのしみです。


おそらくは、秋の寂しさをうたってもっともよく知られた読人知らずの歌、


おく山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき


ではなく、(これは小倉百人一首にもとられていますね。5番目に。


その時藤原定家によって、猿丸太夫の歌ということにされるわけですが)、


松尾芭蕉の句、


びいと啼(なく)尻声悲し夜の鹿


で来るのではないのかな、なんて思ったりもしています。


(↑小説も、読む前からとことん楽しもうと思っている人^^)


もちろん百人一首歌も、「おく山」は春日山の奥山ですし、


その意味で飛火野の背景としては、ぴったりなのですが。


そして、すでにぼく自身「鹿男」の物語は、時空を超えると予想してもいるのですが。


それは、言い換えれば、「季節を超える」ということでもありますから。



ただ、やはり、明示・明言された「秋」と、鹿声とが、いまひとつしっくりこない。


そんなわけで、ぼくの耳に聞こえた鹿の鳴き声も「びい」。


そういえば、芭蕉には、


武蔵野や一寸ほどな鹿の声


という句もありました。


本来目に見えないはずのものを、目に見えるものとして吟ずる。


これこそ、松尾芭蕉という俳諧師(はいかいし)の真骨頂でした。


一寸(約3センチ)という短い声を示すことで、


長い長い悲しみを表現しえた、稀有の句だと思います。



【付記】

第3回探訪報告が5つまとまりましたので、

1週間以内にTBを送っていただいた方に、

(コメント欄等読ませていただいた上で)

トラックバックをお送りしています。

ご支障があれば、お手数ですがお知らせください。
  

Posted by び ん at 11:06Comments(12)TrackBack(15)鹿男あをによし

2008年03月30日

「鹿男あをによし」第3回探訪報告(4) リチャード無念

ライトアップされた朱雀門が堂々と立ちはだかる、


その目の前を、近鉄電車が走り抜けて行きます。





そう、あの日、リチャードが「目」である三角縁神獣鏡を、


投げつけようとした近鉄奈良線の難波(なんば)行き電車です。


彼のおかげで、「マイ鹿です!先生」の名場面を見ることが出来たのですが^^



自分のものにならないのであれば、いっそなくなってしまえばいい!


ドラマで見せられた私たちには、あくまでも他人のことのように映りましたが、


考えてみれば、それは誰もが多かれ少なかれ抱いたことのある気持ちでは。



そんなことを思いつつ、朱雀門を離れ、


近鉄大和西大寺駅に向かおうとしたその時、


平城宮跡の案内板の反対側にこんな看板を発見。


「平城宮跡内での ゴルフを禁止する 文化庁」





あ!そうか・・・


リチャードが朱雀門で正気を失ってしまったのは・・・


ひょっとしたら、ゴルフのせいかもしれない!



なんせ彼は新人教師を籠絡しようと思った時に、


自分が好きなゴルフに誘うのが得意技でしたからね。



なんてことを思いつつ、


平城宮跡をあとにしましたとさ(笑)


そっか。あとにしなくても、最初から「跡」だ(チャンチャンタラ~
  

Posted by び ん at 00:03Comments(0)TrackBack(0)鹿男あをによし

2008年03月29日

「鹿男あをによし」第3回探訪報告(3) 朱雀門




朱雀門にたどりついた時には、すでに夕陽は生駒山に沈み、


しだいに夕闇が迫る中、みごとなライトアップがなされていました。





「鎮めの儀式」(2007年10月31日。放送日は3月20日)から、


もうずいぶんの時間がたったようで。・・・通りかかる人もいない。





と思っていましたら、いきなり裏手でフラッシュの光。


ぼく以外にも、朱雀門を撮りに来ていた人がいたようで(^-^;


梁(はり)の上には、まだネズミがいるように思えましたよ。





ちなみに、「朱雀門」の扁額(へんがく)は、南向きに。


つまり、近鉄電車からは、反対の面についています。
  

Posted by び ん at 12:06Comments(6)TrackBack(0)鹿男あをによし