2019年11月04日

あれだけの業火の中で・・・

よくぞあれだけの業火の中で・・・。

そう思わずにはいられなかった。


11月1日から2日にかけて実況検分が進み、

首里城の被害状況が明らかになるにつれ、

収蔵品の悲観的な報道ばかりが流れた。

中には、収蔵庫内は絶望的だと記すものも。


それはそうだろう、いかに耐火が施されていても

あれだけの猛火の中で、どれだけ耐えられるか、

そう思わせられるだけのすさまじい火勢であった。


じっさい、収蔵庫に収蔵していなかった資料、

つまり常設展示品400点あまりが絶望的だ、

ということは11月1日のうちに報道されていた。


ただ、正殿全体が木造建築であるのに対して、

南殿・北殿などの躯体はコンクリート製である。

そして、完全に焼け落ちた正殿と比べるならば、

収蔵庫のある南殿などの全体構造は残っている。

(報道される写真からは、そう判断できた)

そこに、一縷の望みを抱きつつすごした。


しかし、収蔵品の大半は紙であり木である。

そして消火までの11時間は、やはり長すぎる。

外側からの高熱を受けて発火した可能性、

それはどうしても否定できないだろう・・・。


あれだけの業火の中で・・・
(首里城南殿 2016.3.14)


ところが2日の夕方になって状況が動いた。

南殿収蔵庫は開けられない状態だが、

(熱によって枠が歪んで、とのことだった)

収蔵日は無事である可能性がある、と。


ほっとした。正直、とてもほっとした。

いやまだ不確定な情報だと思いつつ、

それでも、心がほどける思いだった。


ここ2日、寝ても夢を見て何度も起きてしまい、

うまく眠れていない状態が、ずっと続いていた。

(腹ばかり立てていたのは、そのせいもあるだろう)


収蔵品が無事である可能性があると知った、

2日の夜からは、3日にかけて12時間ばかり眠った。


昼近くに起きた時には、2日の収蔵品調査の結果、

無事の可能性がかなり高いという報道が目に入った。

(たとえば、『琉球新報』11.3 9:59


そして、3日の夕方になって、無事が報道された。

(たとえば、『沖縄タイムス』11.3 14:30


もちろん、正殿本体をはじめとする貴重な建物群、

そして、10年以上もかけて制作された内部の調度、

また、常設展示に供されていた421点もの諸資料、

それらがことごとく焼失してしまった事実は動かない。


復元した建築や資料の中には、再び復元できない、

そのようなものも、多数含まれていることは確かだ。


それでも、どれも二つとない収蔵庫内の貴重資料が、

無事であったことには、快哉を叫びたい思いなのだ。


あれだけの業火の中で・・・
(首里森御嶽 同上)


そして、もうひとつ、ぜひ書いておきたかったこと。

首里城の起源かつ中心とすら呼ぶことのできる、

首里森御嶽(スイムイウタキ)が無事であること。


こちらは、ほとんど報道にはあがってこないのだが、

火の回りを物語るかのように北殿側を焼失しながら、

南殿側が焼け残った奉神門に守られるかのように、

御嶽が無事であったことが報道写真から確認できる。


このこともまた非常に喜ばしいことであり、

むしろ人智を超えた「力」を強く感じさせる。


あれだけの業火の中で・・・
(首里城奉神門 同上)


10月31日、そして11月1日には、

絶望と悲しみしかないように思えた。

しかし、守るべき「力」は確実に働き、

「力」は、また新たに集結しつつある。


ぼくは、文化の日は必ずしも好きではないのだが、

(参照:沖縄・八重山探偵団 2016.11.3

リンク先、まちがえていました。つなぎ直しておきます。

必ずしも好きではないのですが、別の意味で好きです。)

あるいは、これは文化の日の贈り物なのではないか、

そんなことすら思いながら、日曜日の午後を過ごした。




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