2023年06月23日

2023年6月23日

6月23日、夜10時すぎ。

ブログの管理画面を開いてみた。


すでに、ここ数日の倍のアクセスがある。

来てくださる方の数は一時より少ないが、

(それはそうだろう。この更新内容では。)

気にしていてくださる人は、いるのだろう。


今年もまた、6月の沖縄はキャンセルに。

どうしても仕事を断ることができなかった。

貝博士には申し訳ないことをしてしまった。



自宅のテレビで全戦没者追悼式を見た。

20年くらいがんばってくれたテレビの、

最後の仕事になった、と書いておく。

それからすぐに、リサイクル品となって、

どこか知らないところに運ばれていった。



玉城デニー知事の長文の「平和宣言」は、

「もう日本本土には期待しない」と聞こえた。


岸田首相の、気のない話のあいだ、

テレビカメラは繰り返し参列者の方を向き、

静かな怒りが満ちている様子をまざまざと映した。


軍事費の大増強を「手土産」に沖縄にやって来て、

この人は、いまさら一体何を話しているのだろう?

それらの軍事費の多くを南西方面に投入して、

ふたたび沖縄を戦火に巻き込む準備を始め、

はたして、どの口が「平和」を語っているのだろう?


岸田氏の話は「金は出すから黙っていろ」と、

言いながら自分でも何を言っているのか、

理解できない無気力さにおおわれていた。

そこを、しらじらしく乗り越えて平気でいる、

前、前々首相とは違うのだとはいいながら、

やっていることは輪をかけて始末に負えない。


2023年6月23日
2022.5.15 コンベンションセンター入口



救いは、平安名 秋君の「平和の詩」だった。

「今、平和は問いかける」

すでに全文が発表されているので、

(ぼく自身が、覚えておきたいので)

そのまま転載させていただく。



夏六月

溶けかけたアイスを手に走り出す

緑萌ゆるこの島の昼下がり

礎に刻まれた「兄」に

まるであの日のように

そっと触れるおばぁの涙は

陽炎が登る摩文仁の丘に

ただ果てしなく広がっていく

その涙は体を包み込み

私を「あの日」へといざなう

限りないこの空は

何を覚えているのだろう

涙に満ちたおばぁの瞳は

何を語りかけているのだろう

七十八年前の

あの日

あの時

かけがえのない

たったひとつの命が

憎しみと悲しみの中で

散っていった

名も無き赤子の

微かな

微かな泣き声は

震える母の手によって

冷たく光の無いガマの中で

儚く消えていった

幾多もの砲弾が

紺碧の海を黒く染める鉄の嵐となって

この島に降り注いだ

戦争が起きる前

そこには日常があった

私達と同じように

原っぱを駆け回り

友達とおしゃべりをする

みんなで暖かいご飯を食べ

時には泣き

時には笑い

時には「ありがとう」を伝える

そんな今と変わらない日常が

平和が

そこにはあった

平和は不確かで

脆く崩れやすい

いつもすぐそばにあるのに

いつのまにか消えていく

おばぁの涙は

摩文仁の丘に永遠(とわ)に灯る平和の火は

今、私達に問いかける

平和とは何かを

私達に出来ることは何かを

私は過去から学び

そして未来へと語り継いでいきたい

おばぁの涙を

沖縄の想いを

かけがえのない人達を

決して失いたくはないから

今日も時は過ぎていく

いつもと変わらずに

先人達が紡いできた平和を

次は私達が紡いでいこう

そして世界に届けていきたい

平和を創り

守っていく

この沖縄の「チムグクル」を



(「毎日新聞によるストーリー」より)


真摯に紡ぎ出された言葉には、

まだ、力があると、信じたい。




同じカテゴリー(沖縄に寄せて)の記事

お返事が遅くなる場合があります。あしからず。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。