2007年05月27日

辺野古にて(三)













(付言)
家を撮ることは、人を撮ることに似ているかもしれない。

ふたつとない、たたずまいの魅力があって心をひかれる。

しかし、その「ふたつとな」さによって、撮影は攻撃にもなりうる。

そして問題は、その先にもあるだろう。こうやって掲載することの是非。


理想的なのは、人をとる場合にそうであるように、その家に住む人の許可を得ることだろう。

あるいは、その逆に、メモリーの中に収めたまま、公開しないこと。

そのいずれとも違う選択をしようとするとき、心に一抹の疚(やま)しさが残る。

このように記して免責されたとは思わないが、自問のままに記しておく。

その時その場に確かに在(あ)った自分を、いとおしみつつ。



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この記事へのコメント
はじめまして
足跡をたどってきました

付言、共感致します
Posted by なま at 2007年05月27日 00:42
この地を踏み
心を残しつつ
ふたつとない我をもみる。・・でしょうか?

人も家も・・・
撮ることは魅了し愛したこと・・・
人も家も愛されていれば・・・
微笑んでいるのでは(^^)

こんばんは! 
私ごとき、お忘れかと思いますが・・・
それはそれで 面白きことで・・(^^)
お元気そうで 何より何より!!!
Posted by hime at 2007年05月27日 00:59
足跡をみてよらせていただきました。
自分の中にあって形がない思いが「付言」でその形を得たような気がします。
なんとなく、方丈記の一節を思い出しました。
Posted by ataichi at 2007年05月27日 01:20
>なまさん

いらっしゃいませ。

ご共感の表明、ありがとうございます。


>himeさん

はてさて、どなたでしたでしょうか・・・

とりあえず、ほどほど元気ではありますが、
おぼめかしい物言いを喜ぶほどの元気はありません(汗


>ataichiさん

いらっしゃいませ。そう言っていただきますと嬉しいです。

「方丈記」ですか?・・・確かに部屋は狭いのですが^^;
Posted by びん at 2007年05月27日 04:19
私も無人になった古民家などの写真を良く撮ります。
何件かはブログにUPしましたが、ほとんどはPCの中で眠っています。
家にも表情があって、自然と一体化を感じることが度々あります・・・。
びんさんの写真にある「雨戸が閉ざされたままのセメント瓦の家」みたいな感じの家が大好きです。

掲載には賛否両論あるかもしれませんが、場所が特定出来るものが写っているもの以外は掲載しても良いかな~なんて思っています・・・。
Posted by まめっち at 2007年05月27日 14:08
つまり、「自分の家の写真、知らない人のブログに載って、うれしい?」ということなのでしょうね。

>「雨戸が閉ざされたままのセメント瓦の家」

4番目の写真ですね。
車の中からだったんですが、思わすスピードゆるめてもらいました。

「辺野古にて」というタイトルなので、よけいに考えました。
もちろん、1番上は「みぃこの家」で沖縄ファンには有名ですし、辺野古には化粧を施されて宮本亜門さんの「BEAT」に出てきた家もたくさんありますし、でも、映画俳優だからといってプライベートの写真を撮るのは失礼なわけで・・・
難しいですね。難しいの一言の中に逃げ込みたくありませんが。
Posted by びん at 2007年05月27日 15:54
びんさん、自分も写真を掲載している者の一人として、そこの所を一番考えます。
そこで痞えて、一度は写真をやめました。
(人ではなく、自然などを撮っている分には問題はないのですが・・・)

撮った限りは見てもらいたい、というのが撮った者の心情です。
「これは了解を得てるからいいだろう」とか「20年近く時を経てるからいいだろう」とかいろいろ考えます。

見た人がいい心持になる写真は、良いと判断してますが・・・
Posted by TARO at 2007年05月27日 18:39
ご意見、重く受け止めました。
ぼくなどの素人には(と言って逃げることのできない状況なのかもしれませんが)わからない葛藤だったのだと察します。

撮った限りは見てもらいたい。確かに、そのような気持ちになります。
というより、すでに見てもらうために撮っている部分も大きくなっています。

撮られた方が、時間的にも距離的にも遠く存在する場合には、また異なった心情も生じるのでしょうね。

少なくともぼくは、TAROさんの写真、これからも見せてもらおうと思っています。
リップサービスのつもりはなく、「いい心持」になることが少なくないので。
Posted by びん at 2007年05月27日 19:50
おひさしぶりです。うみうさぎです。
写真が文章の何十倍も伝達能力があるのも確実です。
(私の場合は、見た瞬間に心がその場所に飛んで行きます。あーっここはあの場所だっ・・・)

辺野古・・・。
問題の場所付近には 飴で立てた無用のチョウブツが立ち並び片方にはこのような面もある。

なんといえばいいのでしょうかね。。。この心の感じは。。。
(この写真と撮ったのにはびんさんにも撮りたい思いがあったのでしょうね。)
久々に沖縄のリアルを見つめさせられました。感謝ですm(__)m
Posted by うみうさぎ at 2007年05月28日 01:47
ありがとうございます、うみうさぎさん。

「撮りたい思い」・・・思い出しています。

たしかに、写真には文章にない大きな力があります。
それゆえに、より考えなければならないことも付随してくるのでしょうね。

ぼくは、ほんとうにたまさかの旅行者でしかありませんが、
それでもなお、「こんなところもあるんだよ」という思いが先走ります。
さまざまな意味で。
Posted by びん at 2007年05月28日 12:47
こんにちは。
>こうやって掲載することの是非。
私もたまに考える事があります。
建物も民家もお店も人もブログに載せていいものだろうか?って。
なので人とかは後ろ向きの姿だとか、顔が分からない様にとか
一応考えながら撮ってはいるのですが。。。^^;
でもたまに、そうもいかない時もあって。
でも撮りたいって思う時もあって。
あとはそれを載せるかどうかは
ブログをやってる個々の責任でって感じなのでしょうか・・・^^;?
そう言えば、辺野古には凄く行きたいんです。
1度行きましたが5分ぐらいで帰ってしまったので^^;
Posted by kobe307 at 2007年05月30日 11:29
5分だけでも、辺野古に行きたかったお気持ち、よくわかります。
3日間、辺野古だけにかよう、なんてことは、近年はなかなかできなくなっていましたので。
長くても半日、短いと1時間程度なんてこともありました。
それでも自分の中で「行ったよ」と折り合いをつけることは(いくら他人が「自己満足だろ」と言おうとも)ぼくには大事なことです。

今回、金城祐治さんがいらっしゃらない(ご入院中)ということがわかって、テントには行きませんでした。
1時間くらい、浜や集落をぶらぶら歩いて、それで次の目的地に移動しました。
見どころ、たくさんありますよ。その一部だけでもお知らせしたいなと思って、こんな記事を書いています・・・
Posted by びん at 2007年05月30日 15:36
ホントはもっと見たかった辺野古でしたが
一緒に行く人によっては沖縄を味わう仕方がそれぞれで、
それ以上もっと辺野古を見たいと言えずに居まして。。
目の前にして奥の方まで行けなかったのが今では凄く残念です。
そしてびんさんの数々の辺野古の記事を見て
さらに辺野古へ行こうと言う気持ちが強くなったのは確かな事で、
次ぎに沖縄本島へ行く時はもっと長く居れたらと思います。
びんさんの言うように見所がきっと色々あるんでしょうね。
Posted by kobe307 at 2007年05月30日 16:45
たしかに。同行者の問題ということはありますよね。
ぼくも、同行者に強要することはありませんでしたが、あるいはぼくに気を使っていた人がいたかもしれません(これまで、延べ人数で30名ほど案内したでしょうか)。

それでも、いままで「行ってよかった」と言わない人はいませんでした。それが救いです。
もちろん、そこにいらっしゃるかたがたの魅力が、そう言わせているのだと理解しています。

その意味でも、金城祐治さんを失ったことは大きいと、あらためて思います。(いえ、大きな意味では失ってなどいないのでしょうけれど・・・)
Posted by びん at 2007年05月30日 20:16
お返事が遅くなる場合があります。あしからず。
 
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