2019年06月24日
壺屋からやって来た、木彫りのシーサー (沖縄想定紀行1906-6)
14年前の2005年6月25日のこと。
帰りのフライトの時間までのあいだに、
少し時間があったので急いで壺屋を訪れた。
むしろ、この時は、
壺屋の井戸(カー)を見る、
そちらのほうに目的の重点があった。
ゆっくり、お店を訪ねている時間がなく、
入口(ひめゆり通り側)から、ほど近い、
まじる商店に、駆け込んだのであった。
当時はまだ大阪の阪神百貨店の沖縄物産展は、
5月末から6月初旬にかけて開かれていたので、
直前の物産展でお世話になったご挨拶をかねて、
時計を見ながら、足を運んだのである。
まじるさん(ご主人)は、あいにく外出中で、
奥さんとしばらくお話をさせていただいたのだが、
その時、お店に気になるシーサー(?)があった。
付いていた値段は、当時のぼくには、
正直ちょっと高いかなと思えたのだが、
お話をうかがった行きがかり上もあって、
その木彫りシーサーをいただいて帰った。
もちろん、今でもわが家に飾られている。
聞けば、北海道のアイヌの末裔のかたが、
しばらく沖縄に滞在していたあいだに、
彫ったシーサーだというのである。
壺屋焼きシーサーが主流になる前に、
沖縄にも木彫りのシーサーはあった。
ただ、数からすれば、それらは少数で、
それらは「木彫り獅子」とは呼ばれても、
まだ「シーサー」と呼ばれることもない、
そんな時代の作品が中心である。
あれから14年。その途中には、
7年間で1回しか行けない時期もあったが、
残る7年で17回の沖縄行きを重ねてこれた。
(もちろん回数の問題ではないことは確か。)
その間、シーサーについての知識も増えたし、
アイヌに関しても知ることは増えたけれど、
木彫りシーサーの作家についてはわからない。
まじるさん、今年は77歳の喜寿の歳である。
そんなことを思うと、行きたい場所がまた増える。
帰りのフライトの時間までのあいだに、
少し時間があったので急いで壺屋を訪れた。
むしろ、この時は、
壺屋の井戸(カー)を見る、
そちらのほうに目的の重点があった。
ゆっくり、お店を訪ねている時間がなく、
入口(ひめゆり通り側)から、ほど近い、
まじる商店に、駆け込んだのであった。
当時はまだ大阪の阪神百貨店の沖縄物産展は、
5月末から6月初旬にかけて開かれていたので、
直前の物産展でお世話になったご挨拶をかねて、
時計を見ながら、足を運んだのである。
まじるさん(ご主人)は、あいにく外出中で、
奥さんとしばらくお話をさせていただいたのだが、
その時、お店に気になるシーサー(?)があった。
付いていた値段は、当時のぼくには、
正直ちょっと高いかなと思えたのだが、
お話をうかがった行きがかり上もあって、
その木彫りシーサーをいただいて帰った。
もちろん、今でもわが家に飾られている。
聞けば、北海道のアイヌの末裔のかたが、
しばらく沖縄に滞在していたあいだに、
彫ったシーサーだというのである。
壺屋焼きシーサーが主流になる前に、
沖縄にも木彫りのシーサーはあった。
ただ、数からすれば、それらは少数で、
それらは「木彫り獅子」とは呼ばれても、
まだ「シーサー」と呼ばれることもない、
そんな時代の作品が中心である。
あれから14年。その途中には、
7年間で1回しか行けない時期もあったが、
残る7年で17回の沖縄行きを重ねてこれた。
(もちろん回数の問題ではないことは確か。)
その間、シーサーについての知識も増えたし、
アイヌに関しても知ることは増えたけれど、
木彫りシーサーの作家についてはわからない。
まじるさん、今年は77歳の喜寿の歳である。
そんなことを思うと、行きたい場所がまた増える。
お返事が遅くなる場合があります。あしからず。