2006年01月30日

沖縄報告108 チャーギ探偵団

沖縄報告、中村家住宅に来たというのに、庭木の中にチャーギ(イヌマキ)を探して、うろうろしている。

↓右の奥の木、あやしくない?

沖縄報告108 チャーギ探偵団


もっと大きくなると、こうなる

あ。玉グスクにあったような気が・・・


沖縄報告108 チャーギ探偵団


うーん・・・これだけじゃわかんないな。


ところで、これが日本一のイヌマキなのだそうだ。

樹齢500年で13メートル、か。

500年前(1506年)といえば・・・

1504年:立河原の戦い
1506年:九頭竜川の戦い
1506年:般若野の戦い
1508年:撰銭の法
1510年:三浦の乱
1510年:沖縄全域が琉球王朝の領土となる
1510年:権現山の戦い
1512年:壬申約条締結

こんな時代(ムラウチ社長日記による)

もう少しで琉球全土(とはいえ島々はまだだが)が王朝の版図となる時代。



イヌマキ、こうなるとすごいね

巨樹のもつ、荒々しい生命力、神々しい存在感が際立っている。

がじゅまるのように髭根はないけれど、キジムナーが住んでいそうだ。


暴れん坊のデイゴについて書いたけれど、それでも人々がデイゴを愛してきたのは、ただ花の美しさだけによるのではないのではないか?

樹木のもつ、時に荒々しいほどの生命力を身近な場所で感ずることによって、その「力」を吸収したいという想いがあったように感ずる。

そしてそれはまた、もっとわかりやすく言えば、「信仰の対象」ということであった。

チャーギが神に捧げられる(「なんくる主婦の年中わーばぐち」参照)のも、そういう精神的背景からではないかと、現時点でぼくは理解している。


もうひとつ、これはヤマト的解釈なのだけれど、葉が針や剣のような樹木は、魔除けとして用いられる。

じっさい、手裏剣の玩具にしたそうだ。

イヌマキの場合も、魔除けという目的が考えられるのだ。

それらが寺社に多く植えられているのも、このこととかかわりあうのかもしれない。


「イヌマキ 魔除け」で検索していたら・・・

薩摩(知覧)に屏風石(つまり、ヒンプン)を見つけてしまった。


中国では「土松(トゥーソン)」と呼ぶらしい。

それから、「羅漢松」というのも、もともとは中国語なのだった。

「袈裟」の形が、日本のお坊さんには似ていないと思ったぞ。

中国語の発音で「ルオ ハン ソン」。


・・・チャーギ探偵団、まだまだ奥は深そうだ。


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