2017年05月14日
4月後半は1冊も読了できなかったので、宮里一夫著『沖縄「韓国レポート」』(おきなわ文庫)について補足しておきたい。
読書の記事をあまりに書けていないままなので、
宮里一夫氏の『沖縄「韓国レポート」』について補足したい。
(【 報告(今年読了した本)4月前半期 4月1日~15日 『沖縄「韓国レポート」』など 】)
沖縄と朝鮮半島の文化に共通点が非常に多いことは、
以前から、個人的に関心を持っていたことである。
とりわけ、沖縄本島よりも、むしろ八重山の島々に、
朝鮮文化との共通項が多く存在することについて、
かねてから、とても興味深い現象だなと思っていた。
かれこれ、もう10年も前のことになるけれど、
ひと夏かけて、関連する文献を読み漁ってみた。
日本語の文献については、ある程度押さえることができたが、
肝心の朝鮮語ができないので限界を感じて、そのままにしていた。
著者である宮里一夫さんは、いわゆる研究者ではないのだけれど、
韓国への在住期間が長いため、多くの韓国語文献を読んでいる。
そのうえで日本語の文献も渉猟しているので、信頼度が高い。
『朝鮮王朝実録』や『中世対外関係史』といった基本文献のみならず、
たとえば先にも触れた司馬遼太郎が、『故郷忘じがたく候』に描いた
秀吉の朝鮮出兵によって薩摩の捕虜となった李氏朝鮮時代の陶工が、
琉球王国に渡ったことまで、朝鮮側の資料にもとづいて跡づけている。
あるいは、韓国の国立中央博物館で東恩納寛淳が琉球古地図を見て、
「最古の南島地図」(『黎明期の海外交通史』)だと見抜いたことに触れ、
朝鮮をしばしば訪れた15世紀の博多僧・道安が琉球にも赴いたことや、
朝鮮通信史・申俶舟の『海東諸国記』などにも縦横無尽に言及している。
つまり、琉朝双方の該博な知識にもとづいて、この本を書いておられる。
沖縄戦で破壊され、県博に残欠が保存された「波の上の朝鮮梵鐘」が、
本来は朝鮮半島(慶尚南道)にある寺の梵鐘であったこと、そして、
朝鮮側から友好のしるしとして贈られたことは多少は知っていた。
県博50周年に当たる1995年に復元作業が行われたことも、
ある程度(沖縄に通い始めた時期なので)知っていたけれど、
本書を読むと、朝鮮半島における梵鐘について理解できる。
たしかに、贈る前に作った場所や、作った人がいるわけで、
そんなことには思いもよらなかった自分が恥ずかしい。
沖縄にあった、そんな「朝鮮梵鐘」のうちのひとつが、
第2次大戦の戦利品としてアメリカ合衆国に持ち運ばれ、
サンチャゴ市基地内博物館の所蔵品として発見されたこと、
その情報を寄せたのがアメリカ人であることなどの逸話は、
この本を読んでいて胸を打たれる出色のエピソードである。
ここには、韓国・朝鮮と日本、そしてアメリカと沖縄・日本という、
いわば国を超えた幾重もの「友好」や「好意」が介在していて、
その象徴が「波の上の朝鮮梵鐘」だったという事実がある。
「日米韓」などといえば、キナ臭さが漂ってくる昨今ではあるが、
北朝鮮や沖縄といった東アジア全域をも大きく包み込んで、
確実に、そこには対話の時代が存在していたわけで・・・。
合衆国の北太平洋艦隊も朝鮮半島には肉薄せず、
北朝鮮の核実験施設ではバレーボールが行なわれる、
そこにはやはり、対話への遠回しなメッセージがある。
トランプが大統領選挙戦の最中に語った金成恩との対話、
しかしそれは第三国で実現するさえ極めて困難なことであると、
5月の第1週まで思われていたことが、オスロで間接的に実現した。
もちろん、そこにはかつて見たような田舎芝居のにおいがあり、
これからの先行きは、ほとんどまったく予断を許さないものがある。
しかし、どちらかの先制攻撃よりも、ずっと実現可能性が高いと、
祈るように信じようとしてきたことで、少し報われた気分にはなる。
いや、その逆を考えたならば、まさに天と地の差であろう。
ただし、追い詰められているのが金正恩である以上に、
トランプである状況は、じつに予断を許さないのだが・・・。
それでもなお、東アジアには「対話の時代」があった。
主に沖縄から発信されたそのことを、思い返してみたい。
宮里一夫氏の『沖縄「韓国レポート」』について補足したい。
(【 報告(今年読了した本)4月前半期 4月1日~15日 『沖縄「韓国レポート」』など 】)
沖縄と朝鮮半島の文化に共通点が非常に多いことは、
以前から、個人的に関心を持っていたことである。
とりわけ、沖縄本島よりも、むしろ八重山の島々に、
朝鮮文化との共通項が多く存在することについて、
かねてから、とても興味深い現象だなと思っていた。
かれこれ、もう10年も前のことになるけれど、
ひと夏かけて、関連する文献を読み漁ってみた。
日本語の文献については、ある程度押さえることができたが、
肝心の朝鮮語ができないので限界を感じて、そのままにしていた。
著者である宮里一夫さんは、いわゆる研究者ではないのだけれど、
韓国への在住期間が長いため、多くの韓国語文献を読んでいる。
そのうえで日本語の文献も渉猟しているので、信頼度が高い。
『朝鮮王朝実録』や『中世対外関係史』といった基本文献のみならず、
たとえば先にも触れた司馬遼太郎が、『故郷忘じがたく候』に描いた
秀吉の朝鮮出兵によって薩摩の捕虜となった李氏朝鮮時代の陶工が、
琉球王国に渡ったことまで、朝鮮側の資料にもとづいて跡づけている。
あるいは、韓国の国立中央博物館で東恩納寛淳が琉球古地図を見て、
「最古の南島地図」(『黎明期の海外交通史』)だと見抜いたことに触れ、
朝鮮をしばしば訪れた15世紀の博多僧・道安が琉球にも赴いたことや、
朝鮮通信史・申俶舟の『海東諸国記』などにも縦横無尽に言及している。
つまり、琉朝双方の該博な知識にもとづいて、この本を書いておられる。
沖縄戦で破壊され、県博に残欠が保存された「波の上の朝鮮梵鐘」が、
本来は朝鮮半島(慶尚南道)にある寺の梵鐘であったこと、そして、
朝鮮側から友好のしるしとして贈られたことは多少は知っていた。
県博50周年に当たる1995年に復元作業が行われたことも、
ある程度(沖縄に通い始めた時期なので)知っていたけれど、
本書を読むと、朝鮮半島における梵鐘について理解できる。
たしかに、贈る前に作った場所や、作った人がいるわけで、
そんなことには思いもよらなかった自分が恥ずかしい。
沖縄にあった、そんな「朝鮮梵鐘」のうちのひとつが、
第2次大戦の戦利品としてアメリカ合衆国に持ち運ばれ、
サンチャゴ市基地内博物館の所蔵品として発見されたこと、
その情報を寄せたのがアメリカ人であることなどの逸話は、
この本を読んでいて胸を打たれる出色のエピソードである。
ここには、韓国・朝鮮と日本、そしてアメリカと沖縄・日本という、
いわば国を超えた幾重もの「友好」や「好意」が介在していて、
その象徴が「波の上の朝鮮梵鐘」だったという事実がある。
「日米韓」などといえば、キナ臭さが漂ってくる昨今ではあるが、
北朝鮮や沖縄といった東アジア全域をも大きく包み込んで、
確実に、そこには対話の時代が存在していたわけで・・・。
合衆国の北太平洋艦隊も朝鮮半島には肉薄せず、
北朝鮮の核実験施設ではバレーボールが行なわれる、
そこにはやはり、対話への遠回しなメッセージがある。
トランプが大統領選挙戦の最中に語った金成恩との対話、
しかしそれは第三国で実現するさえ極めて困難なことであると、
5月の第1週まで思われていたことが、オスロで間接的に実現した。
もちろん、そこにはかつて見たような田舎芝居のにおいがあり、
これからの先行きは、ほとんどまったく予断を許さないものがある。
しかし、どちらかの先制攻撃よりも、ずっと実現可能性が高いと、
祈るように信じようとしてきたことで、少し報われた気分にはなる。
いや、その逆を考えたならば、まさに天と地の差であろう。
ただし、追い詰められているのが金正恩である以上に、
トランプである状況は、じつに予断を許さないのだが・・・。
それでもなお、東アジアには「対話の時代」があった。
主に沖縄から発信されたそのことを、思い返してみたい。
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