2017年04月22日

【 報告(今年読了した本)4月前半期 4月1日~15日 『沖縄「韓国レポート」』など 】

4月の前半期といいつつ、すでに月の下旬です。

ともあれ、今月の前半に読了した、本の報告を・・・


1、宮里一夫 沖縄「韓国レポート」 ひるぎ社おきなわ文庫 1998年

2、谷口吉郎 日本建築の曲線的意匠・序説 新潮社 1960年

3、小林秀雄 本居宣長-「物のあはれ」の説について 新潮社 1960年

4、鈴木成高 日本に於ける伝統と近代 新潮社 1959年

5、司馬遼太郎 余話として 文藝春秋文春文庫 1979年

6、中条省平編 三島由紀夫が死んだ日 実業之日本社 2005年

7、いとうせいこう 存在しない小説 講談社 2013年

8、橋本雅之 引き算思考の日本文化 創元社 2014年

9、金田一春彦 日本語の表現 新潮社 1959年

10、津村記久子・江弘毅 大阪的 ミシマ社 2017年

11、風巻景次郎 古今と新古今の間 新潮社 1959年

12、苅部直 阿部公房の都市 講談社 2012年


以上、12冊です。

通算でいえば、27冊目から38冊目まで。

とにかく、目が覚めている間は、ひたすら読みました。

(その代わり16日以降はバテて、まだ1冊も読了していません・汗)


今年に入って新潮社の約半世紀前の日本文化シリーズを、

続けて読んでいるわけですが(今回は2,3,4,9,11)、

当時の「論壇」の状況が、少しずつ見えてきた感じがします。

それぞれに力量のある一線級の論者が書いているのですが、

2010年代という「現在」から見れば、当然さまざまな問題もある。

たとえば、文化論は、まだ読み物(よい意味で)ではないのですね。

だから、次の世代の司馬遼太郎が読ませる力量(たとえば5、)は、

桁違いであり、70年代は画期であったと、改めて感じるのです。

(司馬の文化論を読んだあとで60年代に戻るのは、しんどい。)

おそらく、そのあたりの事情を切実に自覚した小林秀雄は、

3をもとに、畢生の大作『本居宣長』(1977年)を書くわけで。

ぼくらは、そのあとの時代に読書をはじめた世代として、

そういった先人の「地ならし」に感謝すべきだと思う一方、

21世紀現在の論壇が、いかに幼児化・蛸壺化しているか、

「読み物化」のもたらした負の側面にも気づかざるを得ない。



全冊の感想を書くのは、ちょっと無理なので、

1の『沖縄「韓国レポート」』の紹介を少々・・・。

これは、一昨年(2015年)の10月に、

那覇空港の売店で購入したものでした。


【 報告(今年読了した本)4月前半期 4月1日~15日 『沖縄「韓国レポート」』など 】
(その頃、スージーさんは撮影に余念がありません。)


その時には、第1章の「沖縄・韓国交流史」だけを読んでいたので、

今回は、第1章を再読し、残る第2章「韓国ヨロカジ(いろいろ)」と、

第3章「洪吉童(ホンギルドン)」を語る」を読んだわけです。


ホンギルドン(またはホン・ギルトン 홍길동)とは、

李氏朝鮮時代の小説『洪吉童伝』の主人公であり、

義賊的な盗賊として、半島では広く知られたヒーローです。


そして、八重山にわたって、オヤケアカハチになったという、

そんな琉球王国時代の伝説が、残っているわけなのですね。

(参照1:琉球新報 2000年10月13日


ただ、その伝説が国際関係に微妙な影を落としていることは、

今回、というか今、はじめて知りました・・・。

(参照2:八重山新報 2013年8月14日) 





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