2006年04月06日
お土産その3(上等沖縄司会屋の巻)
上等沖縄司会屋の吉澤さんからのお土産は・・・
「特別報道番組 海にすわる 辺野古600日の闘い」
・・・と書いただけで、その内容を思い出して涙が出そうになるのだ。
なにが「まとも」であるのか、なにがそうでないのか、くり返し考えさせられた。
もちろんテレビ番組であるから、数え切れない制限もあるだろう。
しかし、その制限の中で、じつに誠実なつくり方をしていたと思う。
たとえば反対派住民のカメラの前でのパフォーマンスを、基地推進にかかわる側が「テレビ向けか」とからかう場面をあえて入れて、番組そのものを相対化するなど。
とてもよく知った顔がある。
少しだけ会った顔がある。
ネットだけで知った顔がある。
話にだけ聞いていた顔がある。
これまで訪れた辺野古の記憶を支えにして、テレビ画面に映らないところまで「見えた」のはありがたかった。
2004年4月19日。
「座り込み」のはじまった日。
つまり、防衛施設庁の早朝抜き打ち調査開始があった日。
その日ぼくの、これまでの生涯で2番目に長い入院がはじまった。
そういう個人的な理由もあって、その日付は忘れられないのだ。
その日から、琉球朝日放送のカメラは辺野古の反対運動を追い続けたのだった。
座り込みの初日がどうだったのか。
最初に立ったテントがどのようなものだったのか。
それが、どんなふうに整備されていったのか。
そういった「知りたい」という気持ちを埋めることのできる番組だった。
辺野古の状況を伝えてくれるブログの報告が、目に見える形で再構築された。
・・・いや、じつはそんなに落ち着いて見ているわけじゃない。
何度見ても、辺野古のおじいおばあの話に、涙を抑えるのが精一杯なのだ。
なにが「まとも」で、なにがそうではないのか。
辺野古に行くたびに思い出させてもらえるそのことが、テレビ番組という形でたくさんの人に伝わることがうれしい。
そして、反対運動がはじまって9年目にして、やっとこのような番組が放映されることに一抹の不安もおぼえる。
これまで、テレビというメディアは一体なにをしてきたのだろうか?
そして昨日(4月5日)。
「海をあるく」の一部と大きく重なるであろう特集が、「報道STATION」で放送される予定であった。
しかし、民主党の党首選びによって、放送されずに流れたようなのである(前の記事参照)。
たしかに、より健全な政党政治を可能とする二大政党制が実現に近づくか、ほとんど決定的に遠のいてしまうかの大きな岐路にある野党第一党の党首選びであるかもしれない。
であれば、新聞に「普天間移設・・・40年前うり二つのアメリカ案・・・隠された重大事実」だなどと書かないでほしい。
少なくとも、夕刊を刷る時点で、9:30から9:54の特別枠は民主の党首選びに使う(=普天間や辺野古・大浦湾を取りげた今日の特集は流れる)と朝日放送は分かっていたはずなのだ。
それを見るために「報道STATION」にチャンネルを合わせていたこちらは、いい面の皮だ。
しかし・・・放送されなかったことを一番悲しんでいるのは辺野古の人たちであるだろう。
そして、この特集を支える記録を持続的に集めてきた琉球朝日放送のスタッフだろう。
再び、しかし、と思う。この程度のことに、ぼくの知っている辺野古の人たちは、めげるわけがない。
こんなことにいちいち腹を立てていたら、この9年もの闘いを、続けてくることなど到底できなかった。
あと半月で2年目を迎える「座り込み」を、営々と、そして生き生きと続けることなとできなかったのだ。
できなかったこと、実現しなかったことを嘆く前に、これからできることを考えよう。
ひとりでも、少しでも、できることを、前を向いて考えよう。
それが、ぼくが辺野古から教わってきたこと。

吉澤さん、ありがとう!
沖縄ドリル出版記念パーティーの盛況をお祈りします!
【補記】
上記番組の録画は、あくまでも「個人でたのしむ」範囲内で使用していることを付記しておきます。
(将来的に研究資料として用いる場合があれば、あらためてそのための手続きを踏むつもりです)
「特別報道番組 海にすわる 辺野古600日の闘い」
・・・と書いただけで、その内容を思い出して涙が出そうになるのだ。
なにが「まとも」であるのか、なにがそうでないのか、くり返し考えさせられた。
もちろんテレビ番組であるから、数え切れない制限もあるだろう。
しかし、その制限の中で、じつに誠実なつくり方をしていたと思う。
たとえば反対派住民のカメラの前でのパフォーマンスを、基地推進にかかわる側が「テレビ向けか」とからかう場面をあえて入れて、番組そのものを相対化するなど。
とてもよく知った顔がある。
少しだけ会った顔がある。
ネットだけで知った顔がある。
話にだけ聞いていた顔がある。
これまで訪れた辺野古の記憶を支えにして、テレビ画面に映らないところまで「見えた」のはありがたかった。
2004年4月19日。
「座り込み」のはじまった日。
つまり、防衛施設庁の早朝抜き打ち調査開始があった日。
その日ぼくの、これまでの生涯で2番目に長い入院がはじまった。
そういう個人的な理由もあって、その日付は忘れられないのだ。
その日から、琉球朝日放送のカメラは辺野古の反対運動を追い続けたのだった。
座り込みの初日がどうだったのか。
最初に立ったテントがどのようなものだったのか。
それが、どんなふうに整備されていったのか。
そういった「知りたい」という気持ちを埋めることのできる番組だった。
辺野古の状況を伝えてくれるブログの報告が、目に見える形で再構築された。
・・・いや、じつはそんなに落ち着いて見ているわけじゃない。
何度見ても、辺野古のおじいおばあの話に、涙を抑えるのが精一杯なのだ。
なにが「まとも」で、なにがそうではないのか。
辺野古に行くたびに思い出させてもらえるそのことが、テレビ番組という形でたくさんの人に伝わることがうれしい。
そして、反対運動がはじまって9年目にして、やっとこのような番組が放映されることに一抹の不安もおぼえる。
これまで、テレビというメディアは一体なにをしてきたのだろうか?
そして昨日(4月5日)。
「海をあるく」の一部と大きく重なるであろう特集が、「報道STATION」で放送される予定であった。
しかし、民主党の党首選びによって、放送されずに流れたようなのである(前の記事参照)。
たしかに、より健全な政党政治を可能とする二大政党制が実現に近づくか、ほとんど決定的に遠のいてしまうかの大きな岐路にある野党第一党の党首選びであるかもしれない。
であれば、新聞に「普天間移設・・・40年前うり二つのアメリカ案・・・隠された重大事実」だなどと書かないでほしい。
少なくとも、夕刊を刷る時点で、9:30から9:54の特別枠は民主の党首選びに使う(=普天間や辺野古・大浦湾を取りげた今日の特集は流れる)と朝日放送は分かっていたはずなのだ。
それを見るために「報道STATION」にチャンネルを合わせていたこちらは、いい面の皮だ。
しかし・・・放送されなかったことを一番悲しんでいるのは辺野古の人たちであるだろう。
そして、この特集を支える記録を持続的に集めてきた琉球朝日放送のスタッフだろう。
再び、しかし、と思う。この程度のことに、ぼくの知っている辺野古の人たちは、めげるわけがない。
こんなことにいちいち腹を立てていたら、この9年もの闘いを、続けてくることなど到底できなかった。
あと半月で2年目を迎える「座り込み」を、営々と、そして生き生きと続けることなとできなかったのだ。
できなかったこと、実現しなかったことを嘆く前に、これからできることを考えよう。
ひとりでも、少しでも、できることを、前を向いて考えよう。
それが、ぼくが辺野古から教わってきたこと。
吉澤さん、ありがとう!
沖縄ドリル出版記念パーティーの盛況をお祈りします!
【補記】
上記番組の録画は、あくまでも「個人でたのしむ」範囲内で使用していることを付記しておきます。
(将来的に研究資料として用いる場合があれば、あらためてそのための手続きを踏むつもりです)
Posted by び ん at 01:00│Comments(8)
│沖縄報告0603
この記事へのコメント
びんさんはじめまして。
なんか私の出没する各サイトに必ず「びん」という名前があるものですから
不思議な縁を感じてしまいました。
どうぞよろしくお願いいたします。
なんか私の出没する各サイトに必ず「びん」という名前があるものですから
不思議な縁を感じてしまいました。
どうぞよろしくお願いいたします。
Posted by yoshi at 2006年04月06日 13:26
yoshiさんはじめまして。
それは奇遇です。そんなにあちこち出没しているつもりはないのですが・・・
たぶん先回りをしていたのでしょう(^-^д
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
それは奇遇です。そんなにあちこち出没しているつもりはないのですが・・・
たぶん先回りをしていたのでしょう(^-^д
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
Posted by びん at 2006年04月06日 14:50
ワタシ 「おとなの沖縄ドリル」 買いました。
Posted by えみんちゅ at 2006年04月06日 15:32
けっこうホネのある問題ありましたよね。
Posted by びん at 2006年04月06日 15:47
わからないこと いっぱいありました・・・。
まだまだ 沖縄病重症患者とは 言い切れないな~と
反省しましたよー(;^_^A アセアセ…
まだまだ 沖縄病重症患者とは 言い切れないな~と
反省しましたよー(;^_^A アセアセ…
Posted by えみんちゅ at 2006年04月06日 16:39
いえ、十分沖縄病重症患者とお見受けするのですが(笑)
目指せ、「あなたもうちな~んちゅ!」?
目指せ、「あなたもうちな~んちゅ!」?
Posted by びん at 2006年04月06日 22:15
ここへ・・。ニュースで名護市長と合意と。
心が騒ぎます。どうしようもなくって、何が
本当にどうなってしまうのでしょう。あの海
ですよ。あの美しい辺野古の海ですよ。何
と引き換えでしょう。誰の海?誰の未来?
誰が決めるの?
もう、心が壊れそうです。
心が騒ぎます。どうしようもなくって、何が
本当にどうなってしまうのでしょう。あの海
ですよ。あの美しい辺野古の海ですよ。何
と引き換えでしょう。誰の海?誰の未来?
誰が決めるの?
もう、心が壊れそうです。
Posted by ルビーの涙 at 2006年04月07日 22:01
大丈夫です、きっと。
落ち着いて考えてみれば、もっとひどい理不尽があっても
基地は9年間、つくられていませんから。
・・・と、自分に言い聞かせています。
落ち着いて考えてみれば、もっとひどい理不尽があっても
基地は9年間、つくられていませんから。
・・・と、自分に言い聞かせています。
Posted by びん at 2006年04月08日 17:57
お返事が遅くなる場合があります。あしからず。