2005年11月22日

沖縄報告89 復元

中グスクでは、城郭の復元工事が進められていた。

沖縄報告89 復元

崩れた石垣の石、ひとつひとつに番号を振って、積み上げる順序を確認してあった。

沖縄報告89 復元

そのような、崩れた石を積み上げるとこうなる、ということなのであろう。

積み上げられた石垣には、このように番号が振られたままになっていた。

じつに、気の遠くなるような、地道な作業である。


これは、内地の研究にも言えることだが、ここ数十年の間に、研究は急速に緻密化している。

おそらく、どのような分野でも同様に。

それは、概説的・評論的な総論的研究が一通り出揃って、各論へと歩を進めているということである。

研究者がだぶついて、細かい研究をしなければ食っていけないという事情もある。

たとえば、最近「沖縄文学館」で、あゆさんが紹介している宮城隆尋さんの論文「沖縄現代詩史―世代交代が行われなかったのはなぜか―」のみごとなまでの詳細さは、どうだろう。

宮城さんは20代。この世代の論文は、概してこのように緻密さを売り物にしている。それがトレンドなのであり、情報の洪水のこの社会では、そうでなければやって行けない。
      
一時代前、「沖縄の詩の論文」といえば、詩人紹介か評論であった。内地でも、事情はほぼ同じである。

人文科学(文科系)の論文が、理系化していると言えるのかもしれない。
ポイントは情報の量であり、いかに読ませるか、ではない。

・・・ふと、そんなことを思う。


ころがっている石のひとつひとつは、「情報」である。

その「情報」を積み重ねる(復元する)ことによって、現実の石垣だけではなく、じつにさまざまなことが復元されるのだろう。

築城年代であるとか、石の加工技術、石の産地(への詳細なヒント)。あるいは石垣の間に何か遺物がはさまっているかもしれない。


ひとつひとつの石に番号の振られた石垣は、観光的に見れば、いささか「ヘンな石垣」なのだろう。

世界遺産に決まったばかりの中グスクから観光収入を得る側にとっては、マイナスポイントかもしれない。

沖縄報告89 復元

しかしぼくには、その石垣、ものすごく「うつくしく」見えたのだ。


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この記事へのコメント
おっ、この石垣は全国中の城の石垣より大きくて天下一の石垣ですなぁ~
Posted by エーセー at 2005年11月22日 17:04
こんな石垣の情景、初めて見ました!

細分化・緻密化していく論とは、城壁となるべきひとつの石なんですね。幻の城壁を思い描くことを忘れないようにしよう、と改めて思いました。
Posted by あゆ at 2005年11月22日 17:30
>しかしぼくには、その石垣、ものすごく「うつくしく」見えたのだ。

変にナットクです、よく描きに行きますと隣でおばちゃんなんかが、小さな
へらでほってるのを良く観ます。
ほんと気が遠くなる世界です、、でも凄く大事な世界なんですね!
掘られた堀の中での小宇宙、、、そんな気がします。
Posted by 源氏パイ at 2005年11月22日 21:50
(^m^)=з
すまんエーセー。あんたマジメに書いたことわかってるけど、つい笑ってしまった(笑)


>あゆさん

どれだけ大きな城壁を思い描けるかということと、どれだけ小さかろうとひとつの石を細密に具現化できるかということ、その振れ幅こそが論の魅力なのかもしれません。


>源氏パイさん

小宇宙>大宇宙

そういう空間もあるのだと思います。
Posted by びん at 2005年11月23日 00:12
グスクの石垣の神秘さは何ともいえない。
石垣は歴史を物語るキーポイントになってるかもですな。
Posted by 中屋ヒロキ at 2005年11月24日 10:12
たまたまさっき(午後の講義の準備のため)魚釣島(尖閣諸島)のカツオ節燻製工場の石垣を写真で見た。それもまたじつに神秘的であった。
石垣が本来的にもつ「神秘さ」というものがあるのかもしれない。
Posted by びん at 2005年11月24日 11:55
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