2005年06月26日
沖縄報告3 波之上(中)
有名なシーサーではありますけれども・・・
現在のように壺屋焼のシーサーが商品化される以前につくられた、壺屋系シーサーの代表作であることは間違いないでしょう。
阿形(あぎょう)

そして、吽形(うんぎょう)

社殿の鮮やかな朱塗りは、沖縄の青い空によく映えます。
今回、屋外での調査を終えて車に戻ると雨が降り出し、また、ホテルに帰ると大雨になる、などということが続いて、ほんとうにありがたかったです。と同時に、大雨の被害を越えてこられた地元のかたに、申し訳ないという気もありました。・・・それは、よけいな気遣いなのでしょうね。

社殿の破風(はふ=屋根のつくり)の様子に変化があって、その由来をうかがいたいと思いましたけれども、これはまだまだ自分で調べてから、ですね。
1633、1803、そして今次の大戦と、くり返し破壊されてきた歴史と、それは関わりあうのでしょうか。
ヤマトから漂着した袋中(たいちゅう)上人の『琉球神道記』に「当国第一の神社」と書かれたのが江戸時代が始まって3年目に当たる1605年(慶長10年)。
今年は、それからちょうど400年目に当たります。
また、それから18年後(1623年)に完成した『おもろさうし』の中に、波之上宮造営の様子がうたわれています。

アガリ(東)の海に向かうのが沖縄の聖地の通例なのにもかかわらず、なぜ波之上がイリ(西)の端に建てられたのか・・・これもまた大きな課題といえるのでしょう。ただし本殿は、たしかにアガリ方面を向いています。
縁起(御鎮座伝説)にいう、南風原村崎山の里主が海浜で「ものを言う石」を拾い、その霊石を守るために波上山(花城)に社を建てて祀ったという伝承を信じるならば、なお。
つまり、もともと霊石がこの場にあったのならばともあれ、南風原からならば東海岸に向かっても少しもおかしくはありませんから(むしろ、そのほうが自然かもしれません)。
もちろん、波之上宮は熊野権現(和歌山)の系統なので、熊野を見晴るかす土地が選ばれたという説明になるのでしょうけれど・・・それは、後世、波之上宮が熊野系神社に組み込まれてからの(こじつけとは言いませんが)、あくまでも「説明」でしょう。
「ものを言う石」がどうなったのか・・・文献上からは確認できません。
しかし、波之上もまた霊石信仰、つまり「びじゅる」から発していることは間違いないのだろうと、ぼくは考えています。

気持ちよい風に吹かれながら、ぼくらは旅の安全を祈りました。
拝殿前のがじゅまるの髭根に結ばれたおみくじが、内地の神社とは異なった風景をつくりだしていました。
現在のように壺屋焼のシーサーが商品化される以前につくられた、壺屋系シーサーの代表作であることは間違いないでしょう。
阿形(あぎょう)

そして、吽形(うんぎょう)

社殿の鮮やかな朱塗りは、沖縄の青い空によく映えます。
今回、屋外での調査を終えて車に戻ると雨が降り出し、また、ホテルに帰ると大雨になる、などということが続いて、ほんとうにありがたかったです。と同時に、大雨の被害を越えてこられた地元のかたに、申し訳ないという気もありました。・・・それは、よけいな気遣いなのでしょうね。

社殿の破風(はふ=屋根のつくり)の様子に変化があって、その由来をうかがいたいと思いましたけれども、これはまだまだ自分で調べてから、ですね。
1633、1803、そして今次の大戦と、くり返し破壊されてきた歴史と、それは関わりあうのでしょうか。
ヤマトから漂着した袋中(たいちゅう)上人の『琉球神道記』に「当国第一の神社」と書かれたのが江戸時代が始まって3年目に当たる1605年(慶長10年)。
今年は、それからちょうど400年目に当たります。
また、それから18年後(1623年)に完成した『おもろさうし』の中に、波之上宮造営の様子がうたわれています。

アガリ(東)の海に向かうのが沖縄の聖地の通例なのにもかかわらず、なぜ波之上がイリ(西)の端に建てられたのか・・・これもまた大きな課題といえるのでしょう。ただし本殿は、たしかにアガリ方面を向いています。
縁起(御鎮座伝説)にいう、南風原村崎山の里主が海浜で「ものを言う石」を拾い、その霊石を守るために波上山(花城)に社を建てて祀ったという伝承を信じるならば、なお。
つまり、もともと霊石がこの場にあったのならばともあれ、南風原からならば東海岸に向かっても少しもおかしくはありませんから(むしろ、そのほうが自然かもしれません)。
もちろん、波之上宮は熊野権現(和歌山)の系統なので、熊野を見晴るかす土地が選ばれたという説明になるのでしょうけれど・・・それは、後世、波之上宮が熊野系神社に組み込まれてからの(こじつけとは言いませんが)、あくまでも「説明」でしょう。
「ものを言う石」がどうなったのか・・・文献上からは確認できません。
しかし、波之上もまた霊石信仰、つまり「びじゅる」から発していることは間違いないのだろうと、ぼくは考えています。

気持ちよい風に吹かれながら、ぼくらは旅の安全を祈りました。
拝殿前のがじゅまるの髭根に結ばれたおみくじが、内地の神社とは異なった風景をつくりだしていました。
Posted by び ん at 14:19│Comments(6)
│沖縄報告0506
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散歩がてら行った近くの神社で、ムスコと引いたおみくじがナント!ダブル大吉!何かいいことあればいいなぁ~♪
いいことあるかなぁ。。。【OKINAWan Trotter*】at 2005年06月27日 15:41
初詣でにぎわう波之上宮。私のお店は今日も開いています。
初詣の波之上宮【琉球麺屋シーサー・野崎真志の「沖縄そば発展・継承」を考える】at 2006年01月06日 20:34
この記事へのコメント
おかげで、ずいぶん充実した旅になりました。
貴重なご教示、ありがとうございます。
首里城は、4日目に見て帰りました。今回は中には入らず、外郭を回るのと、問題の首里杜御嶽を見るのに1時間半かけました。
まだ1日目の最初の訪問地を書いたところですので、いつになるかわかりませんが、必ず書こうと思っています。
熊野は、(こういう言い方がよいのかどうかわからないのですが)ほんとうに厄介です。内地の信仰形態の中でも特別ですので。
機会があれば、熊野、ご案内いたします。観光地化は進みましたが、まだ往時の遺風を嗅ぎ取ることができます。
貴重なご教示、ありがとうございます。
首里城は、4日目に見て帰りました。今回は中には入らず、外郭を回るのと、問題の首里杜御嶽を見るのに1時間半かけました。
まだ1日目の最初の訪問地を書いたところですので、いつになるかわかりませんが、必ず書こうと思っています。
熊野は、(こういう言い方がよいのかどうかわからないのですが)ほんとうに厄介です。内地の信仰形態の中でも特別ですので。
機会があれば、熊野、ご案内いたします。観光地化は進みましたが、まだ往時の遺風を嗅ぎ取ることができます。
Posted by 沖縄・八重山探偵団 at 2005年06月26日 20:09
そんなことはありません。大変参考になります。
それにまだぼくは「お釈迦」ではないと思っています(笑)
ちょうど今、とらひこさんのブログにコメントをしていました。
そして、送信しようとしたらエラーになりました(はじめてのことです)
きっと、どこかで電子がかち合ったんでしょうね(ほんまか?笑)
わかりました。熊野、覚えておきます。
首里杜御嶽、意識させていただいたことに感謝しています。
それにまだぼくは「お釈迦」ではないと思っています(笑)
ちょうど今、とらひこさんのブログにコメントをしていました。
そして、送信しようとしたらエラーになりました(はじめてのことです)
きっと、どこかで電子がかち合ったんでしょうね(ほんまか?笑)
わかりました。熊野、覚えておきます。
首里杜御嶽、意識させていただいたことに感謝しています。
Posted by 沖縄・八重山探偵団 at 2005年06月26日 21:19
探偵団さん、こんにちは。
コメ&TBありがとうございます。
私は、現在の住まいも実家も波之上宮から徒歩圏内で孔子廟に至っては
実は、父方の実家と縁深いところなのでよく行きます。どこかですれ違って
いたかもしれませんねぇ。。。(笑)
しかし、波之上宮はよく行くのですがその歴史など知らなかったことだらけ
で恥ずかしい限りです。シーサーと破風も今度、マジマジと見てきます!
ナンミン(=波之上)のおみくじ繋がりということでこちらからもTBさせて
いただきます。
コメ&TBありがとうございます。
私は、現在の住まいも実家も波之上宮から徒歩圏内で孔子廟に至っては
実は、父方の実家と縁深いところなのでよく行きます。どこかですれ違って
いたかもしれませんねぇ。。。(笑)
しかし、波之上宮はよく行くのですがその歴史など知らなかったことだらけ
で恥ずかしい限りです。シーサーと破風も今度、マジマジと見てきます!
ナンミン(=波之上)のおみくじ繋がりということでこちらからもTBさせて
いただきます。
Posted by yorix at 2005年06月27日 15:39
どうぞマジマジと(笑)
本殿と社務所があって拝殿のない神社って、ちょっと想像できませんが・・・
たいてい実家の近くの歴史は、よっぽどの歴史好きでも知らないことになっているようです。ぼくも、生地の歴史に興味を持ち始めたのは、つい最近です。
孔子廟とご縁のあるご実家・・・うーーむ。なまなかなことは書けませんね。いや、ほんとうにそう思います。てぃーだでは特に。
どこかですれ違っていたかもしれませんね。でも、ぼくは街歩きには猫の格好するのですが(便利なので)、わかりました?(>^〇^<)г
本殿と社務所があって拝殿のない神社って、ちょっと想像できませんが・・・
たいてい実家の近くの歴史は、よっぽどの歴史好きでも知らないことになっているようです。ぼくも、生地の歴史に興味を持ち始めたのは、つい最近です。
孔子廟とご縁のあるご実家・・・うーーむ。なまなかなことは書けませんね。いや、ほんとうにそう思います。てぃーだでは特に。
どこかですれ違っていたかもしれませんね。でも、ぼくは街歩きには猫の格好するのですが(便利なので)、わかりました?(>^〇^<)г
Posted by 沖縄・八重山探偵団 at 2005年06月27日 16:07
沖縄・八重山探偵団さまへ
先日は、コメント書き込みありがとうございました。
「波之上宮」を検索していたらココにたどり着きました。
トラックバックさせていただきますね。
先日は、コメント書き込みありがとうございました。
「波之上宮」を検索していたらココにたどり着きました。
トラックバックさせていただきますね。
Posted by 野崎真志 at 2006年01月06日 20:36
いえいえ、「カレーそば」がとてもおいしそうだったので、つい。
たどりついたのは・・・ぼくが呼んだのです(笑)
どうぞ、また時々たどりついてください。
たどりついたのは・・・ぼくが呼んだのです(笑)
どうぞ、また時々たどりついてください。
Posted by びん at 2006年01月07日 01:48
お返事が遅くなる場合があります。あしからず。