2017年01月21日

サガリバナは見たことがないが、神谷千尋の「さがり花」ならば、もう何百回となく聴いている。

正直サガリバナは一度も見たことがない。

もちろん見たいとは思うがチャンスがない。


たった一夜だけ咲いて朝には散ってしまう、

その幻影的なあり方にはひどく惹かれる。


それも水面に散ってひとつずつ流れるなんて、

寺山修司の映画を思わせて、どきどきする。


サガリバナは見たことがないが、神谷千尋の「さがり花」ならば、もう何百回となく聴いている。


サカリバナは見たことがないが、

神谷千尋の「さがり花」はくりかえし聴く。


アルバム「美童しまうた」の最初の曲なので、

まず最初に聴いて、サガリバナを思い浮かべる。


「空よ海よ花よ太陽よ」を目的に購入したのだが、

「さがり花」のほうが、たくさん聴いたかもしれない。

(聴きながら、寝てしまうこともあるしね・笑)


サガリバナは見たことがないが、神谷千尋の「さがり花」ならば、もう何百回となく聴いている。


歌詞カードを最初に見て、「え?新城和博!?」と驚いた。

あの、ボーダーインクの名エッセイストが作詞している?

(作曲の上地正昭は、上地正昭で間違えようがないが。)


沖縄のアートシーンでは、こういう越境にしばしば出会う。

ボーダーインクならぬ、ボーダーバイオレーションだ。



サガリバナと同じように一晩だけ咲く花で思い出すのは、

むかし母親が育てていた月下美人という花のこと。

一年に一晩だけ咲く、その時期が近づくと、

母親が、そわそわしてくるので、落ち着かない。

そしてその晩になると「起きていなさい」と言われる。

「絶対に見ておいたほうがいいから起きていなさい。」

そう言われても、こちらは眠くて仕方がないのだ。

(今考えても、とんでもない母親だと思う。)

まだ小さいときには開花を待てずに寝てしまったが、

ある程度大きくなって眠らずに見た月下美人は、

視角的に、というより、嗅覚的に忘れられない。

あたり一面を支配する香りがものすごいのだ。

まるで、いきなり厚化粧の女が現われたようで、

その妖艶なにおいは、今でも鼻先に再現できる。

(母親は、今でも相変らずとんでもない人である。)


そういえば、サガリバナはどんな匂いなのだろうか。

写真で見る限り、清楚な香りがしそうなのだが。


しかし、見た目では花の香りはわからない。

それだけは、月下美人以来の長い年月で思い知った。


【追記】

スージーさんの快進撃がつづいている。

記事も、読書も、いずれも、といったところだ。


ぼくがこの10日間で読了したのは、以下の2冊。

福田恒存『伝統にたいする心構』新潮社、1960年

柴田勝二『村上春樹と夏目漱石』祥伝社、2011年

現在併行して読み進めている本が8冊あるが、

いずれも読了には至っていない。





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