2016年11月29日
富士は、もう、すっかり雪に覆われて、思わず子どもの頃の富士の記憶が、冬の富士ばかりであることを思い出したり・・・
とはいえ、手前の山にさえぎられて、
見えたのは山頂近くだけだったのだが・・・。
それでも最初は雪に見間違えた、
山頂付近の雪の白さと深さの印象は、
富士がもうすっかり雪化粧していることを、
疑いなく物語っているように思えたのだった。
生まれた町の名は、富士見町(ふじみちょう)。
そこから撮った28日朝の富士。
もう何10年も前のことだが、
日本にある富士見町の数を数えたら、
その時点で、23の富士見町があった。
今はもう、おそらくそれよりも減っている。
何よりの証拠に、ここはもう富士見町とは呼ばれていない。
今回、数か月ぶりに訪れたら、隣りの日の出町
(かつて、日の出町と呼ばれていたあたり一帯)に、
いきなり巨大な工事現場が出現していて、おどろいた。
警備員に聞くと、マンションと特養ホームが建つそうなのだ。
そこにいた人たちは一斉に別の場所に移転したというのだが、
そこには小学校以来の友だちが少なくとも3人住んでいた。
M君とO君とI君。今でもフルネームで覚えている。
10年近くボーイスカウトでも一緒だったから当然か。
冬になると空気が澄んで、毎日のように富士山が見えた。
他の季節には霞がかかって、見えないことも多くあり、
天気の良さでも、冬がずば抜けて多かったからであろう。
だからであろうか、富士山の姿は雪をかぶった冬の姿が、
今でも、どの季節の富士の姿よりも強く印象に残っている。
白い富士の姿が、口から吐く白い息とともに思い出の中にある。
見えたのは山頂近くだけだったのだが・・・。
それでも最初は雪に見間違えた、
山頂付近の雪の白さと深さの印象は、
富士がもうすっかり雪化粧していることを、
疑いなく物語っているように思えたのだった。
生まれた町の名は、富士見町(ふじみちょう)。
そこから撮った28日朝の富士。
もう何10年も前のことだが、
日本にある富士見町の数を数えたら、
その時点で、23の富士見町があった。
今はもう、おそらくそれよりも減っている。
何よりの証拠に、ここはもう富士見町とは呼ばれていない。
今回、数か月ぶりに訪れたら、隣りの日の出町
(かつて、日の出町と呼ばれていたあたり一帯)に、
いきなり巨大な工事現場が出現していて、おどろいた。
警備員に聞くと、マンションと特養ホームが建つそうなのだ。
そこにいた人たちは一斉に別の場所に移転したというのだが、
そこには小学校以来の友だちが少なくとも3人住んでいた。
M君とO君とI君。今でもフルネームで覚えている。
10年近くボーイスカウトでも一緒だったから当然か。
冬になると空気が澄んで、毎日のように富士山が見えた。
他の季節には霞がかかって、見えないことも多くあり、
天気の良さでも、冬がずば抜けて多かったからであろう。
だからであろうか、富士山の姿は雪をかぶった冬の姿が、
今でも、どの季節の富士の姿よりも強く印象に残っている。
白い富士の姿が、口から吐く白い息とともに思い出の中にある。
お返事が遅くなる場合があります。あしからず。