2016年05月16日
失なわれし首里の面影を求めて (沖縄報告1603 第16回)
ここにかつて、沖縄県立博物館があった。
現在の中途半端で無味乾燥なシロモノとは、
似ても似つかぬ生きている博物館だった。
2006年3月に休館となってから、
ちょうど10年目の写真を撮った。
「耐震化」という言葉は、今やある意味、
ほとんど暴力的に用いられる錦の御旗。
その一方で、ほんとうに必要な耐震化が、
進んでいない現実を見せつけられる。
こうなってしまったからには、せめて、
旧中城御殿時代からの石塀だけは、
今後も存続させてほしいと願うのみ。
(参照:沖縄情報IMA旧沖縄県立博物館の歴史)
現在の中途半端で無味乾燥なシロモノとは、
似ても似つかぬ生きている博物館だった。
2006年3月に休館となってから、
ちょうど10年目の写真を撮った。
「耐震化」という言葉は、今やある意味、
ほとんど暴力的に用いられる錦の御旗。
その一方で、ほんとうに必要な耐震化が、
進んでいない現実を見せつけられる。
こうなってしまったからには、せめて、
旧中城御殿時代からの石塀だけは、
今後も存続させてほしいと願うのみ。
(参照:沖縄情報IMA旧沖縄県立博物館の歴史)
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