2024年04月26日

土産(みやげ)についての、レペティシオン

「沖縄土産2024年の1」という記事を書いた。

「の1」と書いたけれど、「の2」「の3」があるか、

いやいや、ちょっと心もとないぞと思いつつ・・・。


そういえば、どこかに土産について書いた記事があったな。

2016年6月12日の「土産についての、エトセトラ」という記事。

こんなことを書いている。以下、【  】内に引用してみたい。


【「みやげ」という言葉が普通に使われるようになったのは、

それほど遠い昔のことではない(と言われている)。

せいぜい、4~500年ほど前のことだ。

時代でいえば室町時代のことになる。


「土産」を「どさん(とさん)」と呼んでいたのが、

この頃から「みやげ」と呼ぶようになった。

そもそも「土産(どさん)」というのは、

文字通り、「土地の産物」のこと。


ちょうどこの頃から人々の移動が盛んになり、

出かけて行った先の「土地の産物」を持ち帰り、

思い出として飾っておくことが多くなったのだろう。


そのために、「土産(どさん)」と「みやげ」の意味が、

重なって用いられるようになったのだとぼくは思う。


(参照:語源由来辞典「土産」)


語源説というのは、しばしば眉唾めいたものだ。

現代の辞書に載っている語源説の多くは、

江戸時代の国学者(古典文学者)たちが、

合理的な根拠とも科学的な考証とも無縁のところで、

思いつきを出し合っていた説が多くを占めているからだろう。


そして、そのような、少し思い切って言えば「遊び」を、

近代に入ってからもトンデモ学者たちが引き継いでいる。

(それでも、自分は何も考えぬまま、誰かが考えたこと、

言ったこと、書いたことを鵜呑みにするよりずっといい。)


で、本来「土産」というのは、その土地に行ったことを示す、

ほかならぬ「目に見える思い出」であったのだと思う。

だから、その土地特有の郷土品が多かったはずだし、

それは、おそらく2度と行くことがない土地の思い出に、

自分が今いる空間に大事に飾っておいたのだが、

今は、もっぱら、だれかにあげるものを買って帰る。


たとえば、那覇空港のみやげ物フロアを対象にして、

「人にあげるもの」と「自分で飾るもの」を比較調査すれば、

前者が8割以上を占めるであろうことは、想像にかたくない。


どちらがいいとは言わないけれど、今は、あまりに、

「人にあげるもの」ばかりで、ちょっと疲れてしまわない?】


(以上、引用)


でも、「人にあげること」がアミューズメントという人もいる。

たぶん、ぼく自身もそちら側の人間で、そのぼくから見ても、

下の娘は、おそろしいくらいに「みやげ体質」でびっくりする。

下の娘とぼくが旅行に出ると、妻の警戒度が一気に高まる。


もうひとつ、「みやげ」についての語源と考えられること。

律令制度がはじまって、租庸調(そようちょう)と呼ばれる、

最初の税が日本列島(除く北海道)に課されるようになった頃、

全国から集められた米や布や特産品などを収蔵しておく蔵が、

「屯倉(みやけ)」と呼ばれた。(のちには「三宅」とも書いた。)


当初は、蔵の建物そのものを「みやけ」と呼んでいたのだが、

いつか、蔵に入れるものも「みやけ」と呼ぶようになったのでは。

つまり、日本全国から運んでくる、それぞれの特産物も「みやけ」。

それがいちばん通りのいい語源ではないかと、少し前から考えている。


それから中国語で「土産」を意味する「東西」という言葉。

今は「礼物(リーウー)」という言い方が多いというのだが、

「みやげ」という意味で使われていた(今でも使われている。)

日本人の耳には「ドンシー」に近く聞こえただろうから、

「土産(どさん)」との発音が近いのが気になっている。


語源辞典を調べてみたら、どんなふうに書かれているだろうか?

2016年には調べて書いているが、近頃はほとんど調べない。

(調べたい人が調べればいいんじゃない?と思っている。

やはりコロナの3年間が決定的だったな。考える時間があった。)


辞書に書いてあることで知ったつもりになるのが年々嫌になる。

逆に、調べないといけないのは仕事だけでいいよ、と思っている。

(仕事では徹底的に調べる。いわば調べるのが仕事なので。)


その場でちょっとだけ調べるのが嫌いだからスマホを持たないのか、

スマホを持っていないから、調べるのがますます嫌いになるのか、

最近は自分でもよくわからなくなってきているのだが・・・。



(2022年5月15日 那覇市内にて)

  



2024年03月09日

沖縄土産2024の1

娘が沖縄から帰って来た。

とはいえ数日間行っていて、

予定通り帰ってきたのだが。


それも、もう2週間ほど前、

2月の後半のことなのだが。


某プロ野球チームのキャンプ見学に、

コザ信金スタジアムとホテルの間を、

毎日往復しに行くだけだというので、

おみやげの期待はしていなかったのだが、

こちらのキモをしっかり衝いてきた。





ご存じ、JTAの機内誌「コーラルウェイ」。

今年の若水(ワカミジ)号(1,2月号)。

(これほどコストパフォに優れた土産もないな)

通算で、もう210号になるんだね・・・。


正直しばらく見なかったので、なつかしい。

で、ラインナップの形式は、ほぼ変わらず。

ただ、内容的にはずいぶん変わっている。

とにかく隅々まで一通りざっと目を通した。

コザの特集は、なんと20ページもある。

なかなかの角度から攻めていて読ませる。



というわけで、とくに虫ではないのですが、

啓蟄になって、のこのこ這い出してきました。


あいかわらず空間移動の旅はできずに、

時間移動の旅ばかり、つづけています。

「旅の記録」がひとつ増えたので、

リンクしておきましょうね。

https://www.youtube.com/watch?v=zeMa4OIpLsU


3月も中旬というのに気温0度を切る日もあって、

(今日は最低気温1度、明日は0度の予報です。)

よく降る雨が、いつ雪になっても、おかしくない。

まあ、でも、「冬来たりなば、春遠からじ」なので、

春の気配は、しっかり探しながら歩いています。


今年初めての投稿(というより、3カ月ぶり)なので、

とてもとてもおくればせながら、ごあいさつを。

いろいろなことで予断を許さない日々ですが、

よいことが、ひとつでも多くありますように。


  



2023年12月11日

探偵は探偵なのだけれど・・・

12月13日(水)22:00~22:45

https://www.nhk.jp/p/rekishi-tantei/ts/VR22V15XWL/episode/te/ZZ3YWJQ517/

NHK総合テレビ、よければ見てみてください。





考えてみると、今年は1年中、

「歴史探偵」ばかりやっていました。


1月と2月に250年前まで行って帰って来ると、

次は100年前に行ってくれないかとの依頼。

4月にいったん300年前まで行って帰り、

そのあとは時差ボケでしばらく休養。


https://www.youtube.com/watch?v=zKfflbRvtrw


とはいえ、タイムリミットが迫る中、

9月と10月は思い出せないほど、

100年前まで行ったり来たり・・・


先月やっと100年前から戻ってきたのですが、

今月はまた250年ほど前まで行かなければ。





あとは年末まで400~150年前を行ったり来たり。

タイムリープの間の楽しみといえば駅弁ですね・笑


とうわけで、なかなか「沖縄探偵」に戻れません。

来年は、多少なりとも、戻れればいいのですが。


【追記】

ちなみに、再放送は12月20日(水)午後16:15~17:00

同日、23:59まで見逃し配信(無料)で視聴できるそうです。

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023121312438?e-param=ZZ3YWJQ517

  



2023年11月29日

駅弁三昧 (というほどでもないか・・・)

約2か月続いた怒涛の日々がひと段落して、

比較的、平穏で日常的な日々が戻ってきた。

とはいえ、とくに暇になったわけではなく、

それなりにいろいろあって、いそがしい。


月初めは、2週間ぶりに東京への出張。

新幹線で駅弁を開いてみたところ、

2週間ぶりに、あさり飯に再会した。





前回は、「深川めし」だったのだが、








今回は「新幹線東海道弁当」という名の、

「それはそうだよね」と言う以外にない、

超ど真ん中の直球的なネーミングで、

開けてみるまで、何が入っているのか、

わからなかったということに開けて気づいた。





などと言いつつ11月もそろそろ終わる。

10月の4倍ほど速かったように感じる。

  


2023年11月01日

このまま行けるところまで

「ここ2カ月間の記憶がない」

といえば、もちろん語弊はあるのだが

(記憶を失っていたわけではない。)

それでもチームで仕事をしてきた、

もうひとりも同じことを言っているので、

ぼくだけの妄想というわけでもなさそうだ。






今朝は、まだもう少し寝ていられるのに、

この2か月でカラダに沁みついたのだろう、

きっちり2時間で起きて、そのまま眠れない。

平均すれば、2時間よりは長いのだろうが、

それでも3時間を超えることはないだろう。


8月31日に編集者が勤務先にやって来て、

9月1日から、こんな生活がはじまった。

2か月前にも、また、1か月前にも、

それどころか2週間前ですら、

当初の予定通り10月31日に、

仕事が終わるとは思わなかったが、

予定通り10月31日の23時過ぎに、

メール添付で最後の校正を送り、

23:55には自転車で帰宅して、

ハロウィーン生まれの下の娘に、

誕生日プレゼントを渡すことができた。


あとは11月28日の発行を待つだけだが、

いやはや、なんという2か月であったか。

半年前には手術後の安静を命じられて、

8月まで4か月ほど寝てばかりいたので、

じゅうぶん「寝溜め」ができていたのか。


そんなニンゲンを引っ張り出して、

1日2時間睡眠で2か月働かせる、

今になって、よくよく考えてみれば、

これは「虐待」の範疇かもしれないが、

しかし先方の立場に立ってみれば、

10か月前に話を持って行ったのに、

最初の2か月は母親の再三の入院で、

やっと働き出したと思ったならば、

すぐに本人の手術や療養で、

(おまけに療養と言いながら、

NHKの番組監修は別腹とばかりに

次から次に3つも引き受けている)

発売予定日の3カ月前になっても、

ほとんど何も原稿は進んでいなかった、

というのは相当なストレスだっただろう。

そうであれば「虐待」の相互交換である。


そこから、なんとかなだめすかして、

2か月で完成まで持って行ったのは、

編集者の手腕以外の何ものでもない。


それにしても、この2か月、

いったい何万本の電話をかけたか、

というのはもちろんデフォルメであるが、

10月30日の朝に2時間半の電話をかけ、

直後に追加で40分の電話をかけたあと、

左手になじんだ受話器をながめながら、

「いや、こいつもよく働いてくれた」

と、しみじみ思ったものである。





いや、これは「あさり」で、「しじみ」ではない。

  


Posted by び ん at 06:20Comments(0)

2023年10月02日

あいかわらず時をかける親父

「ブログの管理」をしている余裕のない状態が続きましたので、

「公開設定」を、しばらく「パスワード設定」にしていました。

「まだ、やめてはいませんよ」というメッセージのつもりで。


時間的な余裕のなさは、あいかわらずなのですが、

ほんのすこしだけ気持ちに余裕も生じましたので、

「パスワード設定」を解除することにしました。


まあ、なんというか、壁も家具もないけれど、

屋根だけはある、という感じでしょうか・笑




(2018年6月 沖縄県立博物館・美術館)


空間的な「旅」は、なかなかできない状況なのですが、

時間的な「旅」は、ほぼ毎日のように続けています。


大和川の付替えで未来を切り拓く~中甚兵衛


ここ数か月の「旅」のスパンは「100年」。

年内には、ご紹介できると思います。

  


2023年07月02日

鹿電車、4回目!

去年の12月5日に近鉄奈良線を走り始めた鹿電車。

正式には「ならしかトレイン」というらしいのだが、

わが家では、とりあえず「鹿電車」と呼んでいる。


参照:朝日新聞デジタル 2022年12月4日


奈良と神戸三宮の間を行ったり来たりしている、

らしいのだが、なかなか会えないので乗れない。

というか、始めて乗ったのが2月の25日だった。


参照:@Press 2022年10月27日


下の娘と一緒に、実家から帰ってきた時。

彼女は、「4回目」だと言っていたのだが、

ぼくは、それ以後一度も乗れていなかった。


それどころか、走っているのすら見られなかった。

一編成だけが片道65㎞余りを往復しているので、

確率的に考えても、なかなか出会えるものではない。


しかし、同じように稀少性が高いはずの

観光特急「あをによし」は、とてもよく見かけるし、

近鉄特急「ひのとり」は、とてもとてもよく見かけたのだ。


まあ、あまり電車に乗らないから仕方がないのだが、

週日は毎日電車に乗って通勤している上の娘も、

「まだ一度しか乗っていない」と言っていた。


他の家族は、まだ一度も乗っていないという。

下の娘には、その後10数回乗ったというのに。

彼女は週に何度か、それも不定時で乗っているくせに、

なぜ、それほど高確率で鹿電車に乗れるのだろう?

たぶんそれが「相性」とか「偶然」というものなのだろう。



参照:あをによしひのとり



サイトを見れば、何時に走っているのか、たぶんわかるはず。

でも、その時間にわざわざ乗りに行くほどマニアではないし、

調べて乗るというのは、なんとなく値打ちが下がる気がする。

と思っていたら、時間は公表していないのだという。

乗れたら、ほんとうに偶然でラッキーなのだ。


などと言っているうちに、初乗り運賃が20円も値上げになった。

9年前と4年前に、2度も運賃改定したばかりだというのに。

もちろん、4年前までの初乗り150円は、他社に比べて、

たしかに安かったと言えば、安かったとは言えるのだが。


しかし、電気料金ではあるまいし(電気料金ならいいのか?)

これだけの高頻度で、ぐいぐい上げてくるというのでは、

さすがに、「庶民の足」とは呼べなくなってくるだろう。


なんばまで300円が360円、奈良まで410円が490円。

神戸三宮から奈良まで乗ると980円が1140円になる。

とはいえ神戸三宮から奈良まで乗る理由がないので、

(そのあいだに最寄り駅があるので)

この例示は、あまり意味がないのではあるけれど。


とりあえず奈良まで往復すると980円かかるのだが、

これはもはや、ちょっとした旅行ではあるまいか。

まあ、それでも鹿電車ならば楽しめる気もする。

それはそうなのだが、問題は、なかなか会えないことだ。



と書いて、しばらく下書きに入れておいた。

というか、かなり長い間、下書きに入れてあった。



4月25日、つまり前回「鹿電車」に載ってから2か月目、

この日は朝から雨の中を大阪駅前まで出かけた。

そして、仕事を終えて、自宅まで帰ったのだが、

着替える間もなく職場まで行く必要が生じた。

雨でぬれた服と靴のまま21時過ぎまで居て、

くたくたになって駅で電車を待ったのだが、

そこにやってきたのが「鹿電車」だった。


ホームに入ってくるまで気づかなかった。

紙の束を持って読んでいたこともあるが、

顔を上げずに、下ばかり見ていたからだろう。


そして翌日の朝、豪雨の中を出勤したのだが、

あと10秒といったところで電車を一本のがした。

そして、そのあとやってきたのが「鹿電車」だった。

なぜか鹿電車は、ほとんど倒れそう時にやって来る。


そんなこんなで、鹿電車に3回乗った。

その時に下の娘にも聞いてみたのだが、

もう10回以上乗ったから数えていないという。

上の娘は、ほとんど毎日電車に乗っているのに、

まだ1回乗っただけの状態が続いているという。


ともあれ、最初に乗った時の写真を載せておこう。






しかし、電車の中で写真を撮るのは、

とてもとても神経を使うことなので、

娘を相手に大声で話しながら撮った(汗)

それでも電車でカメラを取り出すのは、

ちょっと非日常で、とても疲れる。

もちろん、ひとりでは到底無理だ。

ということを、一言ことわっておきたい。


写真には車両内の上部しか写っていないが、

シートから広告まで、とにかく鹿づくしなのだ。

疲れが吹き飛んだわけではないが、救われた。



ただ、家の者は皆、見るだけなら何度も見たという。

ぼくは、鹿電車が走っているのを見たことがなかった。


(どうも、この頃までに鹿電車は2編成になったらしい。

確率的には、乗るのも見るのも2倍になったということだ。)



と、また、それから2か月ほどたった6月19日。

この日も用事があって大阪駅前まで出かけたのだが、

最寄りの駅に着いて、しばらく電車を待っていると、

向かい側のホームに入ってきたのが、鹿電車。


思わずカバンの中からカメラを取り出したのだが、

そこへやって来たのが、こちら側のホームの電車。

つまり、停車中の鹿電車を覆い隠すようなかたちで。


あわてて電車に乗り込んで、反対側の窓へ。

鹿電車の車体を、かろうじて一枚だけ撮った。

昼前の、乗客もとても少ない時間であったから、

乗車口の反対側の窓に寄って撮れたのだった。







イメージとしてはもっときれいに撮れたのだが、

ちゃんと一頭写っているから上出来の部類だろう。


6月19日。

本来であれば数日後の出発便を、

心待ちにしている、そんな頃である。

ただ、正直、キャンセルになって、

結果的に助かったのかもしれない。

そんなふうにも思って過ごしていた。



そして昨日(7月1日)。

今年の後半が始まった。

というか、今年度の4分の1が終わった。

「よくぞここまで(来た)」という感じである。



ともあれ、7月1日。

夕方、そろそろ帰ろうと思い、

職場の鉄扉に足の指をはさんだ。

スリッパだったので直接だった。

そろそろ5時間たつが、まだ痛い。

というか、色が変わって変形している。


いつもは速足で(信号で止められなければ)

5~6分で着く駅まで、15分ほどかかった。


1本前の電車は出発していて15分待った。

そして、やって来たのが、鹿電車だった。


大丈夫。しんどい時には鹿電車が来る。

とりあえず、そんなふうに思っている。



【追記】


祝日の近鉄奈良線の時刻表が知りたかったので、

「近鉄奈良線」で検索した。

すると、「近鉄奈良線 鹿電車」でヒットした。


https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%BF%91%E9%89%84%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%B7%9A%20%E9%B9%BF%E9%9B%BB%E8%BB%8A&ei=UTF-8&rs=3


なんかすごいな。

もちろん、人が写っていない画像が大半なのだけれど。


ちょっとネガティヴ寄りの気持ちが強いかな。

あまり、「そちらの側」には立ちたくない。


【再追記】

まあ、それはそれとして・・・

みんな「ならしかトレイン」ではなくって、

「鹿電車」って呼んでるんですね。笑



  


2023年06月23日

2023年6月23日

6月23日、夜10時すぎ。

ブログの管理画面を開いてみた。


すでに、ここ数日の倍のアクセスがある。

来てくださる方の数は一時より少ないが、

(それはそうだろう。この更新内容では。)

気にしていてくださる人は、いるのだろう。


今年もまた、6月の沖縄はキャンセルに。

どうしても仕事を断ることができなかった。

貝博士には申し訳ないことをしてしまった。



自宅のテレビで全戦没者追悼式を見た。

20年くらいがんばってくれたテレビの、

最後の仕事になった、と書いておく。

それからすぐに、リサイクル品となって、

どこか知らないところに運ばれていった。



玉城デニー知事の長文の「平和宣言」は、

「もう日本本土には期待しない」と聞こえた。


岸田首相の、気のない話のあいだ、

テレビカメラは繰り返し参列者の方を向き、

静かな怒りが満ちている様子をまざまざと映した。


軍事費の大増強を「手土産」に沖縄にやって来て、

この人は、いまさら一体何を話しているのだろう?

それらの軍事費の多くを南西方面に投入して、

ふたたび沖縄を戦火に巻き込む準備を始め、

はたして、どの口が「平和」を語っているのだろう?


岸田氏の話は「金は出すから黙っていろ」と、

言いながら自分でも何を言っているのか、

理解できない無気力さにおおわれていた。

そこを、しらじらしく乗り越えて平気でいる、

前、前々首相とは違うのだとはいいながら、

やっていることは輪をかけて始末に負えない。



2022.5.15 コンベンションセンター入口



救いは、平安名 秋君の「平和の詩」だった。

「今、平和は問いかける」

すでに全文が発表されているので、

(ぼく自身が、覚えておきたいので)

そのまま転載させていただく。



夏六月

溶けかけたアイスを手に走り出す

緑萌ゆるこの島の昼下がり

礎に刻まれた「兄」に

まるであの日のように

そっと触れるおばぁの涙は

陽炎が登る摩文仁の丘に

ただ果てしなく広がっていく

その涙は体を包み込み

私を「あの日」へといざなう

限りないこの空は

何を覚えているのだろう

涙に満ちたおばぁの瞳は

何を語りかけているのだろう

七十八年前の

あの日

あの時

かけがえのない

たったひとつの命が

憎しみと悲しみの中で

散っていった

名も無き赤子の

微かな

微かな泣き声は

震える母の手によって

冷たく光の無いガマの中で

儚く消えていった

幾多もの砲弾が

紺碧の海を黒く染める鉄の嵐となって

この島に降り注いだ

戦争が起きる前

そこには日常があった

私達と同じように

原っぱを駆け回り

友達とおしゃべりをする

みんなで暖かいご飯を食べ

時には泣き

時には笑い

時には「ありがとう」を伝える

そんな今と変わらない日常が

平和が

そこにはあった

平和は不確かで

脆く崩れやすい

いつもすぐそばにあるのに

いつのまにか消えていく

おばぁの涙は

摩文仁の丘に永遠(とわ)に灯る平和の火は

今、私達に問いかける

平和とは何かを

私達に出来ることは何かを

私は過去から学び

そして未来へと語り継いでいきたい

おばぁの涙を

沖縄の想いを

かけがえのない人達を

決して失いたくはないから

今日も時は過ぎていく

いつもと変わらずに

先人達が紡いできた平和を

次は私達が紡いでいこう

そして世界に届けていきたい

平和を創り

守っていく

この沖縄の「チムグクル」を



(「毎日新聞によるストーリー」より)


真摯に紡ぎ出された言葉には、

まだ、力があると、信じたい。


  


2023年06月12日

「雨の日に「傘」をささないウチナーンチュ」

このところ、雨ばかりです。

もはや梅雨入りなのですから、

当然といわれればそうなのですが。


10日前(6月2日)の琉球新報ニュースレターのタイトルが、

「雨の日に「傘」をささないウチナーンチュ」だったので、

ああ、これは俳句だ、と思ってちょっと笑えました。


まあ、なんで傘が「カッコ」に入っているのかは、

読んでみても、よくわからなかったのですが。


『琉球新報』デジタルでは、5月18日の記事だったんですね。

琉球新報デジタル 2023年5月18日 11:50

5月18日の梅雨入りのタイミングでUPしたのかな。


で、びっくりしたのは、

「実は、快晴日数は全国でも少なく、年間降水量は多い。

意外と雨が多い島なのだ。」という冒頭のキャプション。


いやいや、それは「意外と」ではなく「皆の知る通り」でしょ。

海水から水蒸気を吸収しつつ湿った空気が西からやってきて、

ある程度の標高のある陸地に触れれば、雨が降るわけで。

というか、読んでいるのは県外の人が多いので(僕も含めて)、

「沖縄は快晴ばかりじゃないんですよ」と伝えたかったのかな。








考えて見れば、「うわ、晴れたぞ!」という天気だったのは、

ちょうど5年前、2018年の6月24日が最後だったかも。


  


2023年05月31日

ジンベエつながり




こちらのジンベエも





よろしければ・・・





大和川の付替えで未来を切り開く~ナカ ジンベエ(中 甚兵衛)




(写真は、2022年5月15日 海洋博公園)


それから、この季節には珍しい大型台風!

停滞するみたいですね、どうぞ気をつけて。