2007年10月16日
あなたは100キロを1日のうちに走り通したことがあるだろうか
新刊の『走ることについて語るときに僕の語ること』で、村上春樹が問いかけている。
「あなたは100キロを1日のうちに走り通したことがあるだろうか?」
もちろん、ぼくにそんな経験はない。
村上が、「世の中の圧倒的多数の人は・・・おそらくそのような経験をお持ちにならないはずだ」と書いている通りである。
ただ、一昼夜のうちに100キロを歩き通したことならばある。
大井川を、かなり上流から河口まで歩いたのだ。
ボーイスカウトのイベント(そんな言葉は当時たぶん使わなかったが)としてである。
歩きながら何を考えていたのか、ほとんど覚えていない。誰が一緒に歩いていたかもあいまいなのだ。
同じくボーイスカウトで富士山の山麓を30キロ歩き山小屋に到達するはずが、道に迷ってしまって(結局倍の60キロ近く歩いた)、山小屋に到着する頃には誰もおらずに朝まで友人たちと頬を叩きあいながら眠るのを我慢した時のことは鮮明に覚えているのに(その時一緒にいた友人たちの名前まで)。
きっと、ただただ100キロを歩き続けるという行為が、あまりに淡々とした単純なものだったからだろう。
・・・そういえば、80キロを高校生が歩くという恩田陸の『夜のピクニック』って、ありましたね。
ぼくらにとって、「100」という数字が身近になったのは比較的最近のこと。
たとえば西洋から「世紀」という概念が入ってくるまで、われわれの文化に「100年」という考え方はほとんどなかった。
(「100年」という時間を日本人の心に切実に刻み付けたのは、ぼくは漱石の『夢十夜』だと思う。
その『夢十夜』が書かれた明治41年から、来年がちょうど100年目なのだが・・・)
ただし、60年という単位がひとつの時代を形成しているという考え方はあった。いわゆる還暦である。
もちろん、百寿も百回忌も百花園もあるけれど、「100」というのは、もっとバクゼンとした数字であった。
そういえば100万回念仏を唱えたら成仏できるという思想もあった。今でも「百万遍」という地名が残っている。
そんなふうに、ひとつひとつの時間や距離を積み上げ、あるいはひとつひとつ越えてゆくこと。
ぼくらの生活や人生の中にあって、それは生活や人生そのもののことなのかもしれない。
村上春樹の本を手にとってぱらぱらとめくり、そんなことを考えた。
(2007年5月15日、沖縄高速自動車国道、いわゆる「自動車道」にて)
↑100回クリックしなくてもだいじょうぶです。1回だけで(笑)
「あなたは100キロを1日のうちに走り通したことがあるだろうか?」
もちろん、ぼくにそんな経験はない。
村上が、「世の中の圧倒的多数の人は・・・おそらくそのような経験をお持ちにならないはずだ」と書いている通りである。
ただ、一昼夜のうちに100キロを歩き通したことならばある。
大井川を、かなり上流から河口まで歩いたのだ。
ボーイスカウトのイベント(そんな言葉は当時たぶん使わなかったが)としてである。
歩きながら何を考えていたのか、ほとんど覚えていない。誰が一緒に歩いていたかもあいまいなのだ。
同じくボーイスカウトで富士山の山麓を30キロ歩き山小屋に到達するはずが、道に迷ってしまって(結局倍の60キロ近く歩いた)、山小屋に到着する頃には誰もおらずに朝まで友人たちと頬を叩きあいながら眠るのを我慢した時のことは鮮明に覚えているのに(その時一緒にいた友人たちの名前まで)。
きっと、ただただ100キロを歩き続けるという行為が、あまりに淡々とした単純なものだったからだろう。
・・・そういえば、80キロを高校生が歩くという恩田陸の『夜のピクニック』って、ありましたね。
ぼくらにとって、「100」という数字が身近になったのは比較的最近のこと。
たとえば西洋から「世紀」という概念が入ってくるまで、われわれの文化に「100年」という考え方はほとんどなかった。
(「100年」という時間を日本人の心に切実に刻み付けたのは、ぼくは漱石の『夢十夜』だと思う。
その『夢十夜』が書かれた明治41年から、来年がちょうど100年目なのだが・・・)
ただし、60年という単位がひとつの時代を形成しているという考え方はあった。いわゆる還暦である。
もちろん、百寿も百回忌も百花園もあるけれど、「100」というのは、もっとバクゼンとした数字であった。
そういえば100万回念仏を唱えたら成仏できるという思想もあった。今でも「百万遍」という地名が残っている。
そんなふうに、ひとつひとつの時間や距離を積み上げ、あるいはひとつひとつ越えてゆくこと。
ぼくらの生活や人生の中にあって、それは生活や人生そのもののことなのかもしれない。
村上春樹の本を手にとってぱらぱらとめくり、そんなことを考えた。
(2007年5月15日、沖縄高速自動車国道、いわゆる「自動車道」にて)
↑100回クリックしなくてもだいじょうぶです。1回だけで(笑)
Posted by び ん at 11:33│Comments(8)
│日々のこと
この記事へのコメント
いっぽ目がなければ、100キロ目もない。
せっかちな私は、その意味が理解できるまで随分かかりました。^^
せっかちな私は、その意味が理解できるまで随分かかりました。^^
Posted by pyo at 2007年10月16日 12:54
「百里の道も一歩から」ってことですね。
ナマケモノのワタシは、最初の一歩を踏み出すまでが一大事です(苦笑)
ナマケモノのワタシは、最初の一歩を踏み出すまでが一大事です(苦笑)
Posted by び ん at 2007年10月16日 19:27
お邪魔します
全然関係ない話ですが、100キロという文字に反応して今度はきました。
自分の家からお店まで、往復100キロなんです。
20年ほぼ毎日通ってます。
人からよく、たいへんですね、
って言われますけど20年も通ってるとなんにも感じないから不思議。
まったく関係ない話でした。ポチッと
全然関係ない話ですが、100キロという文字に反応して今度はきました。
自分の家からお店まで、往復100キロなんです。
20年ほぼ毎日通ってます。
人からよく、たいへんですね、
って言われますけど20年も通ってるとなんにも感じないから不思議。
まったく関係ない話でした。ポチッと
Posted by よし爺 at 2007年10月17日 05:01
毎日往復100キロですか?
ほんとうに「たいへんですね」の一言です。
ぼくは前の職場も今の職場も、直線距離で約4キロ。
(それでも途中で道草食うので、けっこうかかったり・苦笑)
そういえば、両方あわせて今月1日でちょうど20年でした。
思い出させていただき、ありがとうございます(^-^>
ほんとうに「たいへんですね」の一言です。
ぼくは前の職場も今の職場も、直線距離で約4キロ。
(それでも途中で道草食うので、けっこうかかったり・苦笑)
そういえば、両方あわせて今月1日でちょうど20年でした。
思い出させていただき、ありがとうございます(^-^>
Posted by び ん at 2007年10月17日 11:41
100キロ辺戸岬までの距離かも。
そんなに歩いたことは、ないですね。
※ この道は、宜野座の県道329号線ですよ・・・ね?
そんなに歩いたことは、ないですね。
※ この道は、宜野座の県道329号線ですよ・・・ね?
Posted by とんとんみーかりかり at 2007年10月17日 14:36
そうそう・・・
この橋の下には、美味しい養殖エビのお店「たまや」がありますよ~♪
姫カニもよくこの道を通り、宜野座カントリークラブへ行きますよ~(笑)
この橋の下には、美味しい養殖エビのお店「たまや」がありますよ~♪
姫カニもよくこの道を通り、宜野座カントリークラブへ行きますよ~(笑)
Posted by とんとんみーかりかり at 2007年10月17日 14:41
そうですね、那覇から辺戸岬くらいの距離ですね。
で、この道は・・・329号線ですか?
写真の順番だと、自動車道なんですけど・・・
うーん、ま、どっちでもいいか(てーげー・笑)
で、この道は・・・329号線ですか?
写真の順番だと、自動車道なんですけど・・・
うーん、ま、どっちでもいいか(てーげー・笑)
Posted by び ん at 2007年10月17日 17:15
ごめんなさい
わたしの書き方がまちがっていますねぇ
往復が100キロです
那覇市安謝からかりゆしビーチまでです
わたしの書き方がまちがっていますねぇ
往復が100キロです
那覇市安謝からかりゆしビーチまでです
Posted by よし爺 at 2007年10月17日 18:27
お返事が遅くなる場合があります。あしからず。