2021年09月29日
Mid-autumn moon 追懐
8年ぶりに中秋の名月が満月であるということで、
かなりニュースになった晩からもう1週間たった。
そして、その1週間前が、もう懐かしい気がする。
満月とはいえ、月齢は刻々と変化しているので、
(当日の月齢15.0は、朝の8時55分らしい)
夜になってから、ほんとうの満月を見た人は、
正確に言えば、一人もいなかったのであるが。
と、相変わらずややこしいことを言っているわけで。
それを、もう1週間もすぎて書いているわけで・・・。
今夜(9月29日)は下弦の月なので、
月にとっても、もう忘れたくらい前の話だろうか。
9月21日の大阪の月の出は、午後6時25分。
ただし、その頃には夕方のスコールが尾を引き、
まだ、雨脚の強い雨が降り続いていたので、
8年ぶりの「満月としての中秋の名月」は、
残念ながら、まったく期待していなかった。
いや、「まったく」というのは言い過ぎた。
実際、それから何度か空を見上げて、
月のあるあたりを探してみたのだ。
すると、11時を過ぎた頃に雲が切れ、
ずっと遠くに、点のような月が見えた。
いや、これも最初は月なのか星なのかわからず、
カメラを構えて、望遠でとらえてはじめてわかった。
それでもまだ、月の周囲には黒い雲が取り巻き、
8年ぶりに満月と重なった中秋の名月は、
雲に出たり隠れたりを繰り返していた。
「仲秋」ではなく「中秋」と書くのは気持ちが悪いのだが、
今さら「独壇場」は「独擅(せん)場」が正しいのだとか、
「生きざま」は誤用で、本来そんな言葉はなかったとか、
書いているのに、ちょっと疲れたというところがある。
これだけネットの中に「中秋」が蔓延してしまうと、
いまさら「仲秋」と書くのは、肩身が狭く思える。
「一所懸命」の誤用である「一生懸命」は平気で使うし、
「心尽くし」は「心ずくし」と書かずに「心づくし」と書くが、
「黒尽くめ」は「黒づくめ」と書かずに「黒ずくめ」と書く。
今は、まあ「中秋」でもいいや、という気分なのである。
その前の晩までは好天が続いたので、
月の出頃の大きな月を見ることができた。
前日、「これが満月なのか」と思った。
年々乱視がひどくなる目には、ぱっと見て、
月齢が14なのか15なのか見分けがつかない。
とはいえ前日でも輝面率(光っている面積)は、
99パーセント以上あったので、ほぼ満月に近い。
それに比べて、頭上にある月はとても小さく、
拡大してみて、ああ月なんだと初めて納得した。
ただ、拡大しても餅をつくウサギの姿には見えず、
とりあえず、今日が旧暦の8月15日なのだと確認した。
中秋の名月(お月見の月)と満月は必ずしも一致しないのだと、
何度か書いたが、いつ書いたのだったか探すのに手間取った。
(参照:仲秋の名月、ではあっても満月ではない・・・。)
ともあれ、その2つが合致するのは8年ぶりということなので、
前回の一致は、2013年のことだったのだと思い返している。
2008年6月を最後に沖縄に行けない日々が続いて5年目。
2011年11月には大いに無理をして1度行ったのだったが、
同行者にも、ぼく自身にも、とてもしんどい旅だった。
(ただ、思い返せば、楽しいことばかり思い浮かぶ。)
それ以後も、2012年、13年と行けない年が続いた。
2013年の旧暦8月15日は、そんな頃のことだった。
さらに2014年にも行けなかったのだが、
2015年6月からは沖縄行きも回復し、
2019年6月まで4年間に11度という、
以前のペースを取り戻すことができた。
そして、2019年6月からは、もう2年以上も、
行けない日々が続いているが、これは仕方ない。
以前のことがあるので、かなり耐性がついている。
たとえばラムダ株の急速な減退に対して、
人間は、まだ誰も理由を説明し得ていない。
ワクチンの攻勢にウイルスが一旦退却して、
息をひそめて次の出方を探っているという、
そんなシナリオすら排除できていない。
(ウイルスが「考える」ことに対して、
抵抗感が強い人も多いようですが、
ウイルスは頭いいです。いやほんまに。)
新型コロナどころか、インフルエンザさえ、
有効な治療薬が開発されたのはつい最近。
2022年の5月、「復帰50年」には必ず行きたい、
そう思っているけれど、もちろん100%の確証はない。
メデャアをジャックした(メディア自身がジャックされた)
長い総裁選騒動がいよいよ今日終わるのだが、
自民党の次の総裁に誰がなったとしても、
それどころか総選挙で政権交代があったとしても、
対コロナの施策に全幅の信頼を置くことはないだろう。
ただし、この2年近く、それまで考えることもなかった、
さまざまなことを考えることができたのは、よかった。
(そう言えるのも、第5波の退潮によってではある。)
そんな9月21日の大阪の月の出は、午後6時25分。
そのあとは、一晩すぎるごとに月の出は約30分
(かつての「半刻(はんとき)」の半分)ずつ遅くなり、
9月22日の月の出は6時51分、23日には7時18分、
そして9月24日の月の出は7時45分で、
3日前の月の出と比べると1時間20分も遅い。
十六夜の月は立ったままで待つので「立待月」、
十七夜には立っていられなくて座って待つので「居待月」、
十八夜になると座って待つのもしんどくて寝転がるので「寝待月」、
(ここまでは、いわば一般常識の範囲だが、そのあとの十九夜を、
「更待月」と呼ぶことを知った。「さらに待つ」ので「更待月」・・・。
そのあとをなんと呼ぶのか、そもそも異名があるのかは知らない。)
確かに、毎晩これほど遅くなるのなら、そんなふうに待つのかも。
ただし、そんなふうに月を待って過ごせる人たちが、少しうらやましい。
満月である中秋の名月は、
現われてから約10分後に、
急速に黒雲に包まれはじめた。
包まれて見えなくなってしまうのは仕方がない。
月の光を反射して(これ自体も反射であるが)、
彩られた雲だけ最後に撮っておきたいと思った。
月の出は、このまま遅くなり、30日になると23時57分。
さすがに、そこまで待つ人は、もうほとんどいないだろう。
ちなみに、「中秋の名月」と「満月」は来年も重なる。
そして、再来年(2023年)にも、3年連続して重なる。
そのあと、また重なるのは、2030年なのだそうだ。
2030年といえば9年後、自分の生活がどうなっているのか、
まったく予測がつかない。これは正真正銘の「まったく」である。
かなりニュースになった晩からもう1週間たった。
そして、その1週間前が、もう懐かしい気がする。
満月とはいえ、月齢は刻々と変化しているので、
(当日の月齢15.0は、朝の8時55分らしい)
夜になってから、ほんとうの満月を見た人は、
正確に言えば、一人もいなかったのであるが。
と、相変わらずややこしいことを言っているわけで。
それを、もう1週間もすぎて書いているわけで・・・。
今夜(9月29日)は下弦の月なので、
月にとっても、もう忘れたくらい前の話だろうか。
9月21日の大阪の月の出は、午後6時25分。
ただし、その頃には夕方のスコールが尾を引き、
まだ、雨脚の強い雨が降り続いていたので、
8年ぶりの「満月としての中秋の名月」は、
残念ながら、まったく期待していなかった。
いや、「まったく」というのは言い過ぎた。
実際、それから何度か空を見上げて、
月のあるあたりを探してみたのだ。
すると、11時を過ぎた頃に雲が切れ、
ずっと遠くに、点のような月が見えた。
いや、これも最初は月なのか星なのかわからず、
カメラを構えて、望遠でとらえてはじめてわかった。
それでもまだ、月の周囲には黒い雲が取り巻き、
8年ぶりに満月と重なった中秋の名月は、
雲に出たり隠れたりを繰り返していた。
「仲秋」ではなく「中秋」と書くのは気持ちが悪いのだが、
今さら「独壇場」は「独擅(せん)場」が正しいのだとか、
「生きざま」は誤用で、本来そんな言葉はなかったとか、
書いているのに、ちょっと疲れたというところがある。
これだけネットの中に「中秋」が蔓延してしまうと、
いまさら「仲秋」と書くのは、肩身が狭く思える。
「一所懸命」の誤用である「一生懸命」は平気で使うし、
「心尽くし」は「心ずくし」と書かずに「心づくし」と書くが、
「黒尽くめ」は「黒づくめ」と書かずに「黒ずくめ」と書く。
今は、まあ「中秋」でもいいや、という気分なのである。
その前の晩までは好天が続いたので、
月の出頃の大きな月を見ることができた。
前日、「これが満月なのか」と思った。
年々乱視がひどくなる目には、ぱっと見て、
月齢が14なのか15なのか見分けがつかない。
とはいえ前日でも輝面率(光っている面積)は、
99パーセント以上あったので、ほぼ満月に近い。
それに比べて、頭上にある月はとても小さく、
拡大してみて、ああ月なんだと初めて納得した。
ただ、拡大しても餅をつくウサギの姿には見えず、
とりあえず、今日が旧暦の8月15日なのだと確認した。
中秋の名月(お月見の月)と満月は必ずしも一致しないのだと、
何度か書いたが、いつ書いたのだったか探すのに手間取った。
(参照:仲秋の名月、ではあっても満月ではない・・・。)
ともあれ、その2つが合致するのは8年ぶりということなので、
前回の一致は、2013年のことだったのだと思い返している。
2008年6月を最後に沖縄に行けない日々が続いて5年目。
2011年11月には大いに無理をして1度行ったのだったが、
同行者にも、ぼく自身にも、とてもしんどい旅だった。
(ただ、思い返せば、楽しいことばかり思い浮かぶ。)
それ以後も、2012年、13年と行けない年が続いた。
2013年の旧暦8月15日は、そんな頃のことだった。
さらに2014年にも行けなかったのだが、
2015年6月からは沖縄行きも回復し、
2019年6月まで4年間に11度という、
以前のペースを取り戻すことができた。
そして、2019年6月からは、もう2年以上も、
行けない日々が続いているが、これは仕方ない。
以前のことがあるので、かなり耐性がついている。
たとえばラムダ株の急速な減退に対して、
人間は、まだ誰も理由を説明し得ていない。
ワクチンの攻勢にウイルスが一旦退却して、
息をひそめて次の出方を探っているという、
そんなシナリオすら排除できていない。
(ウイルスが「考える」ことに対して、
抵抗感が強い人も多いようですが、
ウイルスは頭いいです。いやほんまに。)
新型コロナどころか、インフルエンザさえ、
有効な治療薬が開発されたのはつい最近。
2022年の5月、「復帰50年」には必ず行きたい、
そう思っているけれど、もちろん100%の確証はない。
メデャアをジャックした(メディア自身がジャックされた)
長い総裁選騒動がいよいよ今日終わるのだが、
自民党の次の総裁に誰がなったとしても、
それどころか総選挙で政権交代があったとしても、
対コロナの施策に全幅の信頼を置くことはないだろう。
ただし、この2年近く、それまで考えることもなかった、
さまざまなことを考えることができたのは、よかった。
(そう言えるのも、第5波の退潮によってではある。)
そんな9月21日の大阪の月の出は、午後6時25分。
そのあとは、一晩すぎるごとに月の出は約30分
(かつての「半刻(はんとき)」の半分)ずつ遅くなり、
9月22日の月の出は6時51分、23日には7時18分、
そして9月24日の月の出は7時45分で、
3日前の月の出と比べると1時間20分も遅い。
十六夜の月は立ったままで待つので「立待月」、
十七夜には立っていられなくて座って待つので「居待月」、
十八夜になると座って待つのもしんどくて寝転がるので「寝待月」、
(ここまでは、いわば一般常識の範囲だが、そのあとの十九夜を、
「更待月」と呼ぶことを知った。「さらに待つ」ので「更待月」・・・。
そのあとをなんと呼ぶのか、そもそも異名があるのかは知らない。)
確かに、毎晩これほど遅くなるのなら、そんなふうに待つのかも。
ただし、そんなふうに月を待って過ごせる人たちが、少しうらやましい。
満月である中秋の名月は、
現われてから約10分後に、
急速に黒雲に包まれはじめた。
包まれて見えなくなってしまうのは仕方がない。
月の光を反射して(これ自体も反射であるが)、
彩られた雲だけ最後に撮っておきたいと思った。
月の出は、このまま遅くなり、30日になると23時57分。
さすがに、そこまで待つ人は、もうほとんどいないだろう。
ちなみに、「中秋の名月」と「満月」は来年も重なる。
そして、再来年(2023年)にも、3年連続して重なる。
そのあと、また重なるのは、2030年なのだそうだ。
2030年といえば9年後、自分の生活がどうなっているのか、
まったく予測がつかない。これは正真正銘の「まったく」である。
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