2005年08月06日

8月6日

ぼくは広島の人間ではないのだけれど、この日は特別。

広島にはじめて行ったのは、大学1年の夏。クラブの演奏会で。
平和記念公園にも行ったのだけれど、まだ特別な意識はなかった。

大学院に入る頃には、足しげく広島に立ち寄るようになった。
それまでの数年間に、特別な何があったというわけではない。
隣県に暮らす大学生として、広島にかかわるさまざまなことに触れる機会を多く持ったのだと思う。
8月6日には、広島に行くと決めていた。

必ずしも8月6日に広島に行ける年ばかりではなかったが、6日に行けなければ次の日、それもできなければせめて8月には、と意識して広島に行った。そうでないと、すぐ「ま、いいや」になってしまうので。
それで何がどうなるというわけではないのかもしれないが、ぼくにはそれは大事な行事だった。
気休めと言われれば「そうですね」と答えるだけだが、テレビが写さない8月6日の記念公園で、じつにさざまな見聞を得た。財産、と言っていい。

始発の新幹線で岡山を出ると、記念公園前で電車を降りて、ちょうど原爆ドームの横を通りかかるときに8時15分のサイレンが鳴り始めるのだった。

ぼくは式典というものが必ずしも好きではないので、誰もいない原爆ドーム前で、ひとりで黙祷するのが合っていたかもしれない。


沖縄戦で亡くなったのと、ほぼ同じ数の人たちが、わずか1発の巨大爆弾で亡くなった。

数の問題ではない。そこには、ひとつひとつの大きな悲劇の積み重なりだけがある。
そのことは十分承知しているつもりなのだが、やはり数の与える衝撃もある。

8月6日から、長崎の8月9日を経て、8月15日まで至る8月のこの日々は、重い。

大事な日々だと思う。いつもは忘れている「遠く」を見つめる。じっと目を閉じる。

とりわけ今年は6月23日の沖縄に立ち会って、その「重さ」もまだ身体を離れていない。
3月には長崎にも行ってきた。その印象も、まだ鮮やかだ。


何ができるのかと、つい考えてしまうのだが、少なくとも「考える」ことはできる。そして「忘れない」こと。

忘れてしまうことは、「なかったこと」にすること。それはできない。

ぼくらは戦争を経験していないけれど、戦争の経験を語り継ぐことはできる。

「あったこと」を「あったこと」のまま、未来に送り届ける。


もうすこしだけ、じっと広島のことを考えて、またいつもの調子に戻ろうと思う。

広島の悲劇、沖縄の悲劇。つながっている。つい忘れてしまいがちだけれど。

どちらも、日本政府が起こした戦争の結果。戦争をやめなかった者の犠牲。

再び戦争へ向かう水位が高まっている現在、何をすればいいのか。何ができるのか。

できることは限られているけれど、でも、何もないわけではない。






Posted by び ん at 11:52│Comments(7)
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この記事へのコメント
僕も小学校の修学旅行で広島に行ってた時がありまして、広島で当時原爆を落ちたことをよく知っている年老いた女の人の話を聞いて、その年老いた女の人は戦争当時は25歳とおっしゃいまして広島に原爆が落ちた話をして、黒い薬を飲んでいました。僕もどうして黒い薬を飲んでいるのだろうと思いました。
Posted by エーセー at 2005年08月06日 14:13
こんにちわ、ながはまです。

#8月6日から、長崎の8月9日を経て、8月15日まで至る8月のこの日々は、重い。

ほんと、この日々を忘れてはいけませんね。
今「平和」であるとこに感謝すること。
また、今なお銃弾が飛び交っている地域があること。。。
を見直す切っ掛けになります。

#できることは限られているけれど、でも、何もないわけではない。

ほんとそうですね。
「できない」ではなく、できることから考えていきます。
Posted by ながはま at 2005年08月06日 16:38
>「あったこと」を「あったこと」のまま、未来に送り届ける。

そうなんです、私も常々強く感じています。
コメントを書いていたらものすごく長くなってしまったので、
自分のところに載せますね(^_^;)

そして、そのあかつきにはTバックさせていただきます。
Posted by みっぺる at 2005年08月06日 18:27
長崎も中学校の修学旅行で行ってた時がありまして、長崎に当時原爆が落ちたことの話を聞いてクラスのみんなで織ったツルを平和公園に持って行って飾りました。
Posted by エーセー at 2005年08月06日 20:04
こんばんは! いつもうなずきながら読ませてもらってます。

みっぺるさんのとこにもコメントしたのですが
戦争や平和についての記事を読んだ時、中々素直に
感想を言えない自分がいます。

「同感です。」 とか言う言葉を何も行動を起こせてない自分が
言う資格があるのかと自問自答してしまいます。

自分に何が出来るのか? それが小さな事でも出来る事から
始めてみます。
Posted by p-sou at 2005年08月06日 22:57
>何ができるのかと、つい考えてしまうのだが、少なくとも「考える」ことはできる。そして「忘れない」こと。
忘れてしまうことは、「なかったこと」にすること。それはできない。
ぼくらは戦争を経験していないけれど、戦争の経験を語り継ぐことはできる。
「あったこと」を「あったこと」のまま、未来に送り届ける。

海の美しさや空の美しさ
観光地だけではない沖縄からも
目をそらさないで行かなくてはならないのでしょうね。

コノ島で暮らしていると、踏み込めない領域だったりするのだけど
考えること、思いをはせることはできるのだから
できることから踏み出してみようと思いました。
Posted by jun at 2005年08月07日 01:00
>エーセー

黒い薬が何なのか、聞けなかったんだね?
なんだろう?ぼくも気になるけれど、世の中には聞かなくていいこともある。

当時25歳といえば、いまは85歳。元気でおられればいいのだけれど。


>ながはまさん

戦争は「過去のこと」ではないこと、それを意識すること。
たいせつなことだと思います。

できることから。ぼくも考えたいと思います。


>みっぺるさん

Tバックありがとう!

コメント書いてるうちに長くなる。わかります。
ぼくなどは無精なので、そのまま送ってしまったりするのですが。

長い文章、読ませていただきました。このあとコメントします。


>ふたたびエーセー

小学校の修学旅行で広島。
中学校の修学旅行で長崎。

それはしあわせだったと思う。そのとき感じたことを大事にしてください。


>p-souさん

そう言っていただくと、勇気づけられます。

だんだん年をとると(と、年のせいにするのも)「ま、いいや」と思うことが多くなります。ほんとうは恥ずかしがったり、躊躇したりしないといけないところを、「ま、いいや」でスルーする。

ぼくも、もっともっと自問自答したいと思います!


>junさん

「踏み込めない領域」
ずいぶんたくさんのご苦労があったのだと拝察します。

お相手を思いやって踏み込めないままにした部分に、きっと大事なこともたくさんあったのでしょうが、それはおそらく仕方のないこと。
すべては「これから」なのだと思うのです(勝手な言い方ですが)。

よいお仕事を期待しています。


Posted by びん at 2005年08月07日 01:54
お返事が遅くなる場合があります。あしからず。
 
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