2021年02月13日
100年前の柳田国男、沖縄を離れて奄美に滞在中。
今年の1月5日(もう、「先月」なのか)
つまり、今から100年前の沖縄に、
柳田国男が到着した1月5日から、
折に触れて100年前の沖縄を思った。
(1月11日にひとつ記事を書いて以来、
ずっと記事にはできなかったのだが。)
1921年(大正10年)の沖縄。
民俗学の泰斗・柳田国男が、
心躍らせて歩いていた沖縄。
今はとても便利な時代なので、
思い出すよすがは目の前にある。
(その便利さにばかり甘えるのは、
なにか違うという思いも消せないが。)
たとえば、那覇市歴史博物館の、
デジタルミュージアムに収められた写真の数々。
じつに、こんな風景の中を歩いてみたかった。
そう思うにつけても、せめて復帰前の沖縄に、
行けていればよかったと思うのであるが、
それでも縁あって1990年以来の沖縄を、
実際に見てこれたことには感謝している。
歴博は、2018年の6月に行ってから、
もう、3年近く行っていないことになる。
その後、見に行きたいと思う企画展示は、
HPで想像するだけで図録も買っていない。
日本全国の特別展示が次々に中止になる中、
歴博は春に3つ、秋に1つ中止にしただけで、
あとは、すべて中止にすることなく実施した。
(春と秋の国宝・琉球国王尚家関係資料特別公開、
中でも「玉冠(付簪)」は、この博物館の1丁目1番地、
いわば表札のようなものであり、この2回は除外するならば、
春と秋に1つずつ中止して乗り切ったとも言うことができる。)
そのために、どれだけの持続的な努力が払われたか。
とりわけ3月から5月にかけて特別展を中止したあと、
6月から始まる特別展と、そして2020年の常設展、
「戦後75年 沖縄戦」から公開を再開したことは、
展示に関わる人たちの気概と熱意を感じさせた。

(2018.6.23 那覇市歴史博物館)
3年前には、精密につくられたジオラマで、
約80年前の那覇市内を体験することができた。
(2014年の企画展示で展示されたものという。)
1932年から37年頃を再現したものなので、
2018年時点で、81~86年前ということになる。
写真撮影可だったので何枚も撮らせていただき、
折に触れては、それから何度も見返している。
ジオラマとはいえ、精密な再現度がすごい。
細い路地まで再現されていることはもとより、
街角から、木造の家々の隙間にさえ入り込み、
まるで自分がそこにいるような気持ちになれる。
もちろんそれらはブログに載せられるものではなく、
ぜひ、ご自分の目で確かめていただきたいのだが、
HPに無料配布用のパンフが載っているので、
まずは、どうぞ、こちらから。☟
参照:刊行物詳細「昭和のなは」復元模型パンフレット
(ここに腰痛の記事を入れていたのだが、
不景気なので、「追記」にしまっておこう。)
と書いたところで、S氏から「どうします?」と電話。
もちろん、「そろそろ沖縄、どうします?」の電話である。
(こちらの様子をどこかで見ていたんじゃないかと、
しばしば絶妙のタイミングで電話がくるのがこわい)
1月にキャンセルしたあと、5月15日に照準を定め、
あとはもうひとつ、5月20日には那覇に居たいので、
(15日から20日までいられればうれしいのだが)
そのどちらかということで、調整をたのんだ。
いずれにせよ、新型コロナの状況次第だが、
A氏と3人組になるのか、弥次喜多で行くか、
まあ、せっかくなので楽しみにしておこう。
100年前の柳田は、2月9日に沖縄を離れ、
2月15日まで、奄美大島に滞在中である。
つまり、今から100年前の沖縄に、
柳田国男が到着した1月5日から、
折に触れて100年前の沖縄を思った。
(1月11日にひとつ記事を書いて以来、
ずっと記事にはできなかったのだが。)
1921年(大正10年)の沖縄。
民俗学の泰斗・柳田国男が、
心躍らせて歩いていた沖縄。
今はとても便利な時代なので、
思い出すよすがは目の前にある。
(その便利さにばかり甘えるのは、
なにか違うという思いも消せないが。)
たとえば、那覇市歴史博物館の、
デジタルミュージアムに収められた写真の数々。
じつに、こんな風景の中を歩いてみたかった。
そう思うにつけても、せめて復帰前の沖縄に、
行けていればよかったと思うのであるが、
それでも縁あって1990年以来の沖縄を、
実際に見てこれたことには感謝している。
歴博は、2018年の6月に行ってから、
もう、3年近く行っていないことになる。
その後、見に行きたいと思う企画展示は、
HPで想像するだけで図録も買っていない。
日本全国の特別展示が次々に中止になる中、
歴博は春に3つ、秋に1つ中止にしただけで、
あとは、すべて中止にすることなく実施した。
(春と秋の国宝・琉球国王尚家関係資料特別公開、
中でも「玉冠(付簪)」は、この博物館の1丁目1番地、
いわば表札のようなものであり、この2回は除外するならば、
春と秋に1つずつ中止して乗り切ったとも言うことができる。)
そのために、どれだけの持続的な努力が払われたか。
とりわけ3月から5月にかけて特別展を中止したあと、
6月から始まる特別展と、そして2020年の常設展、
「戦後75年 沖縄戦」から公開を再開したことは、
展示に関わる人たちの気概と熱意を感じさせた。
(2018.6.23 那覇市歴史博物館)
3年前には、精密につくられたジオラマで、
約80年前の那覇市内を体験することができた。
(2014年の企画展示で展示されたものという。)
1932年から37年頃を再現したものなので、
2018年時点で、81~86年前ということになる。
写真撮影可だったので何枚も撮らせていただき、
折に触れては、それから何度も見返している。
ジオラマとはいえ、精密な再現度がすごい。
細い路地まで再現されていることはもとより、
街角から、木造の家々の隙間にさえ入り込み、
まるで自分がそこにいるような気持ちになれる。
もちろんそれらはブログに載せられるものではなく、
ぜひ、ご自分の目で確かめていただきたいのだが、
HPに無料配布用のパンフが載っているので、
まずは、どうぞ、こちらから。☟
参照:刊行物詳細「昭和のなは」復元模型パンフレット
(ここに腰痛の記事を入れていたのだが、
不景気なので、「追記」にしまっておこう。)
と書いたところで、S氏から「どうします?」と電話。
もちろん、「そろそろ沖縄、どうします?」の電話である。
(こちらの様子をどこかで見ていたんじゃないかと、
しばしば絶妙のタイミングで電話がくるのがこわい)
1月にキャンセルしたあと、5月15日に照準を定め、
あとはもうひとつ、5月20日には那覇に居たいので、
(15日から20日までいられればうれしいのだが)
そのどちらかということで、調整をたのんだ。
いずれにせよ、新型コロナの状況次第だが、
A氏と3人組になるのか、弥次喜多で行くか、
まあ、せっかくなので楽しみにしておこう。
100年前の柳田は、2月9日に沖縄を離れ、
2月15日まで、奄美大島に滞在中である。
と、ここまで書いて、下書きに入れていた。
というか、入れておかざるを得なかった。
2月6日の朝、前かがみで物を取ろうとし、
「ぎっくり腰」の寸前(軽いやつ)になった。
その日は、断れない仕事があったので、
夕方まで外出し、そのあと寝込んだ。
中学の部活(バスケ)で腰を痛めて以来、
腰痛とは、もう長い長いつきあいになる。
以前は数年に一度は「ぎっくり」に襲われ、
ひどい時には入院を余儀なくされていたが、
(最長記録は18日。当時のブロック注射は、
まるで背中に電信柱を打ち込まれるようで、
予定の3週間目を待たずに逃げ出した。
注射に何度も助けてもらっているので、
いつもは注射が大好きな「注射好き」でも、
これだけはさすがに思い出すだけで痛い・・・。)
ここ10年ほどは、酒をやめ、できるだけ運動し、
専門家やセミプロにいろんな対処法を教わり、
自分で改良を重ねて、再発せずにきたのだが。
ただし、このブログを「腰痛」で検索すると、
昨年の9月あたりと、5年前の2月あたりに、
ぎっくり寸前の状態だったことを思い出す。
(そういう使い方は、ログだけに確かに便利。)
今回も幸い大事には至らず、3日間寝込んで、
治療と服薬で(つまり注射はナシで)回復の途中。
横になっているあいだに、何度も沖縄のことを考えた。
(もちろん、仕事のことも考えておりますよ、と書いておく。)
以前の注射とは違って、かかりつけの整形外科では、
さほど痛くないブロック注射を打ってくれるので助かる。
ただ、こんな状態から、いきなり動けなくなることもあるので、
まだしばらく油断はできないのだが、痛いよりずっとありがたい。
と、またよけいなことをつらつらと書きつらねてしまった。
というか、入れておかざるを得なかった。
2月6日の朝、前かがみで物を取ろうとし、
「ぎっくり腰」の寸前(軽いやつ)になった。
その日は、断れない仕事があったので、
夕方まで外出し、そのあと寝込んだ。
中学の部活(バスケ)で腰を痛めて以来、
腰痛とは、もう長い長いつきあいになる。
以前は数年に一度は「ぎっくり」に襲われ、
ひどい時には入院を余儀なくされていたが、
(最長記録は18日。当時のブロック注射は、
まるで背中に電信柱を打ち込まれるようで、
予定の3週間目を待たずに逃げ出した。
注射に何度も助けてもらっているので、
いつもは注射が大好きな「注射好き」でも、
これだけはさすがに思い出すだけで痛い・・・。)
ここ10年ほどは、酒をやめ、できるだけ運動し、
専門家やセミプロにいろんな対処法を教わり、
自分で改良を重ねて、再発せずにきたのだが。
ただし、このブログを「腰痛」で検索すると、
昨年の9月あたりと、5年前の2月あたりに、
ぎっくり寸前の状態だったことを思い出す。
(そういう使い方は、ログだけに確かに便利。)
今回も幸い大事には至らず、3日間寝込んで、
治療と服薬で(つまり注射はナシで)回復の途中。
横になっているあいだに、何度も沖縄のことを考えた。
(もちろん、仕事のことも考えておりますよ、と書いておく。)
以前の注射とは違って、かかりつけの整形外科では、
さほど痛くないブロック注射を打ってくれるので助かる。
ただ、こんな状態から、いきなり動けなくなることもあるので、
まだしばらく油断はできないのだが、痛いよりずっとありがたい。
と、またよけいなことをつらつらと書きつらねてしまった。
お返事が遅くなる場合があります。あしからず。