2013年04月05日

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の内容を予想する

村上春樹の近刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』まで、あと1週間。


先に、「3月11日」のことを描いた(少なくとも強く意識した)、


そのような内容の作品ではないかと予測したが、


http://bin.ti-da.net/e4531454.html


現在ある情報から、もう少し予測を続けてみる。



『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』というタイトルは、


文字数が19文字もあるといわれるけれども(紹介記事等)、


『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は20文字ある。


(それぞれ、読点と中黒点をかぞれれば、21文字と22文字だ。)


ただ、『世界の終り・・・』と『色彩を持たない・・・』の大きな違いは、


前者が、並列的に独立した2つの世界を描いていたのに対して、


後者は、「色彩を持たない多崎つくる」が、「彼」であって、


(文意からは、そのように受け取るのが、最も自然である。)


であれば、2つの世界ではなく1つの世界を描いたものだろう。


(ただし、「巡礼」という言葉は、その「彼」がある世界から、


もうひとつの世界を旅して帰ってくるという印象を抱かせる。)



さて、「多崎つくる」は、「巡礼」としてどこに向かうのか?


あるいは、どの地に赴いて「巡礼」となるのか?


そう考えると、「多崎」という比較的めずらしい苗字が、


ひとつのヒントになるかもしれない。つまり・・・


「多」い「崎」というその苗字は、リアス式海岸を想起させる。



また、「彼の巡礼の年」というのは、「彼」にとって、


「巡礼」というのが、継続的な行為や仕事なのではなく、


ある特定の年に「巡礼」という行為を行なったと読み取れる。


そして、「多崎つくる」という呼び方は、若者を思わせる。


(これは、単なる印象に過ぎないが。)


タイトルに呼び名を掲げた例は『海辺のカフカ』以来。


カフカが向かったのは周知の通り香川県であった。


この小説において、「つくる」は、


リアス式海岸が津波の被災を甚大なものにした、


東北地方に向かうのであろうか・・・。



長編では、初期三部作の『羊をめぐる冒険』で北海道、


『ダンス・ダンス・ダンス』で再び北海道に赴いて以来、


そうであれば、久しぶりに「北に向かう主人公」となる。


ただし、「多崎つくる」が主人公であるか、まだわからない。


(登場人物であるかさえ、現時点ではわからないと言うべきだ。)



ともあれ、「色彩を持たない」という形容が最大の謎である。


それは現在のところ「多崎つくる」の属性と考える以外にないが、


この形容の意味する内容は、多くの可能性が考えられる。



とりあえずは、村上の登場人公によくある「トオル」「ノボル」


また、拓(ひらく)といった動詞形の名前とのつながりが考えられる。


そしてそれは、「拓(ひらく)」や「始(はじめ)」と同様、


何かを始める、創造するという意味を濃密にまとっている。


(その意味で、『国境の南、太陽の西』が気になっている。


あるいは、『スプートニクの恋人』の「にんじん」から、


『海辺のカフカ』の「カフカ」へと引かれた一本の線。)


『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の内容を予想する



これらの謎について、それを解明する(あるいは考察する)には、


「4月12日」を待つ以外にない。


まさに、そこから私なりの「解」を「つくる」ことになる。



Posted by び ん at 00:05│Comments(0)
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