破壊されたグスク (聖地報告2)

び ん

2006年05月03日 16:41

現在の中城城址から、往時の中グスクを想起することはさほど困難ではない。

主な遺構は、かなりの度合い復元が進んでいるからだ。

それも、学術的調査にもとづいた、きわめて周到な復元である。


そのような意味で、むしろ現在の中城城跡に、かつて遊園地があったことを想像するほうがむずかしい。


ただしかし、われわれは、いくらでも「破壊されたグスク」を目にすることができる。

それも、中グスクと同程度以上の大きさを持ち、同時代に存在したグスクを。


そして、そのようなグスク跡にたたずんでみると、

たとえば現在世界遺産指定されたグスク跡のいずれもが、

多かれ少なかれ「破壊されたグスク」であった事実に改めて気づかされる。





その一番手としてあげておきたいのが、大里グスクである。

こんもりと盛り上がった地形の上にひろがる様子といい、

第2次世界大戦の前後に破壊された経緯といい、その後の推移といい、

現在の大里グスク跡は、往時の中グスク跡を思わせる要素に満ちている。





破壊されたとはいえ、遺構をうかがわせる石垣はわずかに現存しており、

そして、いくつかある拝所(ウガンジョ)は、その機能を維持している。


この3月の沖縄訪問で、この大里グスクは予想以上に大きな収穫だった。

近隣に住んで、戦前からの大里グスクの推移を目の当たりにしてこられた方に、

かなり長い時間、詳しくお話をうかがえるという幸運も重なった。

そのお話から、かつての大里グスクの様子をかなりの程度想像することができた。


現在、15ヵ年計画で大里グスクの復元計画が進んでいるという。

しかし、むしろぼくなどは、ほとんど「何もない」大里グスクの遺構にたたずんで、

かつての姿を幻視してみることのほうが、ずっと意味があるような気がしている。

(たとえば中グスクとは異なり、すでに持ち去られた石垣の大部分は現状復帰不可能。

すなわち首里グスクのように、わずかに残った遺構を、

新しくつくったレプリカが覆うという形にならざるをえない。

首里グスクであれば、それはそれで十分に意味のある「復元」であったが)

別の言い方をすれば、「ここ」もまた他と区別のつかぬ復元(化粧)を施され、

そしてお決まりの観光地化されることに対して、いささかの疑問を禁じえない。

もちろん、地元の方にとって観光収入が大事であることは理解したうえで。





ところで、この大里城址にも、中城城址のような遊園地があったのだという。

むしろ、今回見た大里城址からは、「かつてあった遊園地」を容易に想像できた。

グスク機能を破壊されたまま放置されているというだけではなく、

かつて遊園地であったことを示す「遺跡」が、わずかに残っていたからだ。





グスクの廃墟であり、遊園地の廃墟でもある大里城址、

その眺望は勝連グスク跡に勝るとも劣らない。


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