現在の中城城址から、往時の中グスクを想起することはさほど困難ではない。
主な遺構は、かなりの度合い復元が進んでいるからだ。
それも、学術的調査にもとづいた、
きわめて周到な復元である。
そのような意味で、むしろ現在の中城城跡に、かつて遊園地があったことを想像するほうがむずかしい。
ただしかし、われわれは、いくらでも「破壊されたグスク」を目にすることができる。
それも、中グスクと同程度以上の大きさを持ち、同時代に存在したグスクを。
そして、そのようなグスク跡にたたずんでみると、
たとえば現在世界遺産指定されたグスク跡のいずれもが、
多かれ少なかれ「破壊されたグスク」であった事実に改めて気づかされる。
その一番手としてあげておきたいのが、大里グスクである。
こんもりと盛り上がった地形の上にひろがる様子といい、
第2次世界大戦の前後に破壊された経緯といい、その後の推移といい、
現在の大里グスク跡は、往時の中グスク跡を思わせる要素に満ちている。
破壊されたとはいえ、遺構をうかがわせる石垣はわずかに現存しており、
そして、いくつかある拝所(ウガンジョ)は、その機能を維持している。
この3月の沖縄訪問で、この大里グスクは予想以上に大きな収穫だった。
近隣に住んで、戦前からの大里グスクの推移を目の当たりにしてこられた方に、
かなり長い時間、詳しくお話をうかがえるという幸運も重なった。
そのお話から、かつての大里グスクの様子をかなりの程度想像することができた。
現在、15ヵ年計画で大里グスクの復元計画が進んでいるという。
しかし、むしろぼくなどは、ほとんど「何もない」大里グスクの遺構にたたずんで、
かつての姿を幻視してみることのほうが、ずっと意味があるような気がしている。
(たとえば中グスクとは異なり、すでに持ち去られた石垣の大部分は現状復帰不可能。
すなわち首里グスクのように、わずかに残った遺構を、
新しくつくったレプリカが覆うという形にならざるをえない。
首里グスクであれば、それはそれで十分に意味のある「復元」であったが)
別の言い方をすれば、「ここ」もまた他と区別のつかぬ復元(化粧)を施され、
そしてお決まりの観光地化されることに対して、いささかの疑問を禁じえない。
もちろん、地元の方にとって観光収入が大事であることは理解したうえで。
ところで、この大里城址にも、中城城址のような遊園地があったのだという。
むしろ、今回見た大里城址からは、「かつてあった遊園地」を容易に想像できた。
グスク機能を破壊されたまま放置されているというだけではなく、
かつて遊園地であったことを示す「遺跡」が、わずかに残っていたからだ。
グスクの廃墟であり、遊園地の廃墟でもある大里城址、
その眺望は勝連グスク跡に勝るとも劣らない。