遊園地だった (聖地報告1)
中城城址が遊園地だったこと、知っていますか?
中城公園遊園地。
http://candy.fishbowl.rm.st/hl/i.cgi?l=11
ネットを散歩すれば、断片的な情報が載っている。
http://www.kanshin.jp/rojiura/index.php3?mode=keyword&id=421271
今年1月13日のNHK沖縄「写真が語る沖縄」のコーナーで、
1963年当時の写真が紹介されたようだ。
沖縄初の遊園地
多いときには入場者1日30000人
40歳代以上の人には懐かしい、と。
ぼくは、3月12日に、はじめて写真を見せていただいた。
これは、その時の写真の一部分。
遺(のこ)った石垣はそのままに、
1960年代としては、かなり大掛かりな遊具が設置してあるようだ。
さて・・・遊園地と聖地。
どうつながるだろうか。
遊園地は、一種の聖地と言えなくはない。
ただし、そこは決して「祈りの場」ではない。
おそらく、御嶽は遊園地の間にも機能を保持し続けたとは思うのだが。
しかし、1日3万人もの入園者があって、どの程度保存できたかは未詳。
「中城公園遊園地の研究」、だれかが書いていてくれないだろうか。
沖縄に、そういうことにめっぽう詳しい
橋爪伸也がいてくれたらいいのに。
ただしかし、いまぼくらが遊園地だと思って遊んでいる場所も、
100%かつての聖地ではなかったと、誰が保証できるだろうか。
沖縄であっても内地であっても。いや、世界中のどこでも。
中城城址の遊園地化、城跡の保護であったと記すものもある。
http://www.dab.hi-ho.ne.jp/maggie/panauru5.html
ただし、アメリカ側の後押しによって遊園地化されたと記すものもある。
http://happyland.kt.fc2.com/voice.html
聖地のイメージに遊園地を重ね、いささか落ち着かない気分になる。
ただ、それは殺伐としただけの落ち着かなさなのではない。妙な気分だ。
中グスクの聖林が、あまり問題にされることなく伐採されてしまった理由。
そのひとつに、かつてここが遊園地(遊戯施設)だったことがあるのではないか。
世界遺産に指定されたとしても、かつて存在したもののイメージは、たやすく消えることはない。
もちろん理由はそれだけではないと思うのだが・・・
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