2024年09月14日

沖縄土産2024の2

沖縄土産いただきました~♪

御菓子御殿の紅いもタルトです。


まあ、定番中の定番ではありますが・・・。

国際通りで買ったというので、であれば、

生タルトも食べてほしかったのですけどね。





それでも、もちろんおいしかったですよ。

画像拡大してから気づいたんですが、

隅のところ、ちょっと欠けてますよね。^^

とはいえ、すでにわが家に現物はなく、

(6コ入りの箱だけ残っておりますが)

このままUPしときます。・・・あしからず。





御菓子御殿がまだポルシェだったころ、

読谷村の喫茶店風の店舗だった様子とか、

子どもの誕生日を祝ってもらったこととか、

そのあとの展開のみごとなプロセスだとか、

そんな話は聞いてもらえなかったのですが、

まあ、いいです。「おみやげ」の気持ちだけで。


というわけで、「沖縄土産1」から半年たってしまいましたが、

(前回の記事からでも、3か月以上ですね。いやはや。)

「沖縄土産2024の2」、ということで。


(前回の沖縄土産2024の1は、コチラ 👇 )

      https://bin.ti-da.net/e12684620.html


いえいえ、べつに「おねだり」していませんから。




【追記】

わかりやすい沿革(略歴)がありました。

参考:御菓子御殿HP 沿革・受賞歴

https://www.okashigoten.co.jp/history-awards/


ぼくが知っているのは、平成2年(1990年)から。

「有限会社ポルシェ食品設立」という年です。

その後の展開・・・すごいですね。


  



2024年06月03日

おはよう、AKARA(ボクネン美術館)!

大丈夫、AKARA。

あなたのことを愛する人が、

こんなにたくさんいるのだから。





ぼくらがそうであるように、

たくさんの人のなかで生き続け、

また別のかたちで会うことができる。





ぼくらもそうであるように、

いまのすたがは見えなくなっても、

きっとまた別のすがたで生まれてくる。





それまでのあいだ、

ほんのすこしだけ、

BYE-BYE!


  



2024年05月31日

ボクネン美術館で会いましょう!

考えてみれば、これほど切実に、

台風のことばかり考えていたのは、

ずいぶん、ひさしぶりのことでした。


いや、どんな台風も、当事者にとって切実な問題なのですが。


発生するまでは、早く発生してほしいと願いましたし、

発生してからは、早く抜けないか、さもなくば停滞しないか、

できるだけ沖縄~本土のラインから遠くにそれてくれないかと、

何度も台風の進路を見ながら、そんなことばかり考えていました。


なんとか、できるだけ遠くにそれてくれたのではないか、と。

もちろん、どこかからの遠くは、どこかの近くなのですけれど。


しかし、陸上ではほんとうにゆっくりしか進みませんね。

なんだか、フィリピンの島々がうらめしく思えましたよ。

まあ、それもこれも人智の及ばない「自然」のことなので、

もはや、徹頭徹尾、天に祈るしかなかったのですけれど。







二重の虹を載せておきます。縁起がいいので。

6年前(2018年)の6月、沖縄に向かう機窓より。


雲の下がどれだけ雨でも、雲の上はいつも晴れ。

当たり前のことなのですが、なんだか救われます。

  



2024年05月24日

ありがとう、ボクネン美術館。

北谷町美浜のアメリカンビレッジで14年間、

独特の建物とコンテンツで存在感を放ち続けた、

AKARA(ボクネン美術館)が6月2日で閉館する。


案内が送られてきたとき、ちょっと信じられなかった。

ちょうど、その頃、沖縄タイムスでも第一報があった。


沖縄タイムスプラス3月13日


すぐに電話して詳細をうかがったのだけれど、

残念ながら6月2日の閉館は事実であった。


しばらく消化しきれない期間が続いたのだが、

ボクネン美術館のHPにはすでに案内が載り、

近時タイムスにも新報にも詳細が取り上げられ、

周知のニュースになっているので、

ここでも、取り上げておこうと思う。


ボクネン美術館公式ホームページ

沖縄タイムスプラス5月21日

琉球新報デジタル5月19日

ORICON NEWS 5月19日


ボクネンさんから、美術館の構想について、

初めて聞いたのは2000年のことだった。

忘れもしない「九州・沖縄サミット」の年。


彼の版画に、うすく(アカギ)に囲まれた家を描いた

「うすく家(やー)」というものがあるのだけれど、

うすく家 × 名嘉睦稔

「あんな感じの美術館を建てたいんだよ」

というのが、美術館の最初の構想だった。

(すくなくとも、ぼくが聞いた範囲では。)


生まれ島の伊是名に建てるか、本島か、

まだはっきりしてはいなかったのだけれど、

それからちょうど10後の2010年に実現した。

かつてあったギャラリーからさほど遠くない、

北谷町の美浜。アメリカンビレッジの中。


その年のうちに行くことはできなかったけれど、

翌年行って、まずびっくりわくわくの外観にヤラれ、

それからはぼくにとっても「ほかならぬ場所」として、

どれだけの時間、癒され、触発されたことだろう!





うすく家のデザインに、ハブボックスの蛇が絡んでいる。

建物のあいだを、季節季節の風が吹き抜けてゆく。

夢の中の風景のようでもあり、現実が夢でもあり、

手を触れると、いつも鼓動が伝わってくる。


こうやって書いていると、残念で仕方がない。

悲しくなるし、ふつふつと腹も立ってくる。


しかし、そもそも、これだけの個人美術館を、

14年間も存続させた力自体がすごいのだ。

地域の力、文化の力、作家の力、スタッフの力。

それらが混然一体となって支えていた貴重な「場」。


大好きな建物は残念ながらなくなるけれど、

ボクネン美術館が、なくなるわけじゃない。


36回目の企画展は「ありがとう」。

いや、こちらが言わないといけない。

「ほんとうにありがとう。」

  


2024年05月19日

ウルトラセブンのナーギー(鎌投げ遊び)

頻繁に記事を載せるようになると、

前の記事が、とても気になります。

で、これまでもあとから【追記】【追記】で、

どんどん長くなってしまったりしたのですが。


まあ、頻繁に・・・、とはいっても以前のように、

連続して記事を書いて載せたりするわけではなく、

たまたま5月に3つ目の記事で、今年5記事になったのですが、

また、【追記】を書きたくなったというわけで・・・。


たまたまといえば4月末からの連休に入るタイミングで、

3日ほど発熱が続いて、そのあと咳が止まらなくなり、

5月ということもあって、寝床でぼんやり沖縄のことを、

あれこれ考えては起き上がり、いくつか記事を書きました。


とりわけ、1つ目の記事を載せた4月26日には、

夜になって体温が38度近くまで上がってしまい、

翌日の土曜日になると、わずかに38度を超えて、

起き上がれなかったので病院には行かぬまま。


そのまま、28、29日の連休も寝ながら過ごし、

29日(祝)になって微熱程度に下がったので、

30日からの平日にもずっと自宅で過ごしました。


悪寒と咳、頭痛と鼻水が入れ替わりやってきて、

かなり相当しんどいのはしんどかったのですが、

しかし、30日になると発熱からもう5日目なので、

「いまさら病院で検査を受けてもなぁ」と思いつつ。


そのあと3日からの連休になってみると、

病院が4日続けて閉まっているというのは、

かなりのストレスで、しんどかったですね。


「こんなことなら、30日からの3日の間に、

一度、病院行っておけば・・・」と思いましたが、

すでに体温も36度台で落ち着いていたので、

(平熱35度台なので微熱ではあるのですが)

咳や痰だけで救急に駆け込むわけにもいかず。


4月26日と5月1日の2つの記事は、

3月9日の記事のあとに書きはじめ、

どちらも、うまくまとまらないまま、

ずっと下書きに入れておいたものに、

すこし書き足してUPしたものでした。


5月3日の記事も(読めばわかりますね)、

4月3日の地震の日に書きはじめたのですが、

結局、記事になったのはちょうど1か月後でした。


それでつまり何が言いたいのかといえば、

5月1日の記事島言葉「ナーギムン」の「ナーギ」って?で、

なぜ画像がウルトラセブンなのだ?という話でして・・・




(いえ、今夜は月齢10なので、むしろ「逆三日月」で・・・
何か「鎌」っぽい写真を探したのですが見つからなくて。)



ナーギー(鎌投げ遊び)の話題のところで、

ウルトラセブンの等身大フィギュアを、

画像として載せたわけですが・・・


つまり、頭の上に載っている「投げ鎌」、

ふつうアイスラッガーと呼ばれていますが、

そいつのことを、ふと思い出したというわけで。


サンスポ 2023/02/22 05:00


ITメディアニュース 2018年01月22日 15時49分 公開


という、ただそれだけの記事なのですが何か?

  


2024年05月12日

「ナーギムン(土産物)」追考

2つ前の記事で、「ナーギムン」について考えました。

書きながらも、そのあとにも、思っていたのですが、

もっと単純に、大和言葉「みやげ」の転訛(なまり)が、

そのまま「ナーギ」になったのかな、とも思っています。


ただ、マ行(m音)とナ行(n音)の語頭での転訛の例が、

他に、なかなか見つからなくて・・・。


よく知られる気張るとチバル、清らとチュラに代表される、

カ行(k音)とタ(t音)またはチャ行(ch音)との相通や、

「間違い」が「バッペー」になるマ行(m音)とバ行(b音)の例、

(これは大和でも、ヘミ(ハミ)とヘビという語尾が有名ですし、

沖縄では、「打ち紙」を「ウチカビ」とする例が代表的ですね。)


あるいは、大和ではシビだったのが沖縄でチミやツミになった、

(つまりs音が、t音やch音に転訛した)「マグロ」の例、

などなど、いろいろ例をあげることができるのですが、

語頭のm音とn音が入れ替わる例が、ありそうでない。


そのような例が他にも存在するのであれば、

「みやげ」という大和言葉が沖縄に伝わって、

たとえば「みゃーぎ」のように発音されたあと、

「なーぎ」に転訛したと考えられなくはないのですが。


気になっているのは「大きい」を意味するマギーですね、

これが、もし大和言葉の「長い」から来ているのであれば、

「長い」→「長(なげ)ぇ」→「マギー」という転訛が、

もちろんその可能性ですが、生じるかもしれない。


あるいはまた、m音とn音ではないのですが、

ニガナ(フーチバー)を「ンジャナ」と発音しますよね。

つまり、ナ行の「ニ」という音から子音の「i」が脱落し、

「n」という音だけに転訛した。それも語頭で。


それから、「さようなら」を意味する「チャービラ」。

これは、語頭のs音がt(ch)音に転訛するとともに、

語中のn音が、先記のようにb音へと移行している。


もちろん、n音からm音への転訛ではないのですが、

m音から転訛しやすいb音が、n音からも転訛している、

つまり、m音とn音はいずれもb音に転訛しうるという、

間接的ではあるけれど、三段論法にはなっている。


いやこれは、ロンポーではなくてナンポーで。








とりあえず、「定番土産」三段並べてみました。だからよー。

  


2024年05月03日

地震のニュースに驚いてから1か月

その日は、めずらしく朝6時30分に目が覚めて・・・

珍しいのは、朝が早かったからという意味ではなくて、

明るくなる時刻まで寝ていたのは、ほんとうにひさしぶりで。

前日ちょっとひと仕事を終えたので、肩の荷を下ろした感じで。





目が覚めてしまったので、そのままつぎの仕事を始め、

そして、ふと気づくと、もう午前10時になっていた。

そろそろ出かける準備をする必要がある。

天気予報のチャンネルを見ようと思ってテレビをつけた。


びっくりした。


津波警報。宮古島・八重山地方に3メートルの予報。

与那国・西表・石垣・宮古・那覇の予報が3メートル。

そんな表示がテレビ画面の半分ほどを占領している。


警報なので当初は一律表示するようになっていて、

注意報であれば表示は1メートルになるのだが、

それでも3メートルという数値には肝をつぶす。


南海トラフ地震の最大予想値は34メートルで、

そうなってくるともはや想像の余地がないのだが、

3メートルというのは現実的な恐怖をもたらす。


東日本大震災の記録では最大値9mらしいが、

それでも、狭隘地形の奥では40メートルを超え、

ほんとうに予測がつかないのが津波なのだと、

改めて13年前、そして今年の1月1日を思い出す。


しばらく現地の状況がわからなかったので、胸がざわついた。

気象庁の職員が説明をしているのだが、よくわからない。


災害報道のたびに思う。

せめて、ちゃんと話のできる職員を出してほしい。

妥当な危機意識を喚起できる人員は気象庁にはいないのか?


沖縄本島地方、宮古島・八重山地方に、津波警報が出ている。

それだけはわかった。しかし、その先の説明がぐだぐだなのだ。

対象地域の位置関係を知らないのか、会見の訓練をしていないのか。


チャンネルを替えた。民放の情報番組のほうが、ずっとよくわかる。


与那国には、すでに30センチの津波が到達したという。

しばらく、そのままテレビにかじりついていた。


その後、石垣島に、しばらくして、宮古島に、

それぞれ20センチの津波が到達したとの報。

画面は、石垣島や、宮古島や、那覇を映している。


10時40分になって、津波警報は津波注意報に変わった。


それから、台湾の映像が入ってくるようになった。

東部の都市花蓮の被害がいちばんひどいようだ。

台湾の東部地域には行ったことがないのだが、

本だけはたくさん読んだので、他人事の気がしない。

花蓮の郊外を舞台にした台湾ドラマが好きで、

なんだか、かつて行ったような気もするくらいだ。


当初の人的被害は、まだ小さな数字だった。

しかし、これから増えるのだろうなと思われた。

正午までチャンネルを替えながら見続けた。

(4月3日。シーサーの日、どころではない。)

支度をして、後ろ髪をひかれる思いで外に出た。


外に出たら、職場に着くまで電波を受ける方法がない。

いやいや、今時Wi-Fiを電波などと呼んだら笑われる。

でも、それが何なのか、説明できる人はどれだけいるのか?

そういえば、昔、ラジオの電波を入れ歯で受信したという、

そんな話を聞いたことがある。鉱石ラジオの時代。


鉱石ラジオって、今でもあるのか?

・・・あるらしい。

exラジオ少年


その後も、各地で震度3以上の地震が続いている。

今年(1月1日から4月30日まで)日本で発生した

震度5以上の地震は、もうすでに12回。

震度3以上になると、310回を超えている。

気象庁 震度データベース参照)

4月最後の1週間だけでも、震度3以上が9回。

そのなかには、27日のトカラ沖の深度3もある。

台湾に至っては、この1か月で1300回の体感地震。


ひとごとではないと思う。

ひとごとにしてはならないと思う。


気をつけましょうね。

気をつけてください。


それだけでは対応できない局面があるとしても、

しかし、やはり日頃の備えが物を言いますから。
  


2024年05月01日

島言葉「ナーギムン」の「ナーギ」って?

「土産(みやげ)」についての記事を2つ書いた。

いまさらながら、今年に入ってのすべての記事(汗)


もはや、「開店休業」と言うよりは、

「閉店なのに、なぜかたまに開いている店」状態。

まあ、そういうこともあっていいのだろう。


書きながら(特に前回)、ずっと思っていた。

そういえば、島言葉で「土産」ってなんだっけ?


だいぶ考えたのだけれど、思い出せない。

しかたがない。そういう時は調べましょうね。

前回エラソーなことを書かなかればよかった。


沖縄方言辞典


そっかぁ。島言葉で「土産」は「ナーギムン」。

あるいは、そのまま「ナーギ」。


ただし、使用頻度は低く(5アカバナーのうち、2アカバナー)、

「詳しい人は知っているかもしれないけど、沖縄でも殆ど使われない方言。」

というところにカテゴライズされている。


ナーギもナーギムンも、「ナーギー」じゃないんだな。

おまけに、これでは語源がわからない。

もうちょっと調べてみよう・・・。


読谷村しまくとぅば単語帳


ここでは、ナーギムンを土産・土産物と対応させている。

いや、まてよ。

2つ上の「ナーギー」が気にかかる。


「鎌投げ遊び。 草刈りに行って、刈った草を賭けて鎌投げをして遊ぶこと。」

いやいや、そいつは危険。

と思うのは、21世紀の人間だからなのだろう。

昔は内地でも石投げとかチャンバラとか、危険な遊びはたくさんあった。

チャンバラのまねごとで友だちの目にけがをさせたときは怖かったし、

休耕田の広場で敵味方に分かれ、石投げをした記憶もある。


鎌倉室町の頃の飛礫(つぶて)とは違って、手加減はしていたけれど、

それでも、当たりどころが悪ければ大けがもしかねない遊びだった。


「鎌投げ」というのは、マトに向かって鎌を投げるのだろうか?

それとも、投げてうまく刺さったら勝ちということなのだろうか?

「刈った草を賭けて」というのであれば真剣になっただろうし、

むしろ、ある程度の年齢になってからの模合的な共同作業だった?


読谷しまくとぅば単語帳には「イラナナギエー」という用例もある。

「イラナ」は「鎌」なので、「鎌投げ合い」ということになる。

そして「ナギエー」のところには、長い用例が乗っている。

「イシナギエー シーネー アブナサヌ、チュンカイ アタイネー デージドー。」

(石の投げ合いをしたら危ないよ、人にでも当たったら大変だよ。)



(2023年11月 東京都世田谷区の通称ウルトラマン公園にて)


「ナギーン」であれば、「投げる」「捨てる」

「ナギーチラカスン」で、「投げ散らかす」

このあたりになってくると、耳に親しい。


そっか、「ナーギムン」は「投げ物」で、

今は「投げる」はよくないニュアンスだけれど、

どこかから持ち帰ったものを、「投げ与える」

人びとに分け与える、そんな感じの言葉なのかな。


いや待て待て。

だったら、「ナギムン」や「ナギームン」でいいわけで、

「ナギー」と「ナーギ」はたぶん確実に違うわけで、

「ナギー」は、「ナーギムン」とは異なるのでは・・・?


ちょっと気になるサイトがあった。


御願(ウグヮン)ドットコム


「スーコーのしきたり その2 グソーのナーギムン」というコラムで、

ナーギムンを「黄泉の国へ旅立つ者への土産」として取り上げている。

島言葉には他にも多くの用例があるようにむしろここに本義があって、

一般的な日常生活用語に派生してるという可能性も小さくない。


ただし、故・座間味 栄議さんも述べておられるように、

「死後の世界も現世と同じような日常生活が営まれている

と考えるのが沖縄人の死生観」の基本である以上、

逆にグソーでのみ用いられる概念から派生した、

と考えるのも、よけいな詮索なのかもしれない。


というわけで、「ナーギムン」の「ナーギ」、

ちっとも意味が解りません。

だれかご存じのかた・・・と言っても、

「閉店なのに、なぜかたまに開いている店」なので(汗)


  


2024年04月26日

土産(みやげ)についての、レペティシオン

「沖縄土産2024年の1」という記事を書いた。

「の1」と書いたけれど、「の2」「の3」があるか、

いやいや、ちょっと心もとないぞと思いつつ・・・。


そういえば、どこかに土産について書いた記事があったな。

2016年6月12日の「土産についての、エトセトラ」という記事。

こんなことを書いている。以下、【  】内に引用してみたい。


【「みやげ」という言葉が普通に使われるようになったのは、

それほど遠い昔のことではない(と言われている)。

せいぜい、4~500年ほど前のことだ。

時代でいえば室町時代のことになる。


「土産」を「どさん(とさん)」と呼んでいたのが、

この頃から「みやげ」と呼ぶようになった。

そもそも「土産(どさん)」というのは、

文字通り、「土地の産物」のこと。


ちょうどこの頃から人々の移動が盛んになり、

出かけて行った先の「土地の産物」を持ち帰り、

思い出として飾っておくことが多くなったのだろう。


そのために、「土産(どさん)」と「みやげ」の意味が、

重なって用いられるようになったのだとぼくは思う。


(参照:語源由来辞典「土産」)


語源説というのは、しばしば眉唾めいたものだ。

現代の辞書に載っている語源説の多くは、

江戸時代の国学者(古典文学者)たちが、

合理的な根拠とも科学的な考証とも無縁のところで、

思いつきを出し合っていた説が多くを占めているからだろう。


そして、そのような、少し思い切って言えば「遊び」を、

近代に入ってからもトンデモ学者たちが引き継いでいる。

(それでも、自分は何も考えぬまま、誰かが考えたこと、

言ったこと、書いたことを鵜呑みにするよりずっといい。)


で、本来「土産」というのは、その土地に行ったことを示す、

ほかならぬ「目に見える思い出」であったのだと思う。

だから、その土地特有の郷土品が多かったはずだし、

それは、おそらく2度と行くことがない土地の思い出に、

自分が今いる空間に大事に飾っておいたのだが、

今は、もっぱら、だれかにあげるものを買って帰る。


たとえば、那覇空港のみやげ物フロアを対象にして、

「人にあげるもの」と「自分で飾るもの」を比較調査すれば、

前者が8割以上を占めるであろうことは、想像にかたくない。


どちらがいいとは言わないけれど、今は、あまりに、

「人にあげるもの」ばかりで、ちょっと疲れてしまわない?】


(以上、引用)


でも、「人にあげること」がアミューズメントという人もいる。

たぶん、ぼく自身もそちら側の人間で、そのぼくから見ても、

下の娘は、おそろしいくらいに「みやげ体質」でびっくりする。

下の娘とぼくが旅行に出ると、妻の警戒度が一気に高まる。


もうひとつ、「みやげ」についての語源と考えられること。

律令制度がはじまって、租庸調(そようちょう)と呼ばれる、

最初の税が日本列島(除く北海道)に課されるようになった頃、

全国から集められた米や布や特産品などを収蔵しておく蔵が、

「屯倉(みやけ)」と呼ばれた。(のちには「三宅」とも書いた。)


当初は、蔵の建物そのものを「みやけ」と呼んでいたのだが、

いつか、蔵に入れるものも「みやけ」と呼ぶようになったのでは。

つまり、日本全国から運んでくる、それぞれの特産物も「みやけ」。

それがいちばん通りのいい語源ではないかと、少し前から考えている。


それから中国語で「土産」を意味する「東西」という言葉。

今は「礼物(リーウー)」という言い方が多いというのだが、

「みやげ」という意味で使われていた(今でも使われている。)

日本人の耳には「ドンシー」に近く聞こえただろうから、

「土産(どさん)」との発音が近いのが気になっている。


語源辞典を調べてみたら、どんなふうに書かれているだろうか?

2016年には調べて書いているが、近頃はほとんど調べない。

(調べたい人が調べればいいんじゃない?と思っている。

やはりコロナの3年間が決定的だったな。考える時間があった。)


辞書に書いてあることで知ったつもりになるのが年々嫌になる。

逆に、調べないといけないのは仕事だけでいいよ、と思っている。

(仕事では徹底的に調べる。いわば調べるのが仕事なので。)


その場でちょっとだけ調べるのが嫌いだからスマホを持たないのか、

スマホを持っていないから、調べるのがますます嫌いになるのか、

最近は自分でもよくわからなくなってきているのだが・・・。



(2022年5月15日 那覇市内にて)

  


2024年03月09日

沖縄土産2024の1

娘が沖縄から帰って来た。

とはいえ数日間行っていて、

予定通り帰ってきたのだが。


それも、もう2週間ほど前、

2月の後半のことなのだが。


某プロ野球チームのキャンプ見学に、

コザ信金スタジアムとホテルの間を、

毎日往復しに行くだけだというので、

おみやげの期待はしていなかったのだが、

こちらのキモをしっかり衝いてきた。





ご存じ、JTAの機内誌「コーラルウェイ」。

今年の若水(ワカミジ)号(1,2月号)。

(これほどコストパフォに優れた土産もないな)

通算で、もう210号になるんだね・・・。


正直しばらく見なかったので、なつかしい。

で、ラインナップの形式は、ほぼ変わらず。

ただ、内容的にはずいぶん変わっている。

とにかく隅々まで一通りざっと目を通した。

コザの特集は、なんと20ページもある。

なかなかの角度から攻めていて読ませる。



というわけで、とくに虫ではないのですが、

啓蟄になって、のこのこ這い出してきました。


あいかわらず空間移動の旅はできずに、

時間移動の旅ばかり、つづけています。

「旅の記録」がひとつ増えたので、

リンクしておきましょうね。

https://www.youtube.com/watch?v=zeMa4OIpLsU


その前の「旅の記録」は、こんな感じでした。

https://www.youtube.com/watch?v=zKfflbRvtrw




3月も中旬というのに気温0度を切る日もあって、

(今日は最低気温1度、明日は0度の予報です。)

よく降る雨が、いつ雪になっても、おかしくない。

まあ、でも、「冬来たりなば、春遠からじ」なので、

春の気配は、しっかり探しながら歩いています。


今年初めての投稿(というより、3カ月ぶり)なので、

とてもとてもおくればせながら、ごあいさつを。

いろいろなことで予断を許さない日々ですが、

よいことが、ひとつでも多くありますように。