2025年03月22日

泳いでいる? 飛んでいる?




昨年11月の石垣島。名蔵アンパルの外海。夜明けの風景です。

刻々と潮位を増してゆく干潟に取り残された岩礁が、

泳いでいるようにも飛んでいるようにも見えて、

見どころが多くて、なかなか立ち去れずに、

あやうく岩場に取り残されるところでした。





それにしても、今年はとても寒い冬になりました。

10年に1度は、こんな冬を過ごしてきましたが、

地球温暖化はとどまる機会を失ったようなので、

(それゆえにこそ個々の意地は大切だと思います)

これからも、こういう冬は頻繁に訪れるのでしょうね。





いろいろあって、1か月近く仕事を休んでしまい、

今週、ほんとうにひさしぶりに職場に復帰しました。

溜まりに溜まった仕事を少しずつ片付けていますが、

年度末も近いのに、「日暮れて道遠し」という感じです。


でも、まだ今年度の終わりまでに10日もありますから、

とりあえず、ひとつずつ、という感じでいくしかありません。

ほんとうに、ひとつずつ、ひとつずつ、なのですが・・・


疲れると、11月の写真を眺めては、また仕事に戻ります。

そういえば、また更新していないなと気づいて、こんな記事を。

ぼくらは、浮いたり飛んだりできないので、とりあえず地道に。

まあ、泳ぐのはできますね。八重山の海で21年ぶりに泳ぎたい。

  



2025年02月12日

江戸を駆けるマルチクリエーター

石垣島から帰って、3か月あまりが過ぎてしまいました。

今年は10月が過ぎるまで、大阪から離れられそうにありません。

第2次世界大戦が終わって80年の節目なのですけれど・・・。

なにはともあれ、大寒も過ぎ、立春の候と過ごしています。





NHKBSの『英雄たちの選択』、今週は平賀源内の回でした。

再放送は、2月17日(月)の午前11:00からです。

ちょっと中途半端な時刻ではありますが。




よろしければ、ご覧ください。多少関わりましたので。

「NHK 英雄たちの選択」

  



2025年01月09日

20年という一瞬



2004年、石垣島にて。

この光景を見てから、もう20年あまり。


「もう一度この光景を見たいと思う気持ちがあり、

もう二度と見られないだろうという思いもあり、

きっとさまざまな思いが強すぎるのでしょうね」

沖縄・八重山探偵団 2007年9月27日

こう書いてからでも、もう17年以上。


もちろん、今は野焼きの季節ではないし、

現在もなお続いているのか、わからない。

そう思って昨年石垣島を訪れましたが、

たぶん、今でも野焼きをするんだろうな、

そう思える風景が、ひろがっていました。


そして、ぼくには、野焼きの煙の向こうに、

ちぎれて飛んだ炎のように浮かんでいる、

今にも沈んでいこうとする夕日の姿が、

ありありと思い起こせる大切な光景。


20年というのは、それほどわずかな

日の沈む一瞬ほどの時間でもありました。



本年が皆さんにとって、良い年でありますように。

  



2024年12月26日

おもてなしには、サワフジ(サガリバナ)を。




びっくりしました。11月にサガリバナが見られるなんて。

え?造花?・・・と思いましたけれど、本物なんですね。

夏・・・、というかむしろ初夏の花ですよね、本来は・・・。


いつか一度はサガリバナの川面に散り敷いた景色を、

リアルタイムで見たいと、ずっと思っていましたから、

その願いが多少なりともかなってうれしかったです。


20年ぶりに訪れた宮良殿内(どぅんち)。

20年前と変わらず宮良さんはお元気で、

とっておきの資料を選んで差し出す動作が、

20年前とそっくり同じなのがなつかしかった。


まさか再訪までにこれほど時間がかかるとは。


「長い時間をおいて訪ねてくれる人も、

たくさんいますよ」と、いくつも例を挙げて、

話してくださったのには、とても救われました。


そしてサガリバナを(宮良さんは一貫して、

サワフジとおっしゃっていたのもうれしく)

池から、てのひらですくわせていただき、

しばらく、なつかしく話をさせていただいて。


宮良殿内、数年後には解体修理を始め、

それが数年間かかるということなので、

その前に再訪できたこともありがたく、

修復前にもう一度来たいなと思いつつ。


それにしてもサワフジ(サガリバナ)。

午後にもまだ、少しもしおれてなどいなくて、

朝、川まで行ってとってきたのだということで、

(今年の気候はどうなっているのかと訝りつつも)

その姿と色、とりわけてのひらの上に載せた感触は、

1か月以上たった今でも、とても新鮮に残っていて。


「匂いを嗅いでみなさい」といわれ、思い切り息を吸い、

嗅いだ匂いは、あまりにも微妙すぎるほのかさで、

(わたしたちの空間には人工的な強烈臭が多すぎる)

「なんとなく」という感じでしか覚えていないのですが・・・。

それでも記憶のなかに、ほのかにただよっているのです。



ということで、大阪に戻ってから1か月以上たちますが、

なんとか1つめの記事を書いてみたのでありました。

(まあ、「20年ぶり」にくらべれば、少しはましかな。)


年の瀬が押し迫ってから、自宅で眠れたのは4日。

今日はエアポケットのような、小春日和のような・・・。

ああ、もう12月なのだなと思える余裕もあまりなく、

ただただ、のどかな日が続いてくれることを祈りつつ。

  


2024年09月14日

沖縄土産2024の2

沖縄土産いただきました~♪

御菓子御殿の紅いもタルトです。


まあ、定番中の定番ではありますが・・・。

国際通りで買ったというので、であれば、

生タルトも食べてほしかったのですけどね。





それでも、もちろんおいしかったですよ。

画像拡大してから気づいたんですが、

隅のところ、ちょっと欠けてますよね。^^

とはいえ、すでにわが家に現物はなく、

(6コ入りの箱だけ残っておりますが)

このままUPしときます。・・・あしからず。





御菓子御殿がまだポルシェだったころ、

読谷村の喫茶店風の店舗だった様子とか、

子どもの誕生日を祝ってもらったこととか、

そのあとの展開のみごとなプロセスだとか、

そんな話は聞いてもらえなかったのですが、

まあ、いいです。「おみやげ」の気持ちだけで。


というわけで、「沖縄土産1」から半年たってしまいましたが、

(前回の記事からでも、3か月以上ですね。いやはや。)

「沖縄土産2024の2」、ということで。


(前回の沖縄土産2024の1は、コチラ 👇 )

      https://bin.ti-da.net/e12684620.html


いえいえ、べつに「おねだり」していませんから。




【追記】

わかりやすい沿革(略歴)がありました。

参考:御菓子御殿HP 沿革・受賞歴

https://www.okashigoten.co.jp/history-awards/


ぼくが知っているのは、平成2年(1990年)から。

「有限会社ポルシェ食品設立」という年です。

その後の展開・・・すごいですね。


  


2024年06月03日

おはよう、AKARA(ボクネン美術館)!

大丈夫、AKARA。

あなたのことを愛する人が、

こんなにたくさんいるのだから。





ぼくらがそうであるように、

たくさんの人のなかで生き続け、

また別のかたちで会うことができる。





ぼくらもそうであるように、

いまのすたがは見えなくなっても、

きっとまた別のすがたで生まれてくる。





それまでのあいだ、

ほんのすこしだけ、

BYE-BYE!


  


2024年05月31日

ボクネン美術館で会いましょう!

考えてみれば、これほど切実に、

台風のことばかり考えていたのは、

ずいぶん、ひさしぶりのことでした。


いや、どんな台風も、当事者にとって切実な問題なのですが。


発生するまでは、早く発生してほしいと願いましたし、

発生してからは、早く抜けないか、さもなくば停滞しないか、

できるだけ沖縄~本土のラインから遠くにそれてくれないかと、

何度も台風の進路を見ながら、そんなことばかり考えていました。


なんとか、できるだけ遠くにそれてくれたのではないか、と。

もちろん、どこかからの遠くは、どこかの近くなのですけれど。


しかし、陸上ではほんとうにゆっくりしか進みませんね。

なんだか、フィリピンの島々がうらめしく思えましたよ。

まあ、それもこれも人智の及ばない「自然」のことなので、

もはや、徹頭徹尾、天に祈るしかなかったのですけれど。







二重の虹を載せておきます。縁起がいいので。

6年前(2018年)の6月、沖縄に向かう機窓より。


雲の下がどれだけ雨でも、雲の上はいつも晴れ。

当たり前のことなのですが、なんだか救われます。

  


2024年05月24日

ありがとう、ボクネン美術館。

北谷町美浜のアメリカンビレッジで14年間、

独特の建物とコンテンツで存在感を放ち続けた、

AKARA(ボクネン美術館)が6月2日で閉館する。


案内が送られてきたとき、ちょっと信じられなかった。

ちょうど、その頃、沖縄タイムスでも第一報があった。


沖縄タイムスプラス3月13日


すぐに電話して詳細をうかがったのだけれど、

残念ながら6月2日の閉館は事実であった。


しばらく消化しきれない期間が続いたのだが、

ボクネン美術館のHPにはすでに案内が載り、

近時タイムスにも新報にも詳細が取り上げられ、

周知のニュースになっているので、

ここでも、取り上げておこうと思う。


ボクネン美術館公式ホームページ

沖縄タイムスプラス5月21日

琉球新報デジタル5月19日

ORICON NEWS 5月19日


ボクネンさんから、美術館の構想について、

初めて聞いたのは2000年のことだった。

忘れもしない「九州・沖縄サミット」の年。


彼の版画に、うすく(アカギ)に囲まれた家を描いた

「うすく家(やー)」というものがあるのだけれど、

うすく家 × 名嘉睦稔

「あんな感じの美術館を建てたいんだよ」

というのが、美術館の最初の構想だった。

(すくなくとも、ぼくが聞いた範囲では。)


生まれ島の伊是名に建てるか、本島か、

まだはっきりしてはいなかったのだけれど、

それからちょうど10後の2010年に実現した。

かつてあったギャラリーからさほど遠くない、

北谷町の美浜。アメリカンビレッジの中。


その年のうちに行くことはできなかったけれど、

翌年行って、まずびっくりわくわくの外観にヤラれ、

それからはぼくにとっても「ほかならぬ場所」として、

どれだけの時間、癒され、触発されたことだろう!





うすく家のデザインに、ハブボックスの蛇が絡んでいる。

建物のあいだを、季節季節の風が吹き抜けてゆく。

夢の中の風景のようでもあり、現実が夢でもあり、

手を触れると、いつも鼓動が伝わってくる。


こうやって書いていると、残念で仕方がない。

悲しくなるし、ふつふつと腹も立ってくる。


しかし、そもそも、これだけの個人美術館を、

14年間も存続させた力自体がすごいのだ。

地域の力、文化の力、作家の力、スタッフの力。

それらが混然一体となって支えていた貴重な「場」。


大好きな建物は残念ながらなくなるけれど、

ボクネン美術館が、なくなるわけじゃない。


36回目の企画展は「ありがとう」。

いや、こちらが言わないといけない。

「ほんとうにありがとう。」

  


2024年05月19日

ウルトラセブンのナーギー(鎌投げ遊び)

頻繁に記事を載せるようになると、

前の記事が、とても気になります。

で、これまでもあとから【追記】【追記】で、

どんどん長くなってしまったりしたのですが。


まあ、頻繁に・・・、とはいっても以前のように、

連続して記事を書いて載せたりするわけではなく、

たまたま5月に3つ目の記事で、今年5記事になったのですが、

また、【追記】を書きたくなったというわけで・・・。


たまたまといえば4月末からの連休に入るタイミングで、

3日ほど発熱が続いて、そのあと咳が止まらなくなり、

5月ということもあって、寝床でぼんやり沖縄のことを、

あれこれ考えては起き上がり、いくつか記事を書きました。


とりわけ、1つ目の記事を載せた4月26日には、

夜になって体温が38度近くまで上がってしまい、

翌日の土曜日になると、わずかに38度を超えて、

起き上がれなかったので病院には行かぬまま。


そのまま、28、29日の連休も寝ながら過ごし、

29日(祝)になって微熱程度に下がったので、

30日からの平日にもずっと自宅で過ごしました。


悪寒と咳、頭痛と鼻水が入れ替わりやってきて、

かなり相当しんどいのはしんどかったのですが、

しかし、30日になると発熱からもう5日目なので、

「いまさら病院で検査を受けてもなぁ」と思いつつ。


そのあと3日からの連休になってみると、

病院が4日続けて閉まっているというのは、

かなりのストレスで、しんどかったですね。


「こんなことなら、30日からの3日の間に、

一度、病院行っておけば・・・」と思いましたが、

すでに体温も36度台で落ち着いていたので、

(平熱35度台なので微熱ではあるのですが)

咳や痰だけで救急に駆け込むわけにもいかず。


4月26日と5月1日の2つの記事は、

3月9日の記事のあとに書きはじめ、

どちらも、うまくまとまらないまま、

ずっと下書きに入れておいたものに、

すこし書き足してUPしたものでした。


5月3日の記事も(読めばわかりますね)、

4月3日の地震の日に書きはじめたのですが、

結局、記事になったのはちょうど1か月後でした。


それでつまり何が言いたいのかといえば、

5月1日の記事島言葉「ナーギムン」の「ナーギ」って?で、

なぜ画像がウルトラセブンなのだ?という話でして・・・




(いえ、今夜は月齢10なので、むしろ「逆三日月」で・・・
何か「鎌」っぽい写真を探したのですが見つからなくて。)



ナーギー(鎌投げ遊び)の話題のところで、

ウルトラセブンの等身大フィギュアを、

画像として載せたわけですが・・・


つまり、頭の上に載っている「投げ鎌」、

ふつうアイスラッガーと呼ばれていますが、

そいつのことを、ふと思い出したというわけで。


サンスポ 2023/02/22 05:00


ITメディアニュース 2018年01月22日 15時49分 公開


という、ただそれだけの記事なのですが何か?

  


2024年05月12日

「ナーギムン(土産物)」追考

2つ前の記事で、「ナーギムン」について考えました。

書きながらも、そのあとにも、思っていたのですが、

もっと単純に、大和言葉「みやげ」の転訛(なまり)が、

そのまま「ナーギ」になったのかな、とも思っています。


ただ、マ行(m音)とナ行(n音)の語頭での転訛の例が、

他に、なかなか見つからなくて・・・。


よく知られる気張るとチバル、清らとチュラに代表される、

カ行(k音)とタ(t音)またはチャ行(ch音)との相通や、

「間違い」が「バッペー」になるマ行(m音)とバ行(b音)の例、

(これは大和でも、ヘミ(ハミ)とヘビという語尾が有名ですし、

沖縄では、「打ち紙」を「ウチカビ」とする例が代表的ですね。)


あるいは、大和ではシビだったのが沖縄でチミやツミになった、

(つまりs音が、t音やch音に転訛した)「マグロ」の例、

などなど、いろいろ例をあげることができるのですが、

語頭のm音とn音が入れ替わる例が、ありそうでない。


そのような例が他にも存在するのであれば、

「みやげ」という大和言葉が沖縄に伝わって、

たとえば「みゃーぎ」のように発音されたあと、

「なーぎ」に転訛したと考えられなくはないのですが。


気になっているのは「大きい」を意味するマギーですね、

これが、もし大和言葉の「長い」から来ているのであれば、

「長い」→「長(なげ)ぇ」→「マギー」という転訛が、

もちろんその可能性ですが、生じるかもしれない。


あるいはまた、m音とn音ではないのですが、

ニガナ(フーチバー)を「ンジャナ」と発音しますよね。

つまり、ナ行の「ニ」という音から子音の「i」が脱落し、

「n」という音だけに転訛した。それも語頭で。


それから、「さようなら」を意味する「チャービラ」。

これは、語頭のs音がt(ch)音に転訛するとともに、

語中のn音が、先記のようにb音へと移行している。


もちろん、n音からm音への転訛ではないのですが、

m音から転訛しやすいb音が、n音からも転訛している、

つまり、m音とn音はいずれもb音に転訛しうるという、

間接的ではあるけれど、三段論法にはなっている。


いやこれは、ロンポーではなくてナンポーで。








とりあえず、「定番土産」三段並べてみました。だからよー。