サガリバナは見たことがないが、神谷千尋の「さがり花」ならば、もう何百回となく聴いている。

び ん

2017年01月21日 00:25

正直サガリバナは一度も見たことがない。

もちろん見たいとは思うがチャンスがない。


たった一夜だけ咲いて朝には散ってしまう、

その幻影的なあり方にはひどく惹かれる。


それも水面に散ってひとつずつ流れるなんて、

寺山修司の映画を思わせて、どきどきする。





サカリバナは見たことがないが、

神谷千尋の「さがり花」はくりかえし聴く。


アルバム「美童しまうた」の最初の曲なので、

まず最初に聴いて、サガリバナを思い浮かべる。


「空よ海よ花よ太陽よ」を目的に購入したのだが、

「さがり花」のほうが、たくさん聴いたかもしれない。

(聴きながら、寝てしまうこともあるしね・笑)





歌詞カードを最初に見て、「え?新城和博!?」と驚いた。

あの、ボーダーインクの名エッセイストが作詞している?

(作曲の上地正昭は、上地正昭で間違えようがないが。)


沖縄のアートシーンでは、こういう越境にしばしば出会う。

ボーダーインクならぬ、ボーダーバイオレーションだ。



サガリバナと同じように一晩だけ咲く花で思い出すのは、

むかし母親が育てていた月下美人という花のこと。

一年に一晩だけ咲く、その時期が近づくと、

母親が、そわそわしてくるので、落ち着かない。

そしてその晩になると「起きていなさい」と言われる。

「絶対に見ておいたほうがいいから起きていなさい。」

そう言われても、こちらは眠くて仕方がないのだ。

(今考えても、とんでもない母親だと思う。)

まだ小さいときには開花を待てずに寝てしまったが、

ある程度大きくなって眠らずに見た月下美人は、

視角的に、というより、嗅覚的に忘れられない。

あたり一面を支配する香りがものすごいのだ。

まるで、いきなり厚化粧の女が現われたようで、

その妖艶なにおいは、今でも鼻先に再現できる。

(母親は、今でも相変らずとんでもない人である。)


そういえば、サガリバナはどんな匂いなのだろうか。

写真で見る限り、清楚な香りがしそうなのだが。


しかし、見た目では花の香りはわからない。

それだけは、月下美人以来の長い年月で思い知った。


【追記】

スージーさんの快進撃がつづいている。

記事も、読書も、いずれも、といったところだ。


ぼくがこの10日間で読了したのは、以下の2冊。

福田恒存『伝統にたいする心構』新潮社、1960年

柴田勝二『村上春樹と夏目漱石』祥伝社、2011年

現在併行して読み進めている本が8冊あるが、

いずれも読了には至っていない。



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