サガリバナは見たことがないが、神谷千尋の「さがり花」ならば、もう何百回となく聴いている。
正直サガリバナは一度も見たことがない。
もちろん見たいとは思うがチャンスがない。
たった一夜だけ咲いて朝には散ってしまう、
その幻影的なあり方にはひどく惹かれる。
それも水面に散ってひとつずつ流れるなんて、
寺山修司の映画を思わせて、どきどきする。
サカリバナは見たことがないが、
神谷千尋の「さがり花」はくりかえし聴く。
アルバム「美童しまうた」の最初の曲なので、
まず最初に聴いて、サガリバナを思い浮かべる。
「空よ海よ花よ太陽よ」を目的に購入したのだが、
「さがり花」のほうが、たくさん聴いたかもしれない。
(聴きながら、寝てしまうこともあるしね・笑)
歌詞カードを最初に見て、「え?新城和博!?」と驚いた。
あの、ボーダーインクの名エッセイストが作詞している?
(作曲の上地正昭は、上地正昭で間違えようがないが。)
沖縄のアートシーンでは、こういう越境にしばしば出会う。
ボーダーインクならぬ、ボーダーバイオレーションだ。
サガリバナと同じように一晩だけ咲く花で思い出すのは、
むかし母親が育てていた月下美人という花のこと。
一年に一晩だけ咲く、その時期が近づくと、
母親が、そわそわしてくるので、落ち着かない。
そしてその晩になると「起きていなさい」と言われる。
「絶対に見ておいたほうがいいから起きていなさい。」
そう言われても、こちらは眠くて仕方がないのだ。
(今考えても、とんでもない母親だと思う。)
まだ小さいときには開花を待てずに寝てしまったが、
ある程度大きくなって眠らずに見た月下美人は、
視角的に、というより、嗅覚的に忘れられない。
あたり一面を支配する香りがものすごいのだ。
まるで、いきなり厚化粧の女が現われたようで、
その妖艶なにおいは、今でも鼻先に再現できる。
(母親は、今でも相変らずとんでもない人である。)
そういえば、サガリバナはどんな匂いなのだろうか。
写真で見る限り、清楚な香りがしそうなのだが。
しかし、見た目では花の香りはわからない。
それだけは、月下美人以来の長い年月で思い知った。
【追記】
スージーさんの快進撃がつづいている。
記事も、読書も、いずれも、といったところだ。
ぼくがこの10日間で読了したのは、以下の2冊。
福田恒存『伝統にたいする心構』新潮社、1960年
柴田勝二『村上春樹と夏目漱石』祥伝社、2011年
現在併行して読み進めている本が8冊あるが、
いずれも読了には至っていない。
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