12月になった。
というか、12月も3分の1が過ぎた。
今年は、ほんとうに記事を書かなかった。
とくに、3月以降は、ほとんど記事も進まず、
(9か月で8記事。ひと月に1記事もない。)
それでも、なんとか続けて、ここまできた。
続いている、と言えればの話なのだが。
おまけに、見返してみると、沖縄の話は、
半分にも達していないではないか・・・。
(すぐに見返せることだけは便利だな、
と、かなり自虐的に思ったりもする。)
ずっと書かないでいると、逆にこれまで、
よくぞこれだけ書いてきたなという気になる。
沖縄に行けないでいることと、その気持ちが、
どのように関わっているのかどうかはわからない。
で、今回も、沖縄とは(一見)関係のないことを書く。
今年の紅葉は、きれいではなかったと思う。
季節が行ったり来たりして、樹木も迷ったようだ。
とはいえ、それほど紅葉に気を配っていたわけでもない。
データを見返すまでもなく、紅葉を撮ったのは1回だけ。
それも、上の写真を撮った日、1日きりである。
紅葉を見るためにどこかに行ったのではなく、
関西文化の日に民博(民族学博物館)を訪れて、
万博記念公園を歩くあいだに撮ったのだった。
今年は、ほんとうに写真を撮っていない。
記事を書かなくなったので自然を撮らなくなったのか、
自然を撮らなくなったので記事も書かなかったのか、
それもまた、どちらでも言えるように思うのだけれど。
たしかなことは、空や樹木などをほとんど見なくなった。
外に出る機会が少なくなったからでは、たぶんない。
昨年に比べるならば、おそらく10倍以上は外出した。
自然を見ている時間がなくなって撮らなくなったとも、
言えないような気がする。建物もほとんど撮っていない。
それでも、太陽の塔は、何枚か撮った。好きなので。
とはいえ、この汚れ方は、どうにかならないものか。
赤くしたり青くしたり、政治利用で振り回す前に、
少しはきれいにしてあげてくれないかと思う。
この日、万博記念公園には博物館が開く頃に着いた。
太陽の塔は南の方角に向かって立っているので、
太陽は、左手のほうから昇ってきて、右側に沈む。
この時は、左肩に太陽を背負ったいなせな後ろ姿だった。
それでも、もう少しきれいにできないかと再度記す。
このまま黒く汚れて行ったのであれば、
背中の「黒い太陽」が見えなくなってしまうではないか。
維新がどれだけ大阪文化を踏みにじってきたか、
その象徴的なモニュメントにしたいというのなら、
このまま真っ黒にするのもアリかとは思うのだが。
12月11日(土)夜10:40から、万博の番組を見た。
https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/program/special/431121.html
「知られざる1970大阪万博」
「知られざる」と銘打っていたが、ほぼ全部知っていた。
知らなかったことは3つ。
京都精華大学名誉教授の上田篤さんが、
「初めて話す」と言って話した、丹下健三と西山卯三のこと、
開会式の前日に工事の犠牲者の慰霊祭が開かれていたこと、
原子爆弾の展示が直前に差し替えになっていたということ。
それでも十分に価値のある情報であり番組だったと思う。
赤坂憲雄さんを呼ぶなら、ぼくを呼ぶべきだろうと思ったが、
近視眼的なコメントに終始する「博覧会研究の第一人者」、
吉見俊哉さんのぐだぐだで、どうでもいい考察と比べて、
やはりこの人の文明史観はすごいと思わせられた。
あとは、NHKで「発見」されたという50時間に及ぶフィルムが、
有効に利用されることと、ナビゲーターとして登場した、
佐野史郎さんのご回復を祈るのみである。