「鹿男の木」は、なぜ裸木なのか?(「鹿男あをによし」の時空)

び ん

2008年03月23日 10:55

神無月(10月)の物語なのに、なぜ樹木が裸なのか?

変ではありませんか?


公式サイトによれば、撮影は12月にクランクインし、

そして、この3月にクランクアップをむかえた。

とりわけ、第10話末尾のモブ(群集)シーンは、

放送日(20日)直前の15日にロケがあった。

つまり、この期間はすっぽりと「冬」に収まります。

とりわけ、撮影スタート時は、完全に冬であった。


であれば、樹木はまだ(芽吹きの気配はあるとしても)

裸木であって、何の不思議もない。


しかし、物語内の現在時は、あくまでも10月なのです。


このことをどう考えればよいのか、

あるいは、考えなくてもよいのか。

しばし考えてきました(結局そうなりますね・笑)


で、ぼくはこのことには意味があったと思います。

現在は、そのように結論づけている。

それは、この物語が、「時空間を超えた」物語だからです。


・・・これだけでは説明になりませんね。

それを、これから説明していこうと思うのです。


ただ、いまはちょっとその準備が整いません。

であれば、黙っているのが順当なのでしょうが、

ただ、このことだけは言っておきたいのです。


つまり、「鹿男あをによし」の制作者たちが、

秋の物語を冬のロケで撮影するからといって、

たとえばCGで裸木に秋の装いをする・・・

そのような挙、あるいは選択に出なかったことが、

この物語(ドラマ)にとってほんとうによかった、

そういういうことです。


もし、CGならずとも、セットの樹木を用意したり、

あるいは裸木を模造品で飾り立てたとしたならば、

「鹿男」は大幅にそのストーリーの奥行きを欠いた、

言葉通り陳腐なドラマに堕していたのではないか、

ぼくは、そのように考えるのです。


それはなにも「鹿男の木」ひとつに限ったことではなく、

「鹿男の木」の扱いに代表されるドラマの「構え」、

つまり、ストーリーであるとか演出だとか、

あるいはBGMやロケ現場の選択など、

幅広い部分にかかわって言えることだとは思います。


ただ、やはりその象徴として「鹿男の木」があった。


考えてみてください。

10月に、この木が本来どのような状態なのか。


おそらく、春に芽吹き、夏を越えた葉たちが、

いくぶん疲れつつ、まだ青々と茂っているはずです。

そして迫り来る秋の気配の中に、あるものは色づき始め、

またあるものは、早々と冬じたくを始める。

そろそろ実だって大きくなっている。

そんな頃ではないでしょうか。


10月なのに、葉のない木。


この木を、その姿のままで用いたとき。

あるいは用いようと制作側が決めたとき、

ぼくは、ドラマ「鹿男」の飛翔が約束されたと思います。



そのことを、これからいくつかの方法で、

つまり、いくつかの側面から考えてみたいと思うのです。



・・・予告編のような文章になってしまいました。

いえ、まるきりの予告編ですね。


しかし、ぼくの「鹿男あをによし論」は、

あるいは、ここから始まるのではないか・・・

そんな気がしています。




(撮影:chief 「鹿男の木」 ウルトラマン変身ポーズを決めた

つもりになっているおじさんは、とりあえず無視してください。)

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