浜に降りて、貝を拾う。 ・・・ 6月の風は南西へと吹いている(7)

び ん

2019年06月18日 03:33

昨年、6月23日に平和祈念公園を訪れ、

そのあと南城市志堅原や中山の浜に降りて、

同行者(貝博士)の貝類採集につきあった。

彼は今将来の進路を定めているところで、

もうしばらく沖縄に来ることはできないので、

彼の代わりに今回もできれば浜に行ってみる。

(今回の同行者にも、その同意を得たところだ。)





いくら同じ季節とはいっても、1年後なので、

海流の変化も環境の遷移もあっただろうし、

去年と同じ場所に、同じように貝殻があるのか、

それはわからない(と、貝博士からも伝えられている。)


本人がいたならば、自分の目で探すだろうし、

もっと別の場所に移動することもあるだろう。

しかし、ぼくは去年のこの場所しか知らない。

1年前には、こんなに貝殻の落ちている浜が、

まだあったのかと、ほんとうにびっくりした。


そもそも貝殻は「ユイムン(寄り物)」なので、

いただいて帰ってもよいものなのではあるが、

誰かが独占的に専有してよいものではない。

(と、何人かの沖縄の人や、物の本に教わった。)


だから(本人もそう言っているので)慎重に、いただく。

何から何までを問答無用にさらっていくのであれば、

今、辺野古でおこなわれていることと同じだと思う。


大阪に帰ってからも、この1年、貝の話題は出るので、

(先週もいただいて帰ったホタテ貝の貝殻を渡して、

ランチのあいだ、しばらく貝と沖縄の話に花が咲いた。)

どれを選べばいいのかは、ぼくもある程度は学んだ。


もっと詳しい方ならば、当然もっとご存じなのだろう。

そういう地元の方に先導していただくというのは、

いつかやったほうがいいと本人にも伝えてある。

まだまだ外来者の知らないことは多いし(何につけても)、

特に、絶対にしてはいけないことを教えていただける。

やはり、それは、ほんとうに大事なことなのだと思う。





ぼくも、これまで何十回となく沖縄各地の浜辺に出て、

海や海の向こうを見ることをしてきたつもりだったのだが、

貝を主体に見たことがなかったので、実に新鮮だった。


6月23日は、もちろん海には入ることはないので、

よけいに、浜に降りるという発想はなかったが、

「貝を拾う」という作業をしている最中に、ふと、

「骨を拾う」という行為を思い浮かべる時がある。


それが正しいことかどうかは、わからないのだが、

敬虔な気持ちにさせられる作業なのだと知った。


多少は不燃ゴミやテグスなどを拾うこともできるし、

貝はほっておけばそのまま砕かれてしまうので、

(もちろん、それが自然の摂理というものだが)

そのサイクルの中から、ほんの少し形をいただく、

それは許してもらえる範囲のことだと思っている。

(貝博士が、これから浜や海全体の保全について、

学んでゆく機会を提供できるのであれば、なおさら。)

それでもやめたほうがいいと言われれば、

あるいは、自重すべき場所や日時があれば、

いつでもあらためる心づもりはしているつもりなのだ。



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