浜に降りて、貝を拾う。 ・・・ 6月の風は南西へと吹いている(7)
昨年、6月23日に平和祈念公園を訪れ、
そのあと南城市志堅原や中山の浜に降りて、
同行者(
貝博士)の貝類採集につきあった。
彼は今将来の進路を定めているところで、
もうしばらく沖縄に来ることはできないので、
彼の代わりに今回もできれば浜に行ってみる。
(今回の同行者にも、その同意を得たところだ。)
いくら同じ季節とはいっても、1年後なので、
海流の変化も環境の遷移もあっただろうし、
去年と同じ場所に、同じように貝殻があるのか、
それはわからない(と、貝博士からも伝えられている。)
本人がいたならば、自分の目で探すだろうし、
もっと別の場所に移動することもあるだろう。
しかし、ぼくは去年のこの場所しか知らない。
1年前には、こんなに貝殻の落ちている浜が、
まだあったのかと、ほんとうにびっくりした。
そもそも貝殻は「ユイムン(寄り物)」なので、
いただいて帰ってもよいものなのではあるが、
誰かが独占的に専有してよいものではない。
(と、何人かの沖縄の人や、物の本に教わった。)
だから(本人もそう言っているので)慎重に、いただく。
何から何までを問答無用にさらっていくのであれば、
今、辺野古でおこなわれていることと同じだと思う。
大阪に帰ってからも、この1年、貝の話題は出るので、
(先週もいただいて帰ったホタテ貝の貝殻を渡して、
ランチのあいだ、しばらく貝と沖縄の話に花が咲いた。)
どれを選べばいいのかは、ぼくもある程度は学んだ。
もっと詳しい方ならば、当然もっとご存じなのだろう。
そういう地元の方に先導していただくというのは、
いつかやったほうがいいと本人にも伝えてある。
まだまだ外来者の知らないことは多いし(何につけても)、
特に、絶対にしてはいけないことを教えていただける。
やはり、それは、ほんとうに大事なことなのだと思う。
ぼくも、これまで何十回となく沖縄各地の浜辺に出て、
海や海の向こうを見ることをしてきたつもりだったのだが、
貝を主体に見たことがなかったので、実に新鮮だった。
6月23日は、もちろん海には入ることはないので、
よけいに、浜に降りるという発想はなかったが、
「貝を拾う」という作業をしている最中に、ふと、
「骨を拾う」という行為を思い浮かべる時がある。
それが正しいことかどうかは、わからないのだが、
敬虔な気持ちにさせられる作業なのだと知った。
多少は不燃ゴミやテグスなどを拾うこともできるし、
貝はほっておけばそのまま砕かれてしまうので、
(もちろん、それが自然の摂理というものだが)
そのサイクルの中から、ほんの少し形をいただく、
それは許してもらえる範囲のことだと思っている。
(貝博士が、これから浜や海全体の保全について、
学んでゆく機会を提供できるのであれば、なおさら。)
それでもやめたほうがいいと言われれば、
あるいは、自重すべき場所や日時があれば、
いつでもあらためる心づもりはしているつもりなのだ。
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