「沖縄県殉職医療人之碑」のことを8月28日に考えた。

び ん

2015年08月29日 00:02

ひめゆりの塔の近くにひっそり建っている、

「沖縄県殉職医療人之碑」。





医療関係者の寄付によって、

この場所に建てられたのだという。

(参照:チャレンジド沖縄「沖縄の慰霊碑・塔」

完成したのは1951年10月28日。


ちなみに、建立費用は5万円余りという。

たとえば昭和25年の消費者物価指数は、

平成19年の約8分の1であった。

(参照:リサーチ・ナビ 国立国会図書館

平成19年と27年の消費者物価は、

ほぼ同じと見ていいから、単純計算で、

40万円以上の寄付が集まったことになる。


いくら医療関係者とはいえ敗戦後6年目のこと。

それだけの「思い」を持つ人々がおり、

その「思い」が結集したことが伝わってくる。


ただ、ぼくには、どうしても、

ワシントン記念塔に見えてしまう。


1848年に着工し、完成したのが1884年。

36年もの年月を費やしてつくられた塔である。

(一般公開までは、さらに4年を費やしたのだそうだ。)


偶然の一致、というより一致にもならないのだろうけれど。


1951年。

9月にサンフランシスコ講和会議で平和条約が調印され、

続けて、日米安保条約が締結された。

翌年、4月28日の平和条約発効は皆知っていることだが、

その2か月前(2月28日)に、日米地位協定が締結された。


8月28日に、10月と4月と2月、3つの「28日」のことを考えた。



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