いくつもの6月23日 (2005年) (沖縄想定紀行1906-4)

び ん

2019年06月23日 00:03

いま、すぐ呼び出せる6月23日の写真のなかで、

とりあえず、いちばん古いものが2005年のもの。

使っていたのは富士フイルムのFinepix F700

2003年9月の発売すぐに買って気に入り、

2台続けて同じ機種を買って3年ほど使った。

(それでも3年かと思う。使い方が半端なかった。)






2005年6月23日、摩文仁(平和祈念公園)。

あれから、今年でもう、14年が過ぎたことになる。

この子たちは、いまどんな若者になっているだろうか。


あの頃は、6月23日の平和祈念公園は、

今よりも、もっとのんびりしていたと思う。

少なくとも、今はこんなにたくさんの小さな子供は、

いないように思う。(連れて行く日ではなくなった?)


首相が意味のない話をしにやってくるようになって、

警備も厳重になったし、空気もずいぶん殺伐としてきた。

それは、第2次安倍政権7年の間に沖縄の置かれた状況が、

しだいに(時に一気に)変容してきた時代の空気の変遷と、

軌を一にしているだろうし、非常に残念なことでもある。


中学生を中心に、学校単位の子供たちはいるのだが、

そしてそれは、6月23日の祈念公園の風景として、

ぼくなどには、やはり、「救い」に見えるのだが、

それでも、10年以上前の、この日の風景のように、

小さな子供たちを連れて行こうと思うことのできる、

そんな6月23日の平和祈念公園であってほしい。


もう何人か孫がいてもおかしくないトシなのだが、

幸か不幸か孫が出現する気配はまったくなく、

どこかで小さな子供を借りて行くあてもない。


なので今年も、助さん角さんに助けられる、

黄門さまよろしく(助さん角さんにも子供の気配なく)、

よろよろと平和祈念公園に出かけていくのであろう。


ま、いざとなったら印籠は出しますよ、

インローのあたりにコントロールして。

って、ありがちなオヤジギャグですが(汗)。


ここ数年は炎天下続きだった祈念公園も、

今年は、雨模様なのだろうかと思いつつ・・・。



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