木曜日の夜10時~11時、ちょっと手持ち無沙汰ですね(苦笑)
ちょっと気になっているのは、『鹿男』のことをまだまだ書くと言っておいて、
書かないうちに終わってしまうこと。もちろん、シーサーのこともまだまだ書きたいのですが^^
沖縄にかんしては、今年、本を書きます。で、来年3月までには出します。これは必ず。
もうずっと前からあった計画に、なんとかゴーサインが出ましたので。
他にも、いくつも待っていただいている原稿の予定があり、とても倒れてなんかいられません。
4年ぶりに倒れそうな危惧があると書きましたけれど、この4年間、じつはずっと危惧はあったわけで。
むしろ、4年ぶりにやってきたこの感覚を梃子(てこ)に、ここから抜け出さないといけないなというのが実感なのです。
うまく書けないのですが。それは、書くことができないというよりは、やはり書きたくないんでしょうね。
『鹿男』についても、活字にしようと思います。できれば本に。
それは、『鹿男』ブームが続いてくれていれば、の話なんですが。
続いていなければ、こちらで勝手に仕掛けようかなと思います。ブームを。
それがどんなかたちになるかは、まだわからないのですが・・・。
【追記】
ZODさんによれば、『鴨川ホルモー』来年
松竹で映画化とのこと。
よっしゃ。アタックチャーンス!!(笑)・・・ZODさん、情報サンクス!
どちらも、かたちになった時点で、Tバック飛ばします。得意の(笑)
コメントはもうすぐ10000なんですが、トラックバックも1250が目前。
どちらも、ブログを続けてくるうえで、ほんとうにありがたかったと思っています。
先日、『鴨川ホルモー』(産業編集センター、2007年)を買いました。
『鹿男あをによし』の著者・万城目 学(まきめ・まなぶ)のデビュー作。
書店の書架には、(レンタルビデオ屋のように)ケースだけが置いてあり、
それをカウンターに持って行って買うという、ちょっとめずらしい買い方をしたのですが。
アルバイトと思われる若い女性は、そのケースを持って奥にある引き出しを開け、
そこから『鴨川ホルモー』を取り出して袋に入れ、それをぼくにわたしてくれた。
・・・はずだったのですが、ぼくが本屋のベンチにすわってさっそく袋を開いてみると、
出てきたのは、『ホルモー六景』だった。つまり、『鴨川ホルモー』の続編ですね。
『ホルモー六景』は、すでにもう買って持っていたのです。
そこですぐにカウンターに行き、『鴨川ホルモー』に替えてもらったわけで。
カウンターでわたされた本が、目当ての本とちがっていたということも、
一度買った本を、その直後に交換してもらったことも、たぶん初めてのこと。
(『ホルモー六景』のほうがじつは本体価格で100円高いのだけれど^^)
というわけで、『鴨川ホルモー』購入に関しては、初物尽くしだったのです。
ただし、この文章で言いたいのは、そのことではない。もっとべつのこと。
そんなふうに、本屋のベンチにすわったのも、カウンターに引き返せたのも、
この人と待ち合わせをしていたからであり、つまり彼のおかげで、ということになる。
というより、そもそも探していた『鴨川ホルモー』を、「ここにありますよ」と教えてくれたのが彼でした。
交換してもらった『鴨川ホルモー』を持って、ふたたびベンチにすわりました。
そして、最初に「あとがき」を読み始めたのでした。それはいつものクセなのですが。
その瞬間、「あとがき」の第1行目で、固まったわけです。
大げさな言い方をすれば、背骨に電気が走ったのでした。
そこには、このような一文が記されていましたから。
先日、京都市左京区にある吉田神社の境内で、私は鬼に会った。
今年の2月2日、ぼくは吉田神社にいました。
それは、
このブログでも報告したとおりです。
その日、とある研究会があって、ちょうど京都に行ったのです。
たまたま会場は、『ホルモー六景』に収まる6つの話の中の、
ひとつの話の舞台となる大学。これは、あとから知ったのですが。
2月2日といえば、「鹿男あをによし」が第3話まで進んでいた頃ですね。
だから、研究会のあとに
伏見稲荷の節分祭に行きたかったのですが、距離を考えると到底間に合わない。
そこで、もっと近い神社の節分祭に行こうと決めていたのでした。
ところが前後2つある研究発表の2つ目が、なかなか終わらない。
ぼくがもっと若ければ、しびれを切らして中座していたかもしれないのですが、
ぼくももう、波風立てぬほうが得策だと考える、いいトシのおっさんで。
そこで、前段と比べ、まったくおもしろくない話を、じっと黙って聞いていたのですね。
すると、その間に、行こうと思っていた神社の節分祭の催しは終わってしまったのです。
で、どうしようかなぁと、少し途方にくれていたとき、
その研究会を主催する「先生」かつ大先輩が一言、
「吉田神社に行きましょう」と言い出したのです。
「鹿男」の作者である万城目さんは京大に受かるために二浪したのですが、
彼のように根性のないぼくは、その大学の大学院を一度落ちただけで、
関西がイヤになって東京に飛び出してしまったのでした。
だから、京大のお隣(これは『鴨川ホルモー』を読むとよくわかります)と言うべき、
吉田神社には近づいたこともなかったのです。
それどころか、そこが3日間で100万人も集める京都最大の節分祭の舞台だということさえ、
その日まで、まったく知らなかったのでした。
『鴨川ホルモー』は、傑作です。不覚にも涙が出るほどの、少なくとも快作。
そして、そのスピンオフ(スピンアウト)である『ホルモー六景』を読むと、
さらにその「ホルモー空間」の奥行きは深まり、涙が止まらなくなる。
しかし、『鹿男あをによし』は、駄作とは言わないまでも凡作です。残念ながら。
ただ単に、漱石の『坊ちゃん』のよく出来たパスティーシュ(形態模写)であるに過ぎない。
とりわけ、ドラマを見たあとで原作を読むと、まったく幻滅します。
つまり、ドラマの脚本は、原作にくらべて数倍、出来がよい。
もちろんこれは、ひとりのおっさんの感想に過ぎないのですが。
ドラマの創造性とスケールの大きさは、原作をはるかに凌駕(りょうが)している。
いや。単にはるかに、というよりは、綾瀬はるかに凌駕していると言ったほうがよい。
(どこまでマキメなんだか・・・じゃなくて、マジメなんだか・・・)
ともあれそんなわけで、京都を主な舞台とした『鴨川ホルモー』と『ホルモー六景』の間を、
限りなく往復運動するのが、今、万城目学を読む、最大の楽しみ方だとぼくは思うのです。
おそらくは、京都・奈良と来て、今頃マキメ氏は、大阪を舞台にナニヤラ書いているのではないでしょうか?
ただし、彼は出身地である大阪を、必ずしも愛しているとは思えないフシがある。
小説3つとエッセイ1冊で、そう断言するのは軽率に決まっているのですが、
たぶんそれは正解。『鹿男』での大阪の描き方ひとつとっても、そうですよね。
むしろ彼は、現在居住中の東京のほうが気に入っているようなのです。もちろんそれは個人の自由ですが。
でも、彼は、大阪を書かずにはいられないでしょうね。
大阪が、京都・奈良と「三角形」をつくっている以上。
それを、彼が彼の方法で「発見」してしまった以上。
そう。彼はじつにじつに「三角」好きなのです。
それもまた、小説3つから読み取ったぼくの勝手な推測に過ぎないのではありますが。
【追記】
kumuさんのコメントで、万城目さんの最新作(
『別冊文藝春秋』に連載中)が、「プリンセス・トヨトミ」であることを知りました。
万城目さんが予備校生のとき手帳にメモしていたという、「いつか小説にしてみたいリスト」(『ザ・万歩計』p.52参照)の中の、
「『中国大返し』の決断に至るまでの、羽柴秀吉の心象風景」がこれかな?という気もするのですが・・・
なんせまだ読んでいないので。読んでみようと思います。kumuさん、ありがとう!
【再追記】
マキメさんのエッセー集『ザ・万歩計』の88ページに、
「近頃、大阪を舞台にした小説の構想を、少しずつ練っている。」
と、ちゃんと書いてありましたね。
どんだけ飛ばし読みしてるか、わかってしまおうというもの(汗)
というか、この記事、追記と付記でえらいことになってきました(ナイアガラ)
さてさて、4月3日(シーサーの日)が終わってしまいますね。
どうも、今日中に、終着駅には着きそうもない。
仕方ないですね。長い長い(距離も車輛も)電車にブレーキをかけて、
いきなり停まってくれるものではないようです。
そこで、この記事を「前編」ということにします。
「後編」は、日をまたいで、たぶん明日。
【付記】
じつは、4月4日の0時01分に、日付をさかのぼって4月3日に投稿しました。
過去へ投稿すること、これをぼくらの専門用語で「
スージー飛ばし」と呼びます。
じつにキマジメな彼は、あとから書いた記事でも、書いた内容に合わせて毎回「過去」へ向けて投稿していましたから。
「そんなことしたら、サムネイルが表示されないから訪問者少なくなるよ」と言っても聞かずに^^;
じつは、ぼくはまだその「スージー飛ばし」をしたことがなく、一度やってみたかったのですね(^-^ゞ
ま、今回は、わずか2分ではありますが・・・
あー、ちょっとすっきりした(笑)