To the Rebirth Journey

び ん

2021年01月10日 00:01

「三が日は何ごともなく過ごし」と書いたのだが、

結果的に「何事も」なかったわけではなかった。


年末から微熱が出たのだが、微熱のままだったので、

正月は4日を過ごして、5日に前の記事を更新した。


更新したとはいっても、すでにあった下書きに、

「あけまして」の部分を少しばかり書き足して、

新しい記事として更新したのであったが、

じつはすでに3日の夜から寝込んでいた。

(のが、今日でまるまる1週間になってしまった。)


まだ今年になって更新していなかったこともあり、

(活動停止の話で終わっていたのも多少気になり)

5日から始まる予定だった仕事への景気づけもあり、

とはいえ新しく記事を書く元気も余裕もなかったので、

下書きを探して、なんとなく形をつけて投稿をした。

(昨年は、記事の倍ほどの下書きを書いた。

と書いて数えてみたら、2倍よりも多かった。)


それで、ここからもじつは下書きの記事を

抜き出し、利用して書いているのだが、

年末から肩や歯や膝などあちこちに、

次々に痛みが出たのは以前書いた。

できるだけ0時頃には寝るようにして、

睡眠時間と栄養には注意をしながら、

過ごしていたつもりだったのだが、

眠ると1~2時間で目覚めてしまう。


肩の痛みが相当ひどいので、年末には、

通販でよくCMをしている布団を注文した。

1月8日到着のところ年末には着いたので、

(どんだけ早いと思ったが、逆よりずっといい)

布団の周囲に積み上げた本と資料の山々を、

片づけてから敷こうと思っていたのだが、

結局片づけられないまま寝込んだ。

ただし、布団と一緒に付いてきた、

枕と毛布は、とても気持ちがよい。


そんなふうに、新しい枕と毛布で、

年末年始を過ごしていたのだが、

微熱が続いて嫌だなと思っていた。


年が明けて気が抜けたからだろうか、

2日の午後にリビングでうたた寝をした。

12月に入って何度もうたた寝をしたが、

薄着や運動のおかげか風邪は引かず、

ちょっと油断をしていたのかもしれない。


その夜から頭痛が出て早く寝た。

3日になって、さらに寒気が加わった。

年末に書いていた下書きを掘り出し、

4日に少しばかり加筆して5日に更新し、

新年はじめての記事を掲載したのだが、

その頃には、かなり本格的な風邪症状で、

結局、そのあと9日まで寝込んでしまった。

もちろん体温は頻繁に計測して過ごした。

脇下温は以前から5度9分なのだが、

非接触型で測るといつも6度5分。

今年はじめて非接触型を購入して、

どちらが平熱なのかわからなくなった。


それが7度まで上がってきたために、

頭の中でちょっと警戒音が鳴ったが、

その後はそれ以上あがらずに済んだ。

咳も出ず、幸い味覚や嗅覚も正常だ。

(油断は禁物だが、大丈夫だと思う。

ただ、実際に感染した人のことを考えると、

しんいだろうなと思ってしんどくなった。)


それでも風邪なのは間違いないので、

3日から9日まで、自己隔離を続けた。

6日には、外出できるかの確認を兼ねて、

薬局に行ったのだが、ふらついて帰った。

8日には、近くのコンビニまで行ったが、

あまりに寒すぎて、ふるえながら帰った。


というわけで、1月9日の予約があっても、

ほんとうに出発できたかどうか微妙だった。

(それでもコロナ禍でなければ往復して、

元気になれたようになんとなく思うのだ。

今は、「行けさえすればいい」というのは、

年末年始にコロナを運び込んだ人と同じで、

あまりに無責任という判断軸が加わるので、

よけいに懊悩したのに違いないのだけれど、

そもそも今回のキャンセルはコロナ由来で、

この仮定は、まったく意味をなさないわけで。)

結局、9日になったら左腰に痛みが出て、

それに続けて右の耳の奥がとても痛くなった。

ほんとうにありがたいのは、痛みというのは、

一番強いところだけがそこだけ痛むということ。

おかげで肩の痛みはほとんど感じなくて済んだし、

頭痛や歯痛も、ここ3日ほどは痛まない。

(まあ、歯医者は早く行った方がいい。)


と、ここまでは少し起き上がれる時間帯に、

少しずつ書き足していた下書きであった。

今日9日で、もう丸々1週間になるので、

仕事では、かなり周囲に迷惑をかけていて、

来週は予定が詰まり、さすがにあせっている。


そういえば昨日、火にかけた鍋に入れた、

杓子の取っ手の先が火で焼けていたのを、

知っていながら握ってしまいやけどをした。

なんで知っていながら握るかなぁと思うが、

それを制御できないくらいぼんやりしていた。

冷たい水道水で30分ほど冷やしたためか、

最初から思ったほど重症ではなかったからか、

皮は一度めくれただけで化膿はしなかったが、

それでも痛いし、夜からまた歯痛が戻ってきた。

(なぜ連休が始まると痛みが戻るのだろう?)

おまけに、朝からは腰の痛みのせいで、

まともに歩けない状態になった。

それで、数日やめていた鎮痛剤をのみ、

もう6日間も寝込んでいたというのに、

いやになるほど、また長時間眠った。


今回は総勢2名の予定だったので、

どれだけ経済的にプラスになれたか、

それはほとんど微々たるものであるし、

それこそ「気持ち」の問題なのだろうが、

そういう「ひとつ」ずつがたくさん減って、

お商売は大変だなと切実に感じている。


書いているこちらもさすがにしんどくなってきた。

読んでいる方は、どれだけしんどく思っているでしょう。

ここらへんで、ちょっと話題を変えましょうね。







(2011.11.26 南城市玉城)


「再生の旅」などといえば自分でもごたいそうなのだけれど、

10年たって、そんなふうに思い返している2011年の旅。

琉球開闢の地といわれている玉城の百名には、

夜明け前に着いて、1時間ほど滞在した。


かなり肌寒い気候であったと記憶しているし、

天気は写真のとおり今ひとつであったけれど、

それでも、ここ(百名ビーチ)で撮った写真が、

この旅で撮った写真の中で最多を占めている。


たぶんいつもなら撮らないような写真、

たとえば低い低いアングルからの写真が、

たくさん入っていて自分でも意外なのだが、

地を這うような時期だったのだから当然か。

それでもこの日には、百名ビーチのあと、

南城の半島芸術祭(店はまだ開いていない)

をぐるりと回って、那覇へ戻って孔子廟を参り、

(前日は空港から旧県立図書館へ直行したので、

恒例の「ウガンから始める」ができていなかったし、

移民のことを調べていたこともあったのだろう。)

午後は公文書館に行って閉館まで過ごした。

(ただし実際に資料に目を通している時間は、

通常よりもずっと短かったという印象がある。

10年前は移民について調べていたのだし、

同行者は琉球競馬について調べていた。

お互い、そろそろまとめてもいい時期だ。)


右耳の痛みがおさまって、痛みがまた腰に来た。

腰の痛みはヘルニアからだとわかっているので、

得体のしれない(頭に近い)痛みよりは気持ちが楽。

それでも10日、11日の2日間で体勢を立て直して、

仕事に戻らなければならない。なんとかがんばろう。

皆さん、がんばりましょう(がんばれる体勢の人は)。

そうじゃない人は、無理をしないほうがいいです。

(「無理をしない」ことが無理ではない範囲で。)


・・・と書いてきて、上半分いらなかったなと思う。

しかし今から削除すると微調整が必要だろう。

(後ろを切るのは「尻切れトンボ」と言うけれど、

前のほうを切るのは何と呼べばいいんだろう?)

昔はトンボの尻(腹)を切って飛ばすような、

残酷な(という評価は近年になってのものか?)

子供もいたようだが、今はさすがにいないのだろう。

頭を切ったら、さすがに昆虫でも生きていられないし、

獄門という処刑方法が長い間続いていたから、

「頭切れ」では、シャレにならないのかもしれない。

というか、そもそも「中途半端な終わり方」の喩えが、

「尻切れトンボ」なので、文章作法における、

「中途半端な始まり方」は「切れ」にはなるまい。


とまあ、いつものようによけいなことばかり考える、

「いつものように」が戻ってきたようなので、

ひさしぶりに更新して、仕事しよう。

腰は、なんとかなる。(たぶん)



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