(付言)
家を撮ることは、人を撮ることに似ているかもしれない。
ふたつとない、たたずまいの魅力があって心をひかれる。
しかし、その「ふたつとな」さによって、撮影は攻撃にもなりうる。
そして問題は、その先にもあるだろう。こうやって掲載することの是非。
理想的なのは、人をとる場合にそうであるように、その家に住む人の許可を得ることだろう。
あるいは、その逆に、メモリーの中に収めたまま、公開しないこと。
そのいずれとも違う選択をしようとするとき、心に一抹の疚(やま)しさが残る。
このように記して免責されたとは思わないが、自問のままに記しておく。
その時その場に確かに在(あ)った自分を、いとおしみつつ。