辺野古にて(三)

び ん

2007年05月27日 00:07













(付言)
家を撮ることは、人を撮ることに似ているかもしれない。

ふたつとない、たたずまいの魅力があって心をひかれる。

しかし、その「ふたつとな」さによって、撮影は攻撃にもなりうる。

そして問題は、その先にもあるだろう。こうやって掲載することの是非。


理想的なのは、人をとる場合にそうであるように、その家に住む人の許可を得ることだろう。

あるいは、その逆に、メモリーの中に収めたまま、公開しないこと。

そのいずれとも違う選択をしようとするとき、心に一抹の疚(やま)しさが残る。

このように記して免責されたとは思わないが、自問のままに記しておく。

その時その場に確かに在(あ)った自分を、いとおしみつつ。

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