2022年05月15日

混雑、それとも閑散?

GWの報道では、繰り返し国際通りが映し出されました。

「ほかの場所はどうなの?」とも思いましたが、

とりあえず定点観測の地点としては便利ですし、

「観光客の動向」を広く共有できる場所として、

「では、ほかにはどこ?」ということになりますしね。


忘れもしない「2375」ショックは5月7日でしたが、

確かにそれ以前から沖縄県の感染状況は深刻で、

報道の論調には2つの方向があったように思います。

「このコロナ禍にもかかわらず」、混雑しているというものと、

「このコロナ禍だけに」、さすがに閑散としているというもの。

表現は異なりますが、つまり言いたいことの方向は同じ。

極端な場合、同じ日の報道の中にも両者がありました。

(いちばんよく知っているのは「そこにいる人」なわけで・・・)


GWの終盤から1週間が過ぎ、あくまでも個人の視点からですが、

空港も国際通りも首里城公園も、予想以上に閑散としていました。

GW以降、連日の「県内の感染者2000人越え」が続いていて、

観光地として避けられる傾向が強くなったことはあるでしょう。

じっさい、4月下旬の段階では(何度も開いて確認しました)、

ほぼ満席になっていた大阪から那覇へのフライトの座席が、

すでに書いたとおり40パーセント程度まで落ち込んでいましたから。


到着時に立ち上がって見たところ、もっと少なかったかもしれません。

「それでも来る(行く)」という人の中には、中高年が多かったようで。

(この時期の例年の傾向がわからないので比較はできないのですが)

「5.15」への思い入れが反映しているのだろうか、とは思いました。

そしてコロナワクチンの3回目接種を済ませて来た人たちでしょう。


「君子危うきに近寄らす」という中国由来のことわざがありますが、

(だれが「君子」なのか、ということは、とりあえず置いておいて)

そのいっぽうに、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とも言います。

「虎穴」とはいえ、そこに住む人は当たり前の日常を過ごしており、

(もちろん、コロナ禍のもとでの「当たり前」ということなのですが)

今回、あまりに沖縄が特殊事例ということでしきりに取り上げられる、

その取り上げ方が、あまりに不躾ではないかという思いもありました。


全国平均の5倍もの感性者数(直近1週間の、10万人当たり)という、

否定できない状況の要因として、「観光客が持ち込んだ」ということは

(もちろんそれは検証できないことですが)おそらくあるでしょう。

その轍(てつ)は、絶対に踏むことはできないと思ってきました。

そうでなければ困るのですが、幸い、そうであったとしても、

「持ち込んだ」人を非難することは、別の意味の差別です。

わたし自身は「持ち込まれた側の人」ではないわけですし。

ただし、逆に今度は「持ち帰る」ということを考えた場合、

「持ち帰った人」のことは、ここではしばらく横において、

(もちろんそれで免責できるわけではありませんが)

「持ち込まれた側」が、「持ち込ませた側」を、

はたして非難することが妥当なのかどうか。

おそらく、妥当ではないですね。

「持ち込ませよう」という犯意が存在し、

それにもとづく実際的な行為がない限り。

ただ、選択の余地があるのにもかかわらず、

不用意に「持ち運ぶ」ことにおける「罪」は、

(それがなければ被害を受けなかった人が、

確実に存在する以上。これも実証できませんが)

まちがいなく、存在するのでしょう・・・。


コロナ禍がはじまって、かれこれ2年半、

コロナウイルスそのものについてというよりも、

そのことで生じる人と人とのかかわりについて、

いろいろ考えてきたつもりだったのですが、

まだまだ考えていなかったことは多く・・・

そのことに気付かせてもらえただけでも、

今回のことは、ほんとうに貴重な「虎児」です。

もちろん「貴重な体験」で終わらせるつもりはないですし、

終わらせることがなければよい、と思っているのです。



混雑、それとも閑散?
那覇空港 10:50


混雑、それとも閑散?
国際通り 15:30


混雑、それとも閑散?
守礼門(背後から)17:40


混雑、それとも閑散?
再び国際通り 18:30 いずれも2022年5月14日



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