2022年04月05日

復帰50年の沖縄へ、できれば5月15日に。

4月になりました。

・・・と、なかなか明るく言えない世界の状況ですが、

とにかく、新しい年度がスタートしました。


4月3日(シーサーの日)も過ぎ、

4月4日(シーシの日)も過ぎて、

4月5日になってしまいましたが。

つまり、あと1か月と10日で、

「復帰」から50年の5月15日。


(注)「沖縄・八重山探偵団」は、

「シーサー」の語源は「獅子(シーヅ)」ではなく、

「石獅(シーシ)」であると、主張しています。

なので、「4月4日」は「シーシの日」ということで。


昨年(2021年度)には、5月20日をめざして、

市制100周年の那覇に、なんとか行こうと思いつつ、

第3回非常事態宣言下、どうしても行けなかったわけですが、

その「思い」だけは、ひとつの記事にまとめることができました。

5月20日から1か月半も過ぎた7月8日(那覇の日)でしたが。


那覇市100年に捧げる。(那覇の日に)」2021年7月8日


そして今年(2022年)、沖縄は「復帰」50周年を迎えます。

さまざまな催し物が予定されているのが報道されていて、

感染状況が収まればいいなと、ずっと思ってきました。


第6波は底をつき、しかしじわじわと拡大が始まっていて、

先が見通せないのですが、行ければと思っています。

「復帰」に対する、さまざまな思いは、あるのですが、

「復帰」の日は、もう25年ほど前から意識していて、

1997年、2002年、2007年と5年ごとの5月15日、

25周年、30周年、35周年には沖縄に足を運び、

5月15日の空気のなかに身を置くことができました。


その後、2012年の40周年には行くことができず、

(10年前ですね。時間の距離感がつかめませんが。)

2017年には、1か月遅れて6月に行けました。

(5年前は、手の届く距離にあるように思えます。

とりわけ、この2年余りが「ひとかたまり」だけに。)

そんなふうに、行けたり行けなかったりでしたが、

「50年目」には、どうにかして行きたいと思うのです。


「行ってどうなるの?」という声もわいてきますが、

それでもやはり、行くことでしかわからないことは、

あるのだということを、これまで経験してきました。

行ったら、それなりのことは持ち帰ったつもりで・・・、

なかなか、きちんとまとめることができないのですが。


ただ、今年は沖縄以外の用事が特にいそがしく、

(まあ、「本業」ですから、ありがたいことです。)

ここ2年、できなかった講演やシンポジウムが、

12月まで、ずっと埋まっているという状況です。

再開後にまっさきに声をかけてもらうこともあり、

それは、ほんとうにありがたいことだと思います。


なので、たぶん6月23日にも行けないでしょうし、

それから後も、どうなるかまったくわかりません。


復帰50周年の5月15日には、とか、

5月20日の那覇市制101年目の日に、とか、

日を決めてしまうと、行けなかった時にしんどいので。

それでも、日を決めることに意味もあるのですけれど。

今回も、「行けたらいいな」くらいに思っておきましょうね。


というわけで、2022年の5月15日が近づいています。

もちろん、それは「沖縄の」5月15日なのですが、

今、わたしたちは、おそらく世界のどこにいても、

ウクライナのことを、考えないわけにはいきません。


停戦交渉は4回目を迎えて1回目以来の対面で、

一時は大きな進展の期待がわきましたけれども、

なかなか、期待通りには進まないようですね。

5回目が開催されましたが停戦への動きは鈍く、

30日には核兵器を搭載したというロシア機が、

スウェーデン上空を領海侵犯したという報道。

心落ち着かぬなかで新しい年度が始まりました。

ウクライナ4400万人のうち400万人が国外へ、

しかし、それから多くの困難が待ち受けている。

そして、まだ4000万人という多くの人たちが、

戦火の続くウクライナ国内にとどまっている。

ああ、戦争というのはこういうことなのだと、

気づかなかった多くのことに気づかされつつ、

気づけば日々の忙しさに取りまぎれています。

そして、局地的にロシア軍の撤退がおこなわれ、

その者たちががおこなった非道のふるまいが、

白日のもとにさらされてゆき、思わず息をのむ。


おそらく、これから何十年にもわたって、

さらされ続けるふるまいというものが、

リアルタイムで、今日も、続いている。


そうであれば、50年でも、100年でも、

それらが検証され続ける必要がある。

そして、そのような非道なふるまいは、

今すぐにでも、まず止める必要がある。

と書くほど、現実は甘くありませんけれど、

それでもやはり、1日でも早くと願うことに、

意味があると信じたいと思うのです。


「復帰」以来の50年という年月に、

日本が沖縄に対してなしてきたこと、

それは虐殺や武力攻撃ではなかったが、

多くの「被害者」と「関係者」を生み出してきた。

その意味で、それらのことは検証される必要がある。

まがりなりにも、ぼく自身は、そのように考えています。


復帰50年の沖縄へ、できれば5月15日に。

(2007年5月15日 「復帰」35周年 首里)



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