2020年11月02日
「大阪都」構想の住民投票が終わって。
2020年11月1日は、忘れられない日になった。
NHKが反対票の多数確実を打ったのは10:43、
開票率86%の時だった。(民放はさらに進んでいた。)
出口調査では僅差ながら反対票が上回っていたが、
9時から始まった開票は、10時までに50%を超え、
その間、賛成票が次第に反対票を引き離していった。
開票率80%まで賛成票が約1万上回っていて、
正直、もうテレビを消して寝てしまおうと思った。
しかし、開票が終了した区ごとの結果発表では、
市内中央部から北部にかけての「都心部」に対し、
(つまり、都構想で市民サービスがよくなると思われた地域。
もちろんそれは予測であって、必ずしもそうなるとは限らず、
ただし、明らかに低下する周辺部とは違うイメージがあった。)
沿海部など、中心部を離れるにつれて反対票が増し、
その結果を見ていると、わずかに希望が持てる気がした。
その後、開票率が数%ずつ上がって行くたびに、
票差が約9000、約6000と近づいていき、
多数確実直前で約3000票まで接近していた。
なので、このまま抜き去ってくれと手に汗握ったが、
いまだに賛成票が数千票上回っている状況での、
「反対票多数確実」には、虚を突かれる思いだった。
(それでも、合格発表で自分の番号を見つけた気分だった。
賛成票が上回って大阪が嫌いになったらどうしようと思ったが、
幸い、それは杞憂に終わった。それほど思い詰める選挙だった。)
発表から1時間後の11:43現在、開票率は98%
賛成票667,283に対して反対票は678,813票。
最後まで残ると言われていた最大人口の平野区では、
すでに開票は終了し、生野区と東市住吉区だけ残っている。
いずれも周辺区であり、住吉区での反対票の多さを見れば、
まさか最後の最後に逆転されたりすることはないだろう。
11時からの会見では、「ご苦労さま」の松井市長が、
任期満了後の引退をあらためて表明したし。
(当時は知事だったが、2019年4月のクロス戦で市長に。
任期を半年残してのクロス(ダブル)選挙も無理筋だったが、
あと3年だったかもしれない任期が2年半になったと思えば、
結果的によかった。しかしすぐやめるんじゃなかったのか?)
それが「男の美学」だと思ったのかもしれないが、
へらへら笑いながらの記者会見を見せられて、
いったいどこまで本気だったのかと疑念が湧いたし、
あらためて賛成派が上回った時の怖ささえ感じた。
いっぽうのイソジン吉村知事は涙ぐんでいて、
悔しさがあるのだろうと思わせられたが、
「都構想は間違っていた」というフレーズは、
5年前のハシモト元市長のコメントそのままで、
つまりは「都構想」というのはハシモト氏個人が、
思い付きでひねり出した構想という確たる事実を、
ここでも、あらためて確認させられる思いであった。
(もっと言えば、10年前からの維新の都構想は、
20年前の大田房江元知事構想のパクリであり、
大田氏にはそれを実現化する力はまったくなくて、
ハシモト氏にはいくらか実現化の目があったので、
いつの間にかハシモト氏の独創のように思われた、
というのが「都構想」誕生の経緯。先の記事には、
ややこしくなるので、書かなかったのだけれども。
大阪維新も、どう思いこんだのか大田知事は無視し、
自分たちが思いついた構想のようにふるまってきた。
今日の反対派の記者会見の中、大田房江元知事が、
マイクの並んだ一列目の背後に、ひっそりと座り、
正面(カメラのある方向)をじっと見つめながら、
一言も発しなかった姿に「怨念」を感じたものだ。)

(2018年9月 今帰仁村の「崖っぷち」)
10月に入ってからの反対派の追い上げは見事なもので、
9月まで大差のついていた情勢をくつがえす勢いがあった。
しかし、どこかの国の「かくれトランプ派」ではないけれども、
なかなか一筋縄ではいかない「いやな気分」も残っていて、
正直、「あと1週間足りなかったか」と思っていたので、
「うれしさ」(と一言では言えないが)もひとしおだった。
そして、かなり疲れた。(投票権もないのに・苦笑)
ちょっとした興奮状態にあったので、最初のタイトルは、
「大阪市民は馬鹿じゃない!」というものであったが、
「じゃあ、賛成票を投じた市民は馬鹿だったのか?」と、
容易に突っ込まれる可能性を含んだタイトルでもあるので、
べつのタイトルに変更しておきましょうね。
本来は、そうあるべきだとは思うのだけれど、
だれもが選挙のたびごとに関連事項を勉強し、
そのうえで投票行動ができるとは思わないし、
そうでなければ投票権がないなどと言いだせば、
真っ向から民主主義を否定し破壊することになる。
実際、今回の住民投票においては、多くの大阪市民が、
さまざまな情報に接し、理解し、投票行動を行なった。
それが、この結果になって表われたことは間違いない。
松井市長は反対票を、「不安感」の一言でまとめたが、
それこそ、とんでもない自家撞着であり、無理解である。
彼は、これまでもずっと市民を「ナメた」ままであったし、
結局、最後まで市民を「ナメた」ままで終わるのだろう。
できれば残る2年半の任期のあいだ、後世に禍根を残す、
取り返しのつかない失政だけは避けてほしいと思うのみ。
「崖っぷち」の画像を見つけたので、それをUPし、
ひさしぶりに枕を高くして、もう寝よう・・・
次回の記事は首里城を書きます。
ここしばらく考えることが多かったので。
NHKが反対票の多数確実を打ったのは10:43、
開票率86%の時だった。(民放はさらに進んでいた。)
出口調査では僅差ながら反対票が上回っていたが、
9時から始まった開票は、10時までに50%を超え、
その間、賛成票が次第に反対票を引き離していった。
開票率80%まで賛成票が約1万上回っていて、
正直、もうテレビを消して寝てしまおうと思った。
しかし、開票が終了した区ごとの結果発表では、
市内中央部から北部にかけての「都心部」に対し、
(つまり、都構想で市民サービスがよくなると思われた地域。
もちろんそれは予測であって、必ずしもそうなるとは限らず、
ただし、明らかに低下する周辺部とは違うイメージがあった。)
沿海部など、中心部を離れるにつれて反対票が増し、
その結果を見ていると、わずかに希望が持てる気がした。
その後、開票率が数%ずつ上がって行くたびに、
票差が約9000、約6000と近づいていき、
多数確実直前で約3000票まで接近していた。
なので、このまま抜き去ってくれと手に汗握ったが、
いまだに賛成票が数千票上回っている状況での、
「反対票多数確実」には、虚を突かれる思いだった。
(それでも、合格発表で自分の番号を見つけた気分だった。
賛成票が上回って大阪が嫌いになったらどうしようと思ったが、
幸い、それは杞憂に終わった。それほど思い詰める選挙だった。)
発表から1時間後の11:43現在、開票率は98%
賛成票667,283に対して反対票は678,813票。
最後まで残ると言われていた最大人口の平野区では、
すでに開票は終了し、生野区と東市住吉区だけ残っている。
いずれも周辺区であり、住吉区での反対票の多さを見れば、
まさか最後の最後に逆転されたりすることはないだろう。
11時からの会見では、「ご苦労さま」の松井市長が、
任期満了後の引退をあらためて表明したし。
(当時は知事だったが、2019年4月のクロス戦で市長に。
任期を半年残してのクロス(ダブル)選挙も無理筋だったが、
あと3年だったかもしれない任期が2年半になったと思えば、
結果的によかった。しかしすぐやめるんじゃなかったのか?)
それが「男の美学」だと思ったのかもしれないが、
へらへら笑いながらの記者会見を見せられて、
いったいどこまで本気だったのかと疑念が湧いたし、
あらためて賛成派が上回った時の怖ささえ感じた。
いっぽうのイソジン吉村知事は涙ぐんでいて、
悔しさがあるのだろうと思わせられたが、
「都構想は間違っていた」というフレーズは、
5年前のハシモト元市長のコメントそのままで、
つまりは「都構想」というのはハシモト氏個人が、
思い付きでひねり出した構想という確たる事実を、
ここでも、あらためて確認させられる思いであった。
(もっと言えば、10年前からの維新の都構想は、
20年前の大田房江元知事構想のパクリであり、
大田氏にはそれを実現化する力はまったくなくて、
ハシモト氏にはいくらか実現化の目があったので、
いつの間にかハシモト氏の独創のように思われた、
というのが「都構想」誕生の経緯。先の記事には、
ややこしくなるので、書かなかったのだけれども。
大阪維新も、どう思いこんだのか大田知事は無視し、
自分たちが思いついた構想のようにふるまってきた。
今日の反対派の記者会見の中、大田房江元知事が、
マイクの並んだ一列目の背後に、ひっそりと座り、
正面(カメラのある方向)をじっと見つめながら、
一言も発しなかった姿に「怨念」を感じたものだ。)
(2018年9月 今帰仁村の「崖っぷち」)
10月に入ってからの反対派の追い上げは見事なもので、
9月まで大差のついていた情勢をくつがえす勢いがあった。
しかし、どこかの国の「かくれトランプ派」ではないけれども、
なかなか一筋縄ではいかない「いやな気分」も残っていて、
正直、「あと1週間足りなかったか」と思っていたので、
「うれしさ」(と一言では言えないが)もひとしおだった。
そして、かなり疲れた。(投票権もないのに・苦笑)
ちょっとした興奮状態にあったので、最初のタイトルは、
「大阪市民は馬鹿じゃない!」というものであったが、
「じゃあ、賛成票を投じた市民は馬鹿だったのか?」と、
容易に突っ込まれる可能性を含んだタイトルでもあるので、
べつのタイトルに変更しておきましょうね。
本来は、そうあるべきだとは思うのだけれど、
だれもが選挙のたびごとに関連事項を勉強し、
そのうえで投票行動ができるとは思わないし、
そうでなければ投票権がないなどと言いだせば、
真っ向から民主主義を否定し破壊することになる。
実際、今回の住民投票においては、多くの大阪市民が、
さまざまな情報に接し、理解し、投票行動を行なった。
それが、この結果になって表われたことは間違いない。
松井市長は反対票を、「不安感」の一言でまとめたが、
それこそ、とんでもない自家撞着であり、無理解である。
彼は、これまでもずっと市民を「ナメた」ままであったし、
結局、最後まで市民を「ナメた」ままで終わるのだろう。
できれば残る2年半の任期のあいだ、後世に禍根を残す、
取り返しのつかない失政だけは避けてほしいと思うのみ。
「崖っぷち」の画像を見つけたので、それをUPし、
ひさしぶりに枕を高くして、もう寝よう・・・
次回の記事は首里城を書きます。
ここしばらく考えることが多かったので。
この記事へのコメント
小生も、大和川の対岸から情勢を固唾を飲んで見守ってましたので、安堵の二文字です。
賛成多数の場合、その後の情勢次第では、我が町堺が巻き込まれる可能性もありました故・・・。
賛成多数の場合、その後の情勢次第では、我が町堺が巻き込まれる可能性もありました故・・・。
Posted by 青木 at 2020年11月02日 08:01
確かに。堺市も3つの特別区という中途半端な補完地域に成り果てるところでした。
歴史と文化に対する軽視がどれほど恐ろしい将来を招くのか、まのあたりにできただけでも勉強になったと思うのみです。
それにしても、10年間で都構想に費やした100億円と貴重なマンパワーと時間に対する反省を、何ひとつ語ることなく「終わりました」もないものだと呆れかえっています。
歴史と文化に対する軽視がどれほど恐ろしい将来を招くのか、まのあたりにできただけでも勉強になったと思うのみです。
それにしても、10年間で都構想に費やした100億円と貴重なマンパワーと時間に対する反省を、何ひとつ語ることなく「終わりました」もないものだと呆れかえっています。
Posted by び ん
at 2020年11月02日 22:39

お返事が遅くなる場合があります。あしからず。