3月13日に沖縄から帰り、
3月16日に書いた
記事(「斎場御嶽を荒らすのは誰だ!」)。
まだほとんど沖縄にいるような気分で
あつい余韻にひたりつつ書いた。
だから整理がついていないと言うつもりはない。
ただ、まだうまくまとまりがついていないことも事実なのだ。
5日後になっても、まだTBやコメントが届けられる。
ぼくの僅かな経験から言えば、これはめずらしい。
たいてい、その日と次の日くらいでコメントは止まる。
そして、あとから読んでくださった方が例外的にコメントをくださる。
一般的には、だいたい、そのようなかたちだ。
ところが、この記事は、そうではなかった。
5日たっても、まだコンスタントにTBやコメントが届けられるのだ。
それだけ、多くの人が持続的に関心を持っている問題なのだろう。
そしておそらく、しばらくの時間をおかないと語りにくかった問題でもあるのだろう。
試みに、記事別のアクセス数を見てみたら251。
100アクセスあれば多い方だという各記事の中で、突出している。
これまで「沖縄・八重山探偵団」で、記事別アクセス一覧の欄外に消えるまでで最も多いアクセスのあった記事では1100を超えたが、これは例外中の例外。
250というアクセス数が、この「事件」への静かでありながら強い関心を示している。
じっさいに、、てぃーだ内の他のブログでも真摯な意見が交換されている。
ぼくの知る限り、
あゆさんの「沖縄文学館」に集約されたリストが最も詳細。
よって、ここでは、そちらをご参照いただきたいと記して、責を塞いでおく。
前置きが長くなった。
ぼくは本心では、斎場御嶽にせよ、中グスクにせよ、久高島の拝所にせよ、長い長い祈りの場として伝えてきた人々の手に、一元的に在るべきだと思う。
逆に言えば、いくら世界遺産というシルシつきの観光名所となったところで、それは不特定多数の人の「持ち物」ではないと考える。
あえて強い言い方をすれば、たとえば中グスクが立ち入り禁止になることで聖地としての機能を保持できるのであれば、そうすべきであると思うのだ。
話が拡散するので、先ずは今回自分の目で見、話を聞いてきた中グスクに絞りたい。
中グスクの聖木伐採には、いくつかの要素が絡み合っている。
そもそも4000㎡にも及ぶ中グスクエリアの、どの木が聖木で、どれがそうでないかという問題はおいて、たしかに、世界遺産指定以後に多くの木々が伐採されてきた。
地権者による伐採があったという。管理母体による伐採があった。そして、それらには(納得できるかできないかは別として)それぞれの理由があった。
いま、その詳細を述べることは控えておくが、「聖なる場所を破壊しよう」と考えて樹木の伐採をおこなった者は皆無だということだけをここでは述べておきたい。
他者の心の中に踏み込んでいけない部分があるように、この世界には踏み込んではならない領分というものがある。
その、本来踏み込んではならない領分に、不特定多数の人間が踏み込まざるをえない状況を作り出したことこそが、問題の核心であると考える。
つまり、世界遺産指定というかたちで、より多くの人間を受け入れるシステムの中に中グスクをはじめとする聖域(すくなくとも聖域を含んだエリア)を組み込んだ時点で、それは行政的管理の権限の中に組み込まれることを認めたということなのだ。
管理責任者の論理からすれば、エリア内に危険因子を残しておくことは出来ない。
よって、ハブの住み着く可能性のある草叢や潅木は除去される。風で枝が落ちる可能性のある高木もまた除去される。そして、見学者に危険を及ぼす可能性のある石垣は補強されなけらばならない。
そのような大状況の中で、「聖域であること」を条件に、危険因子を保持することは、すでに不可能なのだ。
たとえば、識名園では(ここも、今回赴いて確認してきたのだが)、園内にあった拝所は、開園整備の一環として園外へと移動させられている。
具体的には3つの(日本式に言えば)祠が、入口横の事務棟の背後へと移転されているのだ。
事務所で聞いた答えは、園内にあると拝みに来た人が入園料を払わないといけなくなるので、入園料のいらない場所に移転したのだということであった。
いきなり降り始めた土砂降りの中で聞いたその話には、愕然とした。
もちろん、古式に則ったかたちで移転はおこなわれたに違いない。
しかし、それが「管理する側の論理」なのだ。
考えるに、終戦後半世紀あまり、ほとんど廃墟であった識名園だから、
つまり、拝所としての機能をほとんど失っていた期間の長い場所だから、
このようなふるまいが可能となったのに違いあるまい。
しかし考えてみれば、斎場御嶽だとて、期間の長短はあれ、拝所としての機能をほぼ停止していた時期が無いわけではない。そのことは意識しておく必要があるように思う。
つまり、永劫の聖地という考え方は、万世一系という神話と同様、時に思考を硬化させる可能性があるということだ。
今回はじめて訪れて確認した、中グスクに匹敵するほどのグスク機能を備えた大里グスクが現在ほぼグスクとしての形態を失っている(復元の15年計画は始まっている)のに、拝所としての機能を保持していることに鑑みれば、中グスクもまた、同様に廃墟としての姿の中で拝所のみの時代があったことは明らかである。
しかし、である。そのような拝所としての機能・論理を現実的に超えたところで、世界遺産・観光資源という論理が組織されてしまった以上、聖地としての意味は下位価値としてその下に組み込まれざるをえない。
だからあきらめようと言っているのではない。「世界遺産」を錦の御旗のように振り回すことの是非を、再確認する場を持ちたいと思っている。
もちろん、ユネスコの果たしてきた役割を軽視しようというつもりはない。
しかし、1992年に
ユネスコ世界遺産センターができてから、わずか14年という歳月で、この構想に万全の信頼と期待を抱くべきではないとも思っている。
文化遺産と自然遺産、そして複合遺産をあわせて現在世界で800あまりが登録されている世界遺産。
しかし、文化・自然の保存という目的が逆に今回のように文化・自然の破壊につながることは、おそらく例外ではない。
現在、内地に10(本州に9、近畿地方に4)ある世界遺産指定の地域・文化財が、逆に指定を受けることでもたらした問題(多くは観光地化の強化による環境破壊)は、まだ真摯に総括されていない。
その意味で、現在はまだ世界遺産指定の是非を問う実験期間であると思うのだ。
であれば、その実験は審問されなければならない。より望ましい現実のために。
果たして、斎場御嶽が世界遺産登録を受けなければ、今回の盗難事件(それは3月9日から10日にかけてのことであったとされる)が発生しなかったかといえば、それは分からない。
すでに香炉の盗難はくり返しおこなわれてきたという情報もある。
また、同様に世界遺産指定を受けなければ中グスクの聖木伐採がなかったかといえば、どうであろう(種々の情報からは、中グスクにかんしては世界遺産指定が聖木伐採の主要因であったと考えられるのではあるが)
だから、世界遺産指定も、問題系のひとつの要因に過ぎないといえば過ぎないのだが、しかし連綿と続く「事件」の背景(本質)に、やはり世界遺産指定は大きく関与しているはずなのだ。
娘と一緒に、近くの公園を散歩してきた。
整備されたばかりの公園に、二つ並んで置かれたベンチが目に付いた。
このベンチが、人生におけるかけがえのない場所となる人が、きっといる。
その人にとってみれば、この「場」を落書きや破壊で汚されることは耐え難いことだろう。
しかしその一方で、この公園には管理母体(市)があり、ベンチは「その人」の持ち物ではない。
もちろんここは、聖地・拝所といった、歴史という「多くの人の思い」が折り重なった場所ではない。
しかし積分すれば、聖地とて、その場所を「かけがえのない」と思う人、思われた時間の集積によって聖地たりえている。
逆に微分すれば、どこであれ、その場所を「かけがえのない」と思う人思う意識があれば、そこは侵すべからざる場所であるに違いない。
わかりやすいのは、自分の家であり、自分の部屋である。
家や部屋で考えれば、何が侵害なのかという認識は大多数が共有している。
斎場御嶽の事件の場合、こがね壺や香炉を盗まれることによって誰が何を侵されているのかが見えない(見えにくい)状況の中に現代という社会が置かれている構造が露呈している。
だから、この事件を論じる多くの人(ぼくも含めて)が、問題は盗難事件そのものにあるのではなく、そのような事件を誘発するこの社会構造にあるのだと観じている。
しかし、とも思うのだ。
「ここ」は、ある人にとってかけがえのない場所に、別の人が土足で踏み込むことを奨励する社会。
つまりは、観光地であるとか世界遺産であるとかといったコンセプトのもとに、本来聖地である(そこを聖地であると認識する者しか踏み込めない)場所を不特定多数の人間に対してオープンにして行く(それどころか、有効な対策もなく次々に呼び込む)こと自体が、やはり大きな問題ではないだろうか。
世界遺産指定をはずすという選択肢。いささかの退嬰をこめて言うならば、それこそが斎場御嶽を、そして中グスクを救う、最大にして最短の近道と思うのだ。
それができないというのであれば、KUWAさんが逆説的に言われる、「柵と鎖でがんじがらめにした聖域」も仕方がないと感じている。
いまは、観光至上(つまるところ経済至上)のシステムの中に組み込まれた聖域の何を守ることが優先順位かを考えるべき時である。それが対症療法に過ぎないのであれ何であれ。
そもそも「心の中の善を喚起する」場であるはずの聖域に対する犯罪が続発するのである以上。
ただし、かんじがらめにすべき対象が、じつに多種多様であり、ある意味で聖域を守る役割の人の手を鎖で縛らなければ聖域が破壊されるという大いなる皮肉こそが、この問題の一筋縄では行かない大きな要素となっているのであるけれども。
聖地・聖域を考えることは、難しい。
そもそもその場所が「聖」なる要件を、共有することが必ずしも容易ではないからだ。
ある者にとってみれば侵すべからざる場所が、別の者にとってみれば易々と踏みにじりうる場所であるということは、この社会にはいくらでもある。
たとえばAにとって花園ラグビー場は、人生のすべてを賭けうる神聖な殿堂であるが、B(ぼくでもいい)にとってみれば子どもを遊ばす広場でしかない。
そのとき、なぜその場がAにとって神聖な場所であるかを伝達することがまず必要だ(ただし、Aの価値観の中では)
次に、その場所を侵すべからざる場所であるという価値観を共有させることが必要だ。
しかし、ぼくはべつに花園ラグビー場広場に入っても緊張もしないし、ありがたいとも思わない。
あえて言えば、ストーンサークル風のモニュメントに沈む夕日を見るのが好きというだけだ。
ただ、その場を「かけがえのない」と思う多くの人たちがいるということを、さざざまなメディアによって理解している。
だから(という「以前に、社会の一員として)ラグビー場に落書きをしないし、備品を盗もうとも思わない。
そこで、あえて強い言い方をすれば、花園ラグビー場と斎場御嶽の「聖度」に、どれだけの差異があるのか、ということになる。
その差異を、だれに向かって、どのように理解させるか、理解させうるかという話になるのではないか。
「理解させる」という言い方が高圧的であることは承知しつつ。
斎場御嶽の盗難事件に心を痛めるほどの人は、「自分の心の問題」として自らに厳しく自問する。
そしてその結果、(傾向性として言っているいのだが)精神を純化させつつ内向してゆく。
そのような純化された精神が、この世界に存在すること自体は、とても尊いことだ。
ただし、そのように内向化する尊い自問のかたわらで、実際に聖地は破壊され続けている。
ぼく自身「何が出来るか」という自問自答の中にいて、
しかし、やはり「何かをしたい」と考えている。
現在、このブログを訪れてくださる方は、日に300人ほど。
しかし、その300人が一同に会する場面を一旦想像してみれば、
それが、どれほどものすごい人数であるかが実感できる。
そこでぼくは先ず、その人たちに語りかけてみることにしよう。
あなたは、世界遺産登録後にくり返される、聖地の破壊について
どのような意見や感想をお持ちですか?
じつにまとまらぬ文章となったが、
引き続き考えたいと思っている。
ご意見をいただければ幸いである。