電線満月
きょうの月が満月だということを知って
外に出てみた。
わが家から見る月は
電線に引っかかって
すこしひしゃげていた。
いかにも大阪の月らしくて
これも、わるくない。
しかし、夕方に出て夜明けに沈んでゆく、この同じ月が
「きのうの月」とも「きょうの月」とも呼ばれる。
「大阪の月」でもあり、「沖縄の月」でもある。
そんなふうに、ぼくらは時間や空間によって
いつだって何かを「区別」しようとする。
「違う」ことは、よく見えるし
(ぼくらの目は変化するものにより強く反応する)
「変わる」ことのほうが、この社会では総じて価値が高い。
しかし、「同じ」ことだって大事なときがある。
「変わらない」ことのほうに価値のあるときもある。
時間や空間の違いが、いつも「絶対」なのではなく、
せいぜい「電線のあっちとこっち」程度であることも、あるはずだ。
そんなことを、ぼんやり考えていた。