奈良の「逆立ち獅子」のことを書いた。(
こちら)
気になっているのは、北中城にある中村家住宅の「逆立ちシーサー」だ。
今回の旅行で中村家住宅に赴いたのは、6月24日(3日目)の午後。
「沖縄報告」が23日(2日目)で止まってしまっているので、順番からいけば、話題になるのはまだ先になる。
しかし、「逆立ちシーサー」が気になるので、前倒しして登場してもらう。
ちょっと暗すぎる。
こちらに、わかりやすい写真が載っているので、参考にさせていただこう。
こちらも中村家のシーサー。由来をたずねてみたいと思ったのだが、われわれも住んでいらっしゃったかたに会うことができなかった。
したがって、これがいつごろつくられたものか、そして、どのようないきさつで、何を目的としてつくられたのか、確認していない。
さらに、だれがつくったものか、なにか手本があったのか、当初は屋根に乗せるつもりでつくれたのか・・・疑問は尽きない。
ところで、
名嘉睦稔の
ハブボックス(恩名店)は、屋根にある「逆立ちシーサー」が目印である。
ぼくが、1993年にボクネンさんの絵と(いささかオーバーに聞こえるかもしれないが)運命の出会いをしたのも、このハブボックス(当時は美浜のボクネンズアートもなく、他にハブボックスはなかった)であった。
ハブボックスの逆立ちシーサーと中村家の逆立ちシーサーとの関係は聞いたことがないが(今度聞いてみよう)、近年の逆立ちシーサーの多くが、中村家のシーサーからきているのだろうと想像できる。
名嘉睦稔くらいのアーティストは別にして、「逆立ちシーサー」というイメージを無から創造できる人(クリエイター)が、そうそうたくさんいるとは思えないのだ。
試みに「逆立ちシーサー」で検索してみると、Exciteでは
これと
これと
これがヒットするだけであった。
これをJWordでYahoo・BIGLOBE・Flesheye・MSN・infoseek・gooに広げてみても、これらの他に、万太郎さんの
絵、国道329号線沿いの
逆立ちシーサー、
石垣の青木さん作というシーサーが加わるのみであった。他に画像をともなわない「逆立ちシーサー」という語句のみのものが2例。そのうちの1例は、「酒飲みシーサー」などと一緒に、「変わりシーサー」に分類していた。
あとは、この「沖縄・八重山探偵団」と、中屋ヒロキの「琉球屋文明堂」、そして、てぃーだの
フォトラバがあるにすぎない。
(ちなみに、琉球屋文明堂が7月12日に考察した
三重の逆立ちシーサーについては、すでにこちらで沖縄との関わりが考察されていた)
※注この記事は、中屋ヒロキの友人が、中屋ヒロキとの議論をもとに書いたものであったため、リンクを切った。詳細は、次の記事「おどろいた(逆立ちシーサー余聞)」参照)。
してみると、沖縄の「逆立ちシーサー」に対する関心は、どうも、さほど大きいものではない。
ひとつには中村家のものが、これに気づくような人(むしろ旅行者が多いのは、中村家への訪問者の傾向を示しているのだろう。あるいは、沖縄本島のひとたちにとって、むしろそれは当たり前の範囲に入るのであろうか)によって報告され、もうひとつには最近つくられたものが報告されるにすぎない。
「逆立ちシーサー」以外に、これらを呼ぶ名称があると考えにくい以上、中村家住宅のものを除いて、歴史的に考察すべき「逆立ちシーサー」は、沖縄には存在しないというのだろうか?
内地の各地に「逆立ち獅子」の存在が明らかになってくるに連れて、よけいに沖縄の「逆立ちシーサー」、むしろその存在感の薄さが気になってしかたがないのだ。