2006年02月27日

気になっていること

一報は、pyoさんの記事だった。

とらひこさんの記事を引いておられる。

「目からウロコの琉球・沖縄史」は、とらひこさんの歴史と沖縄に対する愛情があふれている名ブログである。

以前からリンクさせていただいているのだが、その時点ではどの程度の問題なのかが判断できず、流してしまった。情けない。


先日、セバさんからコメントをいただいた。

一部を抜粋させていただく。


東京から来た人たちを連れて中城城跡に行きました。
絶句、驚愕・・・いったいだれがこんなことをと呆然です。
去年の秋に来たときはこんなじゃなかったです。
今は丸裸。たくさんの拝所も大井戸の前もすべて伐採されています。



状況がいまひとつわからないので、ニュースを探した。

とらひこさんの報告以後、さらに事態は悪化しているのか?

しかし、このことを報じたニュースは、ぼくの目には入ってこないのだ。

もしニュースになっているならば、すでに伐採された時点でなっているだろう。

しかし、そんな気配もない。つまり、おそろしいことに問題にさえなっていないのだ。


KUWAさんのシマウタ37.6度に、セバさんが書かれたコメントがあるくらい。

それはたとえばこのような良心的伐採の犯した勇み足だったのか?

そんなことはあるまい。専門家がついていて、そんなミスは犯すまい。ミスどころか、それがグスクの神への冒瀆であることは、よく御存知だろう。


では、いったい誰が、どのような目的で(あるいは目的なく)行なったことなのか?


とても気になっている。

気になっていること


こういうとき、沖縄から離れている自分が、とてももどかしい。



気になっていること

中グスクは、昨年の6月24日に訪れている。

その時にも、伐採された木がころがっていた。

多くは苔むしており、伐採されてからの年月をうかがわせた。

(それでもまだ、木々の悲鳴は残っていたように思う)

今回の伐採が、それらと決定的に異なるのか、どうなのか。

とらひこさんやセバさんの報告を見る限り、そうだと判断せざるをえない。

問題はその次。たとえばぼくに、これから何ができるのか。


これまで、拝所そのものの写真を掲載することは避けてきた。

しかし、比較検証が必要なのであれば掲載する用意がある。

いまのぼくには、その程度のことしかできない。

そしてもうひとつ。非力ではあるが、こうやって記事を書くこと。


どなたか、くわしい経緯を教えていただけませんか?

そして、できれば、現在の中グスクがどうなっているのか教えてください。


すくなくとも、現状を常に記録しておくこと。

そして、問題を問題として指摘しあうこと。

大きな力の前には非力かもしれないが、

それは「無力」ではないと信じている。




Posted by び ん at 03:21│Comments(13)
この記事へのコメント
わたしもよくわからないので検索してみました。
犯人?は、これ↓かも。
http://www.dc.ogb.go.jp/Kyoku/kairo/index.html
Posted by pyo at 2006年02月27日 10:41
中城はその後行っていないのでどうなったかはわかりません。

以前、一度だけ中城の担当者の話を聞く機会があったのですが、整備に当たり石垣に生える雑木を取り除き石垣の崩壊を防ぐことが重要であると話していました。おそらくその延長でウタキの伐採も行ったのではないかと思います。推測ですがウタキの聖木についての理解があまりなかったのではないかと…

事の真相ははっきりしないので何ともいえませんが、この問題については、場合によっては中城村への問い合わせ、もしくは地元紙へ投書するのも手かと思います(久高島の事件とも関連させたりして)。

いずれにせよ伐採された木はもう戻ってこないわけですが…
Posted by とらひこ at 2006年02月27日 11:39
>pyoさん

http://www.dc.ogb.go.jp/Kyoku/kairo/forum/sympo_4.html

ここ↑ですか?・・・なぜ高良さんが黙ったままなのか、釈然としないものを感じました。


>とらひこさん

出すぎた質問、お許しください。

1996年11月の「沖縄タイムス」記事によれば、中城村教育委員会文化係の管轄ですね。こちらは、「中城城跡」の恒久的な管理にも当たられていると思いますので、時宜を見て、確認させていただこうと思っています。

何も見ていない状況で申し上げるのは恐縮ですが、一方的に批判・糾弾という形ではないほうがよいのではないかという気が致します。

貴重なご報告、ありがとうございます。
継続的かつ精力的な調査と考察に敬意を表します。
Posted by びん at 2006年02月27日 12:52
非力な一人です。域を超えると何故に無気力に陥る
るのでしょう。成す術もなく吐息に絡まる・・。どうした
らいいのかしら。「地主権争い?」的な内容が中城城址
でうごめいていたが、その後の経過は?確かに不鮮明
なまま。その最中、駐車場脇の監視小屋のような風景
に・・・入場料が惜しい訳でもないけど、入る気にもなり
ませんでした。何がどうなって、何がどうなるのでしょう。
気持ちだけで、なんにも動けない自分も情けない。
Posted by ルビーの涙 at 2006年02月27日 14:12
たくさんの「域」があると思います。
何も侵害せず、何にも侵害されず、お互いに行き来できれば、これほどよいことはないのでしょうけれど・・・

記事に書いた時は入れましたが(聖地に入れないことは時々あります)、2時間あまり見てまわり、出たところ(芝生の広場)で横になったまま30分ばかり動けませんでした。

好意が勇み足を招いてしまったのならば(残念なことではありますが)救いもあろうかと思っています。しかし、そこにまた別の要素が絡んでいるのだとしたならば、憤りを隠しておきたくはありません。
Posted by びん at 2006年02月27日 16:53
そうですね。まずは事実をきっちりと把握するのが先決かもしれません。

現時点では事態の推移を見守っていくかたちでいいと思います。

まあ僕は調査というより見たことや思いついたことをただ書いただけなので…
Posted by とらひこ at 2006年02月27日 22:22
その「ただ書いただけ」が、たいへん貴重だと思っています。

さっそKUWAさんが行って下さり、聞き取りをレポートしてくださるそうです。

http://sansin.air-nifty.com/simauta/2006/02/post_508f.html

静観ではなく、動観できればと思います。
Posted by びん at 2006年02月27日 22:42
びんさま、取り上げてくださってありがとうございます。
そういえば、12月に勝連城跡に行ったときも、大規模な整備工事をしていました。ブルドーザーも入っていました。
うたきの名称とその説明が書かれたプレートの周辺の木が伐採されていたのを不思議に思ったことを思い出しました。

その後、南部の糸数城跡に行ったときも、大規模な土木工事中でした。

そのときは、原状を知らなかったこともあり、世界遺産に登録されたので、あわててあちこち整備しているのねー、
ぐらいにしか思わなかったのですが、今回の中城城跡で
なんか全部つながったような気がします。

世界遺産に登録されたから、観光誘致ができる、
海洋博公園みたいにきれいな公園にしようってことなのか・・・

沖縄の人たちはこのことを知っているのだろうか、
沖縄の人たちが決めたことなのだろうか、
それともヤマトの役人の発想なのだろうか、

ヤマトが決め、ヤマトの業者が沖縄の業者に下請けに
出しているのであれば、これは「方言禁止令」に匹敵する
踏みにじり方ではないのか。

今のところは身近な所で騒いでみるぐらいしか手がないのですが、
とにかく何かが変です。

それにしても、なんでフォーラムに○○女史と某作曲家なのか・・・これもまったく解せません。この人選を見て、
沖縄主導ではないなとかなり確信しました。
Posted by セバ at 2006年02月27日 22:44
コメントをいただき、ほんとうにありがとうございました。
20日にコメントをいただいて以来心に残っていましたが、セバさんが24日にもKUWAさんのところにコメントされ、改めて自分なりに考えてみて、やはり大きな問題であると判断いたしました。
1週間もかかってしまい、かえって恐縮いたします。
「世界遺産」指定は、やはり問題が大きかったといわざるを得ないのでしょうし、これは何もグスクだけにとどまらない。ただ、グスクが対象となっただけに、本来は見えない部分(地域の人たちが共有していた意識)が大きく欠損され、残念ながら目に見える形であらわれたのだと、現時点では理解しています。
しかし、なぜ警鐘を鳴らすかたがいらっしゃらないのか?

「何かが変」ですね。たしかにそう思います。
ぼくもとりあえずは騒ぐくらいしか出来ないのですが、騒ぐのであれば、出来る限り少しでも有効な騒ぎかたをしたいと、そのように思っています。
対談は、編集で大きく内容が変わってしまうのでできればコメントしたくないのですが、話の流れに対して、これは正真正銘の違和感を覚えました。

どうぞ、今後ともよろしくお願いします。
Posted by びん at 2006年02月27日 23:08
おそらくあのデイゴは私が描いたデイゴの木でしょう。
私が去年行った時には、倒されておりました。

びんさんもお気気付きのように「世界遺産」認定がもっともな原因
でしょう。でもそれでもって保護されたような気もします。

木が倒される、、悲痛な思いではありますが、街路中を根っこが、破壊するように、石垣を壊す!亜熱帯の根っこは強固な物があります。
そのような意味では久高島の事件とは違うように思えます。

私がはじめて北側の石垣ラインを見ることが出来たのは、最近の
ように思えます、今まではほとんど、雑草や木の根で覆われてみる事が出来ませんでした。これは勝連城跡でもそうではないでしょうか?
或いは私のふるさと「安慶名城跡」などは、郭の方に大きな岩石があり、根っこが絡みつき、落石の危険があり立ち入り禁止をいう、布令も
出ました。見る限り大丈夫そうではありますが、なにかあったら!責任上行政はそうもいかないのでしょう。
これからの問題として考えなければなりません、、、
拝所もそうですが、、、、ある程度掃除なり身奇麗にしておかなければ
「ハブ」の問題もあるでしょう。ウガミところは明るくしておくのも大事かと
思うのですね、、、
伐採!必要でもありそして程度の問題として考えた方が、良いようにも
思えるのです。
非常に難しい問題でもありますが、、、
Posted by 源氏パイ at 2006年02月28日 07:54
以前おっしゃっておられた、「樹木が石垣を破壊する」というお話、今回のことを考えながら、何度も思い出していました。
遺構の保存という問題のほかに、観光地・景勝地として大々的に売り出すということは、観光客・見学客の安全保護という視点が大いにかかわってくるということですね。
落石・崩落しかり、ハブなどの危険生物しかり。
たしかに、保護すべきものが何か、という視点を移動させれば、見えてくる風景もまた変わってきます。
たとえば徒歩であれば何の問題もなかった市街地の樹根が、自動車社会となると大きな問題となる、その現状を否定することは(おそらく)できません・・・

「程度の問題」というのは、大変大事なことと承りました。
そしてその「程度」が、大局的な見地から許容範囲内であるのか、あるいは矩を越える部分(直していくべき余地)があるのか、それは、より多くの方々の議論し、相談する場があってよいのではないかと、いまはそのように思っております。
Posted by びん at 2006年02月28日 08:53
まさしくそうだとおもいます。許容範囲が大事と思います。
大事な議論が欠けてるのだと、、、もっともっと地域いろいろな
所からのメッセージ、、、とくに神女(ウガミ人)の話なども
聞く必要もあろうかと思います。
接点はあると思います。

美的感覚の気になる所といえば、
中城城跡の城門上の梁は、、危険というわけでしょうか、10cm角材で
もって、強固に補強されてました。あれを見る限り城門の存在、美観も
ありません、モット薄くて鉄で持っての補強の仕方があるのではと思った次第です。
このような点からも、もっと広範囲は意見の集約が必要と思われました。
Posted by 源氏パイ at 2006年02月28日 09:25
遠くの地から見ておりましても、やはり議論はまだ少なすぎるように思えてなりません。
それが、さまざまなことに対して「もっと議論することはある」と多くの方が思いつつ、たとえば中央政府の繰り返しのだまし討ち的なやり方に愛想を尽かしてしまった、そちらの言葉で言う「ちるだい」に発する部分が少なくないことに、やりきれなさを感じ続けています。
しかし、まだまだですよね。皆さんのもつパワーは、こんなものじゃない。そのことも、うかがうたびに感じ続けています。

木製の補強具、ぼくなどの目から見てもとても気になりました。ここではまだ掲載していませんが、写真は撮ってきています。
あれは、緊急避難的なものではなく、恒久的なものなのでしょうか?
・・・おそらく、そうなのかもしれませんね。
ほんとうに、より多くのかたが関心をもち、意見を持たれることを望んでいます。
Posted by びん at 2006年02月28日 09:50
お返事が遅くなる場合があります。あしからず。
 
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