2011年11月06日
お金の文芸史
昨日(11月5日)、「お金の文芸史-近世から近代へ」という講演をさせていただいた。
これは、商業史博物館が主催する「お金の日本史」という連続講演会(スライドカルチャー)の第8講にあたる。
日本文学が、どのように「お金」(金銭)を描いてきたのか、その流れがどのように変化して来たのかを駆け足で概観した。
近世では、井原西鶴・松尾芭蕉・近松門左衛門、そして平賀源内に触れた。
源内については『根南志具佐』自序で語った内容を取り上げたのだが、時間的制約があってそれ以上源内について触れられないのが残念であった。
近代では、それこそ無尽蔵に話題があるので、大阪に関わりの深い直木三十五・宇野浩二・与謝野晶子・織田作之助・川端康成・司馬遼太郎に絞って話す予定であったが、与謝野晶子まで話したところで時間切れとなってしまった。
私たちは貨幣経済の世の中で暮らしつつ、いまなお「お金」について表立って話題にすることを、多かれ少なかれ、はしたないと思う心性を持ち続けている。
そのような文化の醸成に、文学・芸能は少なからず関与している。逆に、「お金」が私たちの運命を左右する「物神」であることを多くの人々に教えたのも文学・芸能であった。
「お金(金銭)の文芸史」は、たとえば例外的に西鶴ばかりを取り上げるといった偏頗な姿勢を捨てて、もっとまともに取り組まれて良いのではないか。
(「源内探偵団」2011.11.6より転載)

※画像は、架蔵の絵葉書より、「闘牛」(ウシオーラセー)
これは、商業史博物館が主催する「お金の日本史」という連続講演会(スライドカルチャー)の第8講にあたる。
日本文学が、どのように「お金」(金銭)を描いてきたのか、その流れがどのように変化して来たのかを駆け足で概観した。
近世では、井原西鶴・松尾芭蕉・近松門左衛門、そして平賀源内に触れた。
源内については『根南志具佐』自序で語った内容を取り上げたのだが、時間的制約があってそれ以上源内について触れられないのが残念であった。
近代では、それこそ無尽蔵に話題があるので、大阪に関わりの深い直木三十五・宇野浩二・与謝野晶子・織田作之助・川端康成・司馬遼太郎に絞って話す予定であったが、与謝野晶子まで話したところで時間切れとなってしまった。
私たちは貨幣経済の世の中で暮らしつつ、いまなお「お金」について表立って話題にすることを、多かれ少なかれ、はしたないと思う心性を持ち続けている。
そのような文化の醸成に、文学・芸能は少なからず関与している。逆に、「お金」が私たちの運命を左右する「物神」であることを多くの人々に教えたのも文学・芸能であった。
「お金(金銭)の文芸史」は、たとえば例外的に西鶴ばかりを取り上げるといった偏頗な姿勢を捨てて、もっとまともに取り組まれて良いのではないか。
(「源内探偵団」2011.11.6より転載)

※画像は、架蔵の絵葉書より、「闘牛」(ウシオーラセー)
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